日本光学 戦後の特許(昭和22年~31年)

日本光学四十年史にあった特許の一覧のうち、戦後のものを紹介します。
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戦前、戦中時の特許には時代を反映して、秘密特許がいくつか含まれておりましたが、戦後は民製品を中心としたものがほとんどを占めています。

発明者の欄を見ますと、雑誌などの技術資料の執筆者と同名の方が何人か居られます。

昭和31年のフォーカルプレーンシャッターに於ける閃光同調装置なんて、ニコンSPやFのシャッターダイヤル同軸上に組み込まれたセレクター関係かな?とか、昭和23年末の小型フォーカルプレーンカメラはニコンI型かな?しかし、発売後の特許申請も無理があるかな?などカメラ関係、レンズ関係での特許の時期からどのようなカメラ、レンズ技術へフィードバックされたかを想像するのも楽しいですね。

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ひかり小屋

日本光学のひかり小屋を皆さんはご存知でしょうか?
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「光友」昭和17年165号にあった、新ひかり小屋落成を告知した記事です。
ひかり小屋とは75年史によると昭和15年10月(四十年史では11月)に東京府西多摩郡五日市町の秋川渓流沿いに開設されたレクリェーション施設で、こちらは17年落成の増設された新館です。
これらは太平洋戦争勃発後は心身の練成道場としての性格を強め、日本光学秋川道場と呼ばれるようになったそうです。
画像は間取りのスケッチと完成した新ひかり小屋の写真だと思われます。

生憎記事詳細の載っている次号(166号)は持っておりませんので、詳しいことは不明ですが、建坪は旧舘が57坪、新館は83坪、戦中戦後の荒廃を補修し昭和30年代に年間利用者が1200~300名に達したと四十年史には記してありました。

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ニコン 新製品特報

ニコンでは、新製品が出るとプレス発表と同じくして販売店向けにも資料を出しています。
それは現在はNikonEXPRESSという紙片で下の画像の一番下の物の様な体裁です。
これもそれ以前は画像のように、新製品特報としてB4サイズでした、後に同サイズでNikonEXPRESSとなり、ロゴデザインなども変更、さらにA4サイズとなり、一番下のようにと変遷していきました。
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世界最初のEE一眼レフ コーワH

興和株式会社のカメラの話題ついでと言っては何ですが、下の広告によると世界最初のEE一眼レフカメラも興和のカメラということらしいです。同時期にニコンオート35が日本光学でも出ていますので、わずかな差だろうと思います。
H(写真工業1963年11月号より)
コーワのカメラはオーソドックスな物というよりは、独創的で比較的安価なカメラを出していたという印象を持っています。特に先日のスーパーワイドや、レンズシャッター一眼レフに超広角19ミリを付けたコーワUW(ウルトラワイド)といったものが有名ですね。
軍艦部をみましてもシャッターレリースボタンと巻き戻しクランク・ノブだけ、レンズ基部をA(オート)にしおけば、ピント、構図を決めてシャッターボタンを押すだけといった簡便さをアピールしているように受け取れます。

また、普段から胃腸が弱いので、毎日興和のキャベジンSという胃腸薬を服用しておりますので、個人的には、馴染みは深い会社です。

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28ミリ超広角レンズより安いカメラ コーワスーパーワイド

コーワSW(スーパーワイド)の写真工業1964年8月号に掲載された技術資料です。
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このカメラは現在は銀塩カメラの中古価格が低迷しておりますので割合買い易くはなっておりますが、その中では高めの人気機種ですね。それは広角28ミリレンズを付け、ケプラー式の凝ったファインダーでシンプルなデザインなのが人気の原因の1つだろうと思います。
また、あまり数も出なかったようで、特にブラックボディは珍品で高価に取引されています。

ただ、このファインダーは凝っているのですが、裸眼での使い勝手はあまり宜しくなかったようで、「細いパイプの先からのぞくように、少しでも角度が外れるとファインダーがかくれる。ただ、あまり眼を近づけずにのぞくと見える角度がひろくなるので、眼鏡をかけた人のほうがかえって見やすいというのも面白い。」とこれには評されていました。

さて、このカメラは当事では超広角の部類に入れられた?28ミリレンズを付けていて、価格が23500円と当事のFマウントニッコール28mmF3.5の価格25000円より安いのです。因みにニコンS系用2.8cmは19500円でした。

当事、私が28ミリレンズを好んで使っていたなら、もしかしたら、このコーワSWを専用機として購入していたかもしれません。
余談ですが、(実のところあまり使ってはいませんが)現在は28ミリ専用機としてニコンミニを使っています。

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カビの話

写真工業昭和39年9月号掲載のカビ研究に関するレポートです。
1ms
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古い資料で具体的な防黴方は記してありませんが、硝種毎のカビによる侵食(カビ痕)の強弱は少し参考になりました。


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ライカM3、ニコンSPのライバルになれなかった ミノルタスカイ

ミノルタスカイの3面図です。
Minoitaskys(「ライカに追いつけ!」P.135より)
ミノルタスカイは一軸式不回転等間隔目盛りのフォーカルプレーンシャッターを採用した、ライカM3を意識して開発された35ミリ判距離計連動式カメラでしたが、「ライカに追いつけ!」によりますと、試作品完成を持って渡米した田嶋社長は帰国後開発中止を決定し、発売の日の目を見ることはありませんでした。
このカメラはニコンF2が採用したセルフタイマー利用の長時間露出を既に使っており、2秒から15秒までの長時間露光が可能でした。
また、シャッターダイヤル連動のライトバリューを使うことにより、単体露出計との使用を簡便にしたり、シャッター速度は高速から低速に至るまで連続無段階可変など、シャッター周りに関する特徴が特に目立つカメラだったように思います。


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オリンパスペンF 詳報

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以前に紹介しました「Fという名のカメラ オリンパスペンF」に記しました写真工業の詳報にあるペンFの分解写真です。
大まかにアッセンブリィごとの分解ですので、あっさりとしたものとなっています。
内容は参考資料をご覧ください。

参考資料:オリンパスペンF詳報その1(約4.0MB)
       オリンパスペンF詳報その2(約4.6MB)

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PASSEDシール カメラなどの輸出検査とデザイン認定

皆さんの中にはカメラやレンズなどに楕円形に「PASSED」と印刷されたシールが貼られているカメラを見たことがある方も居られると思います。
これの意味や制定?されたいきさつは下の画像を見ていただけるとおおよそ分かりますので、参考にしてください。

Passeds(写真工業1964年9月号より)


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ニコンフィールドスコープで写真撮影

カメラレビューの最終号となった1984年4月の33号では特集2で「カメラとアクセサリー実感情報」が組まれ、その中に、初期のニコンフィールドスコープで、EDレンズ使用の高級望遠鏡を使っての写真撮影が、取り上げられていました。
F2ss

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私はこの結果を見て、さすがに写真用レンズにはかないませんが、フィールドスコープの潜在力を認識させられました。現在はIII型となり改良も加えられ、バリエーションも豊富ですし、更に上級品も増えてラインアップは充実していますので、この時以上に良好な結果を得られると思います。
ただ、やはり大型のしっかりした三脚は必須で、通常の同距離の望遠レンズと比べるとコンパクトとはいえ、機材はそれなりに嵩張る重装備にはなってしまいそうですね。


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AF時代のマニュアルフォーカスカメラ

1993年8月号の写真工業誌特集に表題のものがありました。
この中に当事のマニュアルフォーカス一眼レフ機の一覧があり、簡単なj機能・性能の比較が出来ますので参考にしてください。
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Mfcamera3s_2

この頃は既に一眼レフの入門モデルもオートフォーカスが広まりつつあり、確かニコンではF-401SやF-601といった機種がありました。これを見ますと、MFでは結構重要なファインダーの性能ですが、倍率は視野率100%のニコンF3HP系とコンタックスRTSIIIが低いですが、それ以外は0.8倍以上、中でもペンタックスLXは0.9倍でありながら視野率も高く、プロ用高級機の面目躍如といった感じです。
また、案外とこの頃は横走行のシャッターを採用している機種が生き残っていたのですね。しかし、このあと割合早い時期にいくつかが生産を終えてしまいました。
この頃のAF一眼レフとMF一眼レフの勢力図は、2000~2年頃のデジタル一眼レフと銀塩一眼レフの勢力図に似ている印象を持っています、ニコンは自社生産ではないですが、今もFM10といった銀塩MFカメラやMFレンズを出しているのは、個人的には素晴らしいと思っていますし、微力ながら購入による応援をしたいと思ってもいます。

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初秋のカメラトピックス カビ他クイズなど

光画月刊1950年9月号に愛宕通英氏執筆のタイトルの記事がありました。
この記事では夏の撮影で使ったカメラ・レンズ・フィルムなどのカビに対する注意などが取り上げられていたり、中秋の名月の時期だからでしょうか?月の撮影に関するもの、ちょっとしたクイズが載っていました。
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現在ですと、防湿庫を利用している方が多いと思いますので、それほどカビに対して神経質に保管していないのかもしれませんが、当事はエアコンも無ければ、防湿庫もフィルムを保管する冷蔵庫も無かったでしょう。そんな中での管理にはこういった記事が参考になったと思います。

さて、この記事中のクイズですが、皆さんはいくつか分かりましたか?

答えは、(1)ライカ、(2)コンタックスS、(3)スピード・グラフィック、(4)マミヤ35、(5)メントール・コンパーレフレックス とのことです。

私は1つも分かりませんでした。ただ、唯一(2)は35ミリ判のアイレベルファインダー付きの一眼レフとは分かりますが、この頃の機種がすぐに思い浮かびませんでした。また、この頃ですとニコンではM型ですが、これらの問題で該当はしそうに無いですね。
ニコンに関する問題があったなら、もしかしたら当てられたかもしれません。

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ニコン ルック 

ニコンルック専用の1枚物カタログです。
ニコン双眼鏡の中ではコンパクトで扱いやすく、価格も手頃なものでした。
Look1s
Look2s

Gマーク選定品でありデザインも良く、3つの倍率を用意し、使いかっても良かったのでしょう、かなり多くのルックが発売されたようです。(製造数に関しては生憎資料がありませんでした。)

ただ、現在見かけるものは結構レンズがカビていたり曇っていたりと、残念ながら丁寧に扱われた双眼鏡はあまり多くは無い印象をうけています。

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新社名のロゴ

以前から何度か斜体のNikonロゴデザインの変更を取り上げていますが、この少し背が高く角度が起きたロゴはいったいいつ頃から使われだしたのでしょう?

社名変更は1987年4月の常務会で議案が可決、同年6月の株主総会でこれに伴う定款の変更が承認、同年7月の創立70周年記念式典で一般に発表と75年史にあります。
このロゴデザインは今までのものと同様に亀倉雄策氏が行っています。

本題です、新ロゴ使用の初めはいつか? 公式な文書などには社名変更と同時期、すなわち1988年4月からですし、雑誌の広告なども同月号からでした。
しかし、下のNikon新聞は1987年12月には既に新しいロゴと同じものに切り替わっていました。
Nikonss

ニコンカメラなどの広告の下に株式会社ニコンへと社名変更する旨の告知が始まったのもこの頃からですので、おそらくはこのくらいの時期から一部のデザインを新しいものへと切り替えていったのだと思っています。

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銀塩写真はどこへいく

1988年6月の写真工業誌には「銀塩写真はどこへいく」といったタイトルの銀塩フィルムによる写真の今後を占う記事が載っていました。
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 これには、銀塩の次に来る方式を占う参考として、複写機などのコピー方式を例にとっています。
この時点では、スチルビデオカメラとしていくつかが発表、発売されだした頃で、まだまだ銀塩が全盛であり、フィルムもカラー・モノクロともにISO3200~6400も可能な超高感度フィルムが発売されだした頃でもありました。

 結局、20年後の写真方式はどれか?と結論をだせずに結んでいましたが、これを21年後の今読みますと、確かに当事今のデジカメの隆盛を占うのは難しかったのではないかと思いました。

 この記事の数年前CDメディアによるデジタル方式の音楽が出だし、記事の頃にはもうレコード・コンパクトカセットテープからCDへと主流が変わっていたと思います。こういったメディアの変更には機器の普及が必要不可欠ですが、これにはCDラジカセやウォークマンといった携帯プレーヤーが大きく寄与していたように思います。
 これをカメラに当てはめますと、コンパクトデジカメのコンパクト化、低価格化、高性能化、デジタル一眼レフカメラの低価格化、高性能化に加え、携帯電話についているカメラの高性能化など機器の普及、プリントや表示の簡便化が今の写真方式の隆盛を支えているように思っています。

 さて、更に20年後にあてはめますと、一体どうなっているのでしょうね?
私はデジカメほおろか、高機能なAFカメラでも使い切れずにいるので、予想はいかにも素人という発想なのですが、スチルカメラという言葉が死後に近いものになっているのではないかと思うのです。
ムービーが高性能化しその中の1枚をプリントするといった使い方がごく普通になり、表示もプリントではなく、3Dを含めた動画を表示する厚紙のようなフレキシブルな有機EL?の機器によるペーパーレス、コードレスが普及しているのでは無いかと想像しています。
皆さんはどのように想像しますでしょうか?

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ニコンFシステム 1974年春の価格改定

1974年2月のニコンFシステム一覧図です。
1979allss

これは、この価格表の一ヶ月ほど前に、約10%程度の値上げ発表を受けての新価格でのものです。
この頃は国内外での経済状態が良好で、多方面で値上げがあり、また、労働賃金も上がるなど製造コストアップを価格に転嫁せざる終えないといった理由からだったと記憶しています。
私は、ちょうどこの時期に機材の購入を予定していまして、この値上げを聞き、急ぎ購入しました。

因みに下は改定前後のカメラ価格部分です。

197879ss

これをあらためて見ますと、現行時は感じなかったのですが、ニコンFのボディ価格が安いというか、登場時から意外と価格が上がっていなかったのですね。


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1976年頃までのブロニカ

松坂屋写真商事株式会社出版部から出ていた'76カメラ年間Vol.5資料編にあったブロニカの部分です。
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先日少し話題になった、ブロニカ用とニコンF用の共用望遠ニッコールですが、外観はこれでも多少は分かるかと思います。

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ニコン双眼鏡 8×30A展開写真

8x30as

ニコン双眼鏡販売の手引き内にある双眼鏡8×30Aの展開写真です。

このような双眼鏡の展開、部品の一覧写真はあまり見ませんね。


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幻?のニッコール付き35ミリ判カメラ ケンコー35カメラ

以前にフォトアート1949年12月号に掲載されていた1949年のライカ型国産カメラを紹介しました。
その中にベスト判フィルムと135フィルムを切り替えて使える村上商会のケンコー35カメラがあったのを覚えている方はおられるでしょうか。
下はその時の物を部分的に切り取った画像です
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そのカメラ部分です。
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この他にないか探しましたら、ARS刊行CAMERA誌1949年2月号に下のような広告がありました。
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カメラの画像自体は同じ物をつかっているように見え、レンズはニッコールということですが、ネーム部分はおろか絞りや距離を示す数字も見られず、もし、ニッコールならニコンI型付属の物と同じ光学系だと想像できるのですが、これが本当にニッコールなのかは分かりませんでした。

さて、上の広告を見ますと「新春に颯爽とスタートした」とありますので、1949年2月雑誌発売時期とそれほど変わらない時に発売された?又は発売予定だったのでしょうか?

また、スペックを見ますと当事国産最高の1/700秒フォーカルプレーンシャッター、画面サイズがベスト判時縦40mm横35mm、135フィルム時縦25mm?横35mmと読み取れます。また、シンクロ付きでシャッターに同調とあります。
画像を見ますと、高さがあり、確かにベスト判にも対応していそうで、光軸上にファインダーがあり、距離計の窓が正面から見て左でニコンやコンタックスと同様になっています。しかし、シャッターボタンがどこにあるか分かりませんが、もし正面から見て中央右よりの突起部としたら、なんだか見た目では裏焼きっぽくも感じます。
情報が少なく、謎のカメラですが、このカメラの詳細をご存知の方居られないでしょうか?


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CAMERAの・・・・・・ロールス・ロイス ニッコールレンズ群装備 ZENZA BRONICA

昭和34年9月のカメラ雑誌に掲載されたゼンザブロニカの広告です。
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カメラのロールスロイスというコピーやニッコールレンズを当初から用意し、高級カメラをイメージさせる広告となっていました。また、造りも高級感があり、確か外板もステンレスを使っていたと聞いた事があります、価格も標準セットで128000円と50年前を考えますと高価です。

このカメラ名称は創業者の吉野善三郎の名前を採り、善三郎のブローニー判メラという意味があると聞いています。
また、後にS型発売で既存の上のゼンザブロニカをD型と呼称するよう名称が変更されました。
この辺はニコンカメラでもM型発売後に既発売モデルをI型と呼んでいたのと同様ですね。

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1952年頃までのRFキヤノンカメラ各型の識別表など

写真工業5号に「キャノンカメラ株式会社の近況」という記事が載っていました。
それには生産状況や米国での販売網、サービス体制といったものの簡単な紹介と製品名変更記事がありました。
それに伴い、J型からIV-S型までの識別一覧表も掲載されていました。(なぜかIII-S型は載っていません)
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ここでは題字部分の会社名でキヤノンとせず、キャノンと表記されています、他にも両方の表記がみられ、これが少し珍しいように思いました。

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1950年秋 富士フィルムの新製品広告

1950年秋頃の写真雑誌に掲載された富士寫真フイルム株式會社(当事)のフィルムの新製品を紹介した広告です。
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以前に1950年頃のフィルム価格などを紹介しましたので、他社のフィルムの価格とも照らし合わせてみてください。
その時記しましたが、当時の公務員の初任給が数千円でした、100フィートの16ミリ映画用カラーフィルムと35ミリ判カラーフィルムを1本買ってしまったら、もしくは35ミリ判カラーフィルム9本買ったら月給が一ヶ月分無くなってしまう計算です。

今はデジカメのメモリーも安くなり、大量に写真を撮り、その中から取捨選択といったスタイルが多いのかもしれませんが、この昭和25年当時はおろか、昭和40年代くらいまでは特にカラーフィルムが高く、写真を1枚1枚大切に撮っていたのもうなずけるかと思います。

勿論写真を大切に(慎重に?)撮っていたのは、フィルムやプリント代金が高いからだけではありませんそれに足して、この頃は機械仕掛けのカメラで露出計も無いか内蔵されていても測光範囲が狭く、フィルムのラチチュードも狭いので露出面の失敗なども多かった事もあろうかと思います。

それに比べると、現在は手軽に携帯電話でも写真や動画を残せますし、その場で結果も確認でき、自宅でもプリント出来、良い時代になったものです。
しかし、私が今でも、不便な機械式のカメラを使い続けるのは、写真を撮るまでのプロセスも楽しみたいからなのですが、他の方も多少なりとも同じ気持ちを持っているのではないでしょうか。

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25cm クーデ型コロナグラフなど

今から38年ほど前、写真工業1971年9月号の新製品ニュースに掲載された記事の一部です。
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乗鞍岳のコロナ観測所に納入されたコロナグラフと日本の衛星観測用機器の簡単な紹介ですが、あまり目にしない日本光学製品ですので紹介させていただきました。


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ニコン宝石鑑定用ルーペ

1984年のニコンルーペカタログの内面です。
A4サイズ1枚物を3つに折ったデザインです。
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宝石鑑定用ルーペ10倍は有効径13ミリのとても小さなものですが、高解像で、今から四半世紀前で8000円と高価でした。小さいながらも、カタログの仕様で分かりますように、各収差を補正する為に3枚張り合わせの凝ったレンズを使っています。
この高価なルーペはデザインは若干変更されたニュータイプとなってはいますが、レンズ性能は変わらず現在も現行品で、価格(税引き)は当時より10%しか上がっておらず、8800円と今ではお買い得な感じを個人的には持っています。

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ニコンF2のライバル オリンパスM-1の三面図など

写真工業1972年10月号に掲載されたオリンパスM-1技術資料内の外観および寸法を示した三面図です。
これに近いサイズのニコンカメラですとニコンEMがイメージしやすいかと思います。
実際は横幅でEMが1.5ミリ狭く、高さで2.9ミリ高いのですが、まあ、あんなものです。(汗)
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因みに、写真工業1972年10月号のオリンパスM-1技術資料は、先日逝去された米谷美久氏の執筆です。

オリンパスM-1技術資料の画像(約2.5MB)

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ニコンF2のライバル オリンパスM-1

ニコンF2の同時代にこれに匹敵するような高級システム一眼レフカメラの1つとして出されたオリンパスのM-1カタログの表紙部分です。発売は1972年7月、後、1973年にM-1は当時ライツのカメラと同名な為に改名しOM-1、OMシステムとなりました。

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以前紹介しましたミノルタX-1やキヤノンF-1はニコン同様にファインダー交換が可能なシステムカメラでしたが、こちらは当時としては非常にコンパクトなボディで万能?な発展性を持たせている為、ファインダーの交換は考えてはいなかったようです。しかし、ファインダースクリーンは多種類を用意し、交換を可能にしています。
また、最高秒5コマのモータードライブやマクロ、ミクロ撮影用システムなど発表当初から充実したものとなっていました。
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*:後日技術資料などを紹介したいと思います。


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赤いラインの双眼鏡

13年ほど前の双眼鏡カタログ内の1ページです。19964catalogss

この中の7×50トロピカルや10×70IFと7×50SP、10×70SPとは随分と価格差があります。
どちらも高価な双眼鏡ですが、SPシリーズは全面マルチコートで色つきもなく、隅々までシャープで、星野の観測を考慮したものになっていて、それがこの価格差となっているのでしょう。
因みに「SP」とはSPACEから来ているとの事です。

先日紹介しました1970年の価格表には7×50トロピカルが載っていますので30年近く前との価格の比較ができます、これによると24500円となっています、画像の1996年が46000円、現在が62000円(いずれも税抜き)と高くはなっていますが、個人的には適正な範囲の価格上昇ではないかと思っています。

表題の赤いラインの双眼鏡ですが、現在は画像の2機種の他に同様タイプで18×70IFが増えています。ただし、こちらはSPではありません、しかし、これまでのプロフェッショナルラインの製品より高性能で、赤いラインが入り、カタログ上でもハイグレードラインにアップされています。
因みに現在赤いラインの双眼鏡価格ですが、7×50SPが95000円、10×70SPが134000円、18×70IFが142000円と1996年より値上げされています。(価格はいずれも税抜き)

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1970年ニコン双眼鏡価格表

1970s
1970年頃のニコン双眼鏡製品の価格表です。
8cm屈折赤道儀天体望遠鏡が安いですね、とはいえ、後に発売されるニコンF2フォトミックと比べてほぼ同等の価格なので、当時購入するのは結構大変だったでしょう。

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UHF-500

以前に最高毎秒50万コマの超高速度カメラとして植村式超高速度カメラUHF-500型を紹介しました。
今回はその中の画像とは違い、反対側から見た状態?の珍しい画像だと思います。
Uhf500s50年のあゆみより


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四角い単眼鏡

女性が気軽に持ち歩けるよう意識したデザインの単眼鏡が昭和54年に発売されました。
下はそのカタログです。
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これは、日本光学が一般向けに出した単眼鏡としては初めの方のものだったと思います。
また、この単眼鏡にスライド式のクローズアップレンズを追加して弱視者向けの製品も後年発売されました。
Alls_2

ただ、個人的にはこのスライド部分はいかにも「後から付けました」といった印象が強いので、もう少しスマートにならなかったのかと思いました。

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8cm屈折赤道儀

下は8cm屈折赤道儀のカタログ(74年版)の表紙です。
8cm1s
1967年新登場で、この頃はまだEDレンズはありませんでした。
また、こちらはこのカタログとは別の販促カタログからの画像です。
8cm2s
8cm3s
8cm4s

上の表紙の物は8ページでしたので、容量節約とあまり見かけないということで販促カタログから8cm屈折赤道儀部分を抜き出して紹介させていただきました。
この最後の画像にある91cm光電赤道儀と女性の対比で91cm望遠鏡の大きさが実に分かりやすくて、インパクトもあります。


関連記事
     ニコン8cmED屈折天体望遠鏡
     5cm 6.5cm屈折赤道儀
     ニコン20cm・15cm屈折赤道儀
     ニコン 屈折赤道儀
     ニコン10cm屈折赤道儀
     天体アダプター
     Astro-Nikkor200mmF4

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教育用顕微鏡E・E2型

下は昭和47年の教育用顕微鏡E・E2型のカタログです。
Omotes
Nakas


この顕微鏡はE型が昭和35年10月発売、E2型が昭和37年5月と歴史が長く、私も実はこの顕微鏡やオリンパスの物を使った覚えがあります。

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ニコン双眼鏡のできるまで

画像はニコン双眼鏡製造工程を紹介したものです。
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前半はレンズの製造工程で、これはカメラ用レンズの製造と変わるところはないと思います。
後半部分は、カメラやレンズでは紹介される機会がありますが、双眼鏡は割合紹介はされていない部分です。

因みに、紹介されている時期は、おそらくは昭和40年代前半ではないかと思います。

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Fという名のカメラ ミランダF

ミランダはオリオン銘のフェニックスがペンタプリズムを始めて搭載した国産カメラといわれています。
そのミランダも1963年頃にはFという名の35ミリ判一眼レフカメラを出していました。
生憎、私はこのカメラの資料を持っておりませんので、なかなか紹介出来ずにいましたが、ネタに乏しく申し訳ありませんがとりあえず、カメラショーカタログの一部を紹介させていただきます。

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このカメラはファインダーを交換でき、画像のように露出計を組み込んだファインダー付きも用意されておりました。

しかし、これは非連動で、使い勝っては絞り/シャッター共に連動する上段のオートメックスIIIに一日の長がありました。
とはいえ、それまでのレンズには絞りと露出計の連動が利かず、新たに対応のレンズを出さざるを得なかったのが、この頃のニコンとの違いとも言えそうです。
確か、この時期のカメラ雑誌広告には、ミランダFもありましたが、それの「F」ロゴがなんとなくニコンFの「F」と少しイメージが近いと感じたものでした。

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ニコン製品のアフターサービスについて

1970年頃、まだニコンF2が出ていない頃の販売店向けの説明です。
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これを見ますとカメラ、レンズ、8ミリカメラ、アクセサリーの販売カード、愛用者カードの色で分類していた事が分かります。
読本に載っているレンズやアクセサリーのほとんどが8ミリカメラと共用できなかったのでもっともな事ではありますが、8ミリカメラの購入では、当時、ニッコールレンズ読本3を貰えなかったのですね。

ところで、当時でも、レンズやファインダーなどにも愛用者カードって入っていたかなぁ?はっきりとは覚えていませんが、添付されていなかったような気がするんです。
この頃にレンズやモーター、ファインダーなどを購入した皆さんのコメントをお願いいたします。

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昭和25年ころの国産フィルム価格

以前に昭和29年ころのフィルム価格を紹介しました。
今回はそれより4年ほど遡ったデータになります。

1950s別冊日本カメラ・カメラ年鑑1951年版


以前紹介しました際、昭和29年の大卒公務員の初任給が8700円でしたが、昭和25年の大卒公務員の初任給はだいたい6000円程度でフィルム価格も同じように値上げしている様子が伺えます。

今ではデジカメですから、撮影に関して、フィルムのように撮影枚数を意識するような場合はバッテリーやメモリ容量などで、当時の高価なフィルムでの撮影のような、金銭的な負担を考える事はほとんど無くなってきていますね。


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日本光學工業株式會社 職場の歌 

日本光学にて戦中に歌われていた?職場の歌を紹介します。

A(光友・昭和17年10月号より)

光学兵器を作っている会社だからでしょうか、非軍需関連会社とはかなり雰囲気が違う歌詞なのだろうと思います。それとも、当時は皆こんな感じの歌詞を使っていたのでしょうか・・・
今では到底考えられないですね。

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写真工業とカメラ工業

写真工業は1952年に光画荘より出版されたカメラ雑誌で、私はこれを参考にすることが多いのですが、この雑誌は昭和36年1月号をもって急に光画荘が解散した為休刊してしまいました。
しかし、その後、当時の編集者が写真工業社を立ち上げ、僅か1ヶ月の後に復刊しました。
復刊時は2・3月合併号とし、外面上は休刊とはなっていないようです。
光画荘がどのようないきさつで解散するに至ったかは知りませんが、昭和39年には新たな光画荘より「カメラ工業」なる雑誌が創刊されました。

編集発行人は、光画荘解散前の写真工業の編集発行人である吉岡健吉氏でした。

下はカメラ工業創刊時の表紙と同時期の写真工業の表紙です。
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この「カメラ工業」誌が何号まで出ていたのか知りませんので、ご存知の方の情報をお待ちしております、宜しくお願いいたします。

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コンパクトビデオ SV-200

1983年秋ころのVHS-Cカセットを使った標準モード専用のレコーダーとカメラの広告です。

Sv200a

20数年前は下のようにレコーダーとカメラを別々にしないと、とても大きなカメラになってしまって一般向けとはいかなかったのでしょう。
現在ではコンパクトタイプや一眼レフタイプのデジカメでも上のようなカメラセット以上の画質での動画が手軽に撮れてしまいますね。
また、現在このようなビデオカセットを再生するにしても、機械が壊れて使えない、修理ができないなどで難しくなりつつあるのではないでしょうか。


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ニコン史年表(日本光学時代)

日本光学工業株式会社から株式会社ニコンへと変更したのが1988年4月ですので、下はほぼ日本光学時代までのニコン史年表といえます。

1a
2aニコンナイスショット・リリース第5版より


年表はニコンのサイトへ行けばもっと詳しく見られますので、ネットへ繋いでいる場合はそちらをお勧めします。
これは、たまたま、私の持っていた書籍「ニコンナイスショット・リリース」から画像を取り込んでいた際、製本が壊れてバラバラになってしまい、それならばついでに(笑)とばかりにスキャンした次第です。
こういった悲劇は先日紹介しました「カメラレビュー」誌も起こりやすく、私の持っている何冊かはバラバラになってしまいました。

因みに、私はこれをファイルに入れて、ニコン製品の発売年月を調べるのに便利に利用しています。皆さんもいかがでしょうか?

余談ですが、これに載っている、1970年3月の大阪万博で使われたプロニッコールは以前に「画角220度の映写機用魚眼レンズ」として紹介しました、魚眼レンズも超広角レンズなので間違いではありませんが、個人的には説明に魚眼レンズと入れて欲しかったところです。

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ニコンカメラポスター 亀倉雄策の代表作

これは亀倉雄策氏の代表作の1つとも言われているニコンカメラのポスターです。
Nikonposters
製作年が1957年ですので、ニコンS2の時期ですが、全く古さを感じさせません。
私は亀倉雄策氏の作品としては東京オリンピックのポスターのイメージが強烈に刷り込まれている世代で、ファンでもありますが、このニコンカメラのポスターは実は1970年代の後半になってから知りました。
これを見ていると、何となくニッコール年鑑のカバーデザインを思い浮かべてしまいます。それらも亀倉雄策氏のデザインなのですが、おそらく黒を基調とした物が多かったからだと思います。

大きな画像

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カメラレビュー誌

アサヒソノラマから出ていたカメラ雑誌で、カメラのメカニズムなどの情報がメインの物でした。
当初は昭和52年10月より季刊誌で出ていましたが、途中から隔月刊となり、また季刊誌に戻りました。
その間に別冊としてクラシックカメラ専科が出て、増刊として、それまでに出ていたモダンフォトグラフィ誌との提携のカメラテスト記事をまとめた物も出ていました。
下はそのカメラレビューの最後の刊にあったバックナンバーの索引です。
A

このカメラレビュー誌には荒川氏の明るい暗箱のこぼれ話やニコン物語が連載され、それが後に「ニコン物語」として単行本化されました。

また、写真工業の技術資料のように、こちらも最新カメラの技術の公開を各メーカーからの情報として掲載されていましたので、当時毎号楽しみにしていました。今ではアサヒソノラマのクラカメ専科や写真工業といった雑誌も無くなってしまい、非常に残念です。

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ニコンを取り上げた書籍

A


左はダイヤモンド社刊 ASIN: B000J6W7OM 発売日: 1985/03で、ニコン製品開発に携わった開発者を取材、そのヒューマンドキュメントをまとめた物です。

右は東洋経済新報社刊、ISBN-10: 4492551743、ISBN-13: 978-4492551745、発売日: 1990/09で、一方こちらはニコンという企業に視点を置いたビジネス書といった趣の書となっています。

どちらも20年ほど前の発刊で、今では古本でしか手に入りませんが、見つけられれば、それほど高価ではないので一読されるのも良いかと思います。

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「100年ぶりの技術革新」 CFシステム

一般にはなじみが薄いため大きく報道される事もありませんでしたが、1974年7月に完成し1976年発売のCFシステムは表題のように言われ話題を呼び、顕微鏡の世界を一変させた技術だそうです。
画像は発売当初頃のカタログの一部です。
Cfsystems

カタログに有りますように特徴として、倍率色収差が画面中央から中間部、周辺部まで良く補正され、接眼レンズの視野環の色つきが無くなり、それに伴い、100%有効視野としての観察が可能となりました。
また、対物レンズ、接眼レンズの軸上色収差も改善され、それぞれがそれ自体で完成した光学系のため、あらゆる分野に応用できる利点があるとのことです。

この完成により、当時危機に陥っていた光機事業部の再建に貢献し、シェアを大きく伸ばしたたとのことです。
因みにCFシステム開発にはウルトラマイクロニッコールの生みの親である脇本善司氏が大きく関与していたそうです。

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ニコンカレンダー

皆さんも晩秋から年初にかけてニコンカメラを買ったり、行きつけのカメラ店からカレンダーをいただいたりした経験はあろうかと思います。
下はニコン(当時の日本光学)がカメラ店の販促用やニッコールクラブ会員への頒布などに出していたニコンカレンダー1974年版の最終面にある各月撮影データの載った目次?です。
1974nikoncalendars

B3くらいのサイズ、表紙、各月1枚、目次面、厚紙の台紙合わせて14枚を閉じたもので、当時は金属のらせん状のとじ金具でしたが、近年の物は環境に考慮し金属は不使用で、持ち帰り用の専用の袋もゴミ袋と同様素材の炭カル含有の表記があったように記憶しています。
また、例年大体数十万部の発行部数と聞いています。

この1974年の物は、我が家に残っていた一番古いカレンダーで、作品データを見ますと、ニコンF系とニコマートFTnばかりで、この年はまだF2で撮った作品が載っていませんでした。
当時の書き込みが各月に残っていて、それも休日ばかりで、撮影会やら、自転車旅行など遊びの予定などが多く、思わず苦笑してしまいました。

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ル・マン24とニコン

ニコンはル・マン24時間レースに参戦しているマツダへ1982年からスポンサーの1つとなっていました。
以前にそのレースカーへ搭載されたル・マン仕様のニコンF3を少し紹介しました。今回はその翌年1983年のル・マンでクラス優勝(総合12位)したときの日本光学の紹介記事です。
Leman24a

この頃はまだ、日本国内では報道でのニコン使用率は高かった事も反映しているのでしょうか、この記事ではしっかりとニコンがジャーナリストに多数使われている様子を宣伝しています。
ニコンは確か1985年ころまでマツダへル・マン24のスポンサーをしていました、マツダは1991年に総合優勝をしていますので、その頃までスポンサーの1つとなっていれば宣伝効果も大きかったのかもしれませんね。

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セールスマニュアル

下は日本光学時代のセールスマニュアルバインダーの表紙ロゴ部分です。青系の表紙の他レンズ用は別の色の同様ロゴの表紙となっていました。
Salesmanuala

これらはいづれもカメラ及びレンズ用の物ですが時期により結構多種ありました。他にもメガネやその他光学機器などは別に用意されていたようです。

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Fという名のカメラ オリンパスペンF

先日のコニカFに次いでオリンパスペンFを少し紹介します。
こちらはコニカFと違い、多数が発売され、いくつもの雑誌やウェブでも取り上げられていますから今更なのですが、カタログの表紙と仕様部分のみ紹介します。
Penf1a
Penf2a
ペンFに関する紹介記事では、写真工業昭和38年11月号が30頁もの特集で、その中には米谷氏の解説や座談会など含まれ興味のある方も居られると思いますので、機会があれば紹介したいと思います。


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Fという名のカメラ コニカF

ニコンFと同時代には日本光学以外にもFを冠したカメラがいくつかありました。
有名なところでの1台は表題のコニカFで、もう1台オリンパスペンFといったところでしょう。

そのコニカFですが、当時の一眼レフとしては初めてシャッター速度と絞りに連動した露出計を内蔵したカメラでした。因みに、ニコンFではまだ後付けのニコンメーター(I型)のみで、フォトミックファインダーは出ておりませんでした。

写真工業の1960年1月号に35ミリ一眼レフの露出計連動機構という特集が組まれており、その中で今回紹介するコニカFの連動機構の解説記事が掲載されていました。2頁という紙面の都合でしょうか図版も小さく、解説も多少簡略気味ではありますが、コニカFという割合珍しい機種の資料としては貴重なものだと思っています。
Konicaf1a
Konicaf2a


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プラウベル マキナ670

マキナ670は昭和58年の10月に発売されました。
それまでのマキナ67からいくつか改良されていますが、大きなところではフィルムがそれまで120のみだったのを220フィルムを使えるようにした事でしょうか。他には、ファインダーフレームが距離に連動し移動するようになった事、ホットシューの追加、外観デザインがW67と共通性を持たせた事、同様にW67と同じようにレリーズ穴が側面からボタン中心部になり、レンズ収納時はシャッターが切れないようなった事、パームグリップ(オプション)の取り付けができるようになった事、巻き上げが2回巻き上げになってしまった事などがあります。

発売時の価格は187000円、サイズ120×162×113mmで収納時は厚みが56.5mm、重量は1345グラムでした。
因みに発売台数ですが、クラシックカメラ選書13-戦後国産カメラ10物語-によりますと、マキナ67がコパルコーオン製造分が15000台、マミヤに移ってから2000台の計17000台、W67は約3500台、670は約4000台となっているそうです。
下はカタログの表紙と戦後国産カメラ10物語に載っていた構成図です。
Makina670a
Makina670a_2


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大手5社の総売上高とカメラ部門の比率の推移

先日の大判用ニッコールレンズの広告の時期と重なる、MFカメラ製品が充実していた頃のデータです。
5日本カメラ工業史より

日本光学は昭和49年度まではカメラ部門の売り上げがトップでしたが、キヤノンが追い越し、その後はかなりの独走といった様子です。それが総売り上げではさらに大きくなっています。
この頃の売れ筋カメラ(ヒット商品AE-1やオートボーイなど)をいくつか出している結果ともいえます、また、1985年にミノルタα7000が出ましたが、その結果が数字にもはっきりとでていますね。

少し意外に感じましたのは、ニコンは昭和52年春からAiへ移行しました、その時のカメラ買換え需要があまり数字には出ていないんですね、という事は、売れ行きも私が思っていたほどは多くは無かったということでしょうか。
個人的には、この翌年の昭和53年までにDP-12やMD-2の追加、Aiレンズも数本買っていますので、周りもそうなのだろうっという私の勝手な思い込みが大きかったのでしょう。

また、日本光学のカメラ部門売上比率が昭和58年前後頃から下がってきているのは、総売り上げの中のステッパーの比率が上がってきた為だと思われます。

こうやって見てみますと、ニコンF3が発売されてからの数年間はカメラ部門の売上ってほぼ横這い状態という感じだったのですねぇ・・・確かに大ヒットって有りませんでしたが。


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ニコン製品総合カタログ

ニコンF2以前に出ていた、ニコン製品の総合カタログの表紙です。左から右へと時代が新しくなっていきます。
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これらも同じデザインの表紙で、内容が僅かに違う物がいくつかあります。

今回は左の表紙デザインの中では最後の方のカタログを紹介します。
変則的に6つに折りたたんだ状態の1枚ものカタログで、下はそれを開いた中面の1頁です。
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これには昭和37年頃?の本社ビルや大井製作所が載っています。
また、上下2つに折りたたんだ状態で下方に見える部分ではニコン製品の出来るまでの画像がいくつか載っています。
3a
4a


このカタログを全て開いた製品紹介部分です。
A_2
画像はこのサイトの仕様で、現在は最大で縦横1600ピクセル以内にリサイズされてしまいます、判り辛いと思いますが、あまり普段見ることの無い日本光学製品やその価格なども載っています。
このようなカタログに製品価格を載せていたのは1970年代前半くらいまで見られます。

横3200pixelの画像はこちら

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105cmシュミット望遠鏡

東京大学木曾観測所にある日本光学製の105cmという巨大なシュミットカメラです。
私は望遠鏡を良く知りませんのでとりあえず東京大学木曾観測所の望遠鏡の説明部分を見てください。

下はそのドーム外観とその中に設置されている望遠鏡です。
105cm3ニコン75年史より


主鏡は国内最大の150cm径、重量1350kg、歪まないように裏面及び側面各18か所で均一に支持されて要るとのことです。
総重量65トンにもなる望遠鏡ですが、精密な駆動で追尾精度の周期誤差1秒以内となっているそうです。

105cma

1974年7月の設置で既に30数年を経ていますが、現役で、当初は写真乾板に、乾板が供給不能後はCCDによる撮影が行われているそうです。

ウェブサイトによりますと、毎年8月初めごろに特別公開があり、その時はドーム内へ入って見学できるようです。
また、同敷地内の離れた所には名古屋大学の太陽風を観測するUHF電波望遠が設置されています。
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東京大学天文学教育研究センター木曽観測所

太陽風研究室(太陽圏プラズマ物理学、SW)のホームページ

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Nikon教室

各カメラ雑誌に昭和34年12月から12回に渡り、Nikon教室というシリーズ広告が掲載されていました。
以前にその中の一部を紹介していましたので、ご覧になった方も居られると思います。
今回はそれをまとめてみました。
Nikonkyositu1
Nikonkyositu2

少し文字が見辛いかもしれませんが、おおよその内容は分かると思います。
こちらは50年近く前の広告になりますが、個人的には貴重な資料となっています、現在版でこのようなシリーズ物の広告を出して欲しいところです。


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NikonToday71号

先日NikonTodayの裏表紙の写真を紹介しました、今回はその最新号の内容について簡単に紹介します。
表題の71号にはメインの特集記事として「もうひとつの、光。」が取り上げられています。
詳細はニコンのウェブサイトを見ていただければと思いますが、もうひとつの光とは冷たい光「ルミネセンス」を指し、いろいろな冷たい光を、美しい写真とイラストを交えて紹介しています。
また、単眼式ディスプレーとヘッドホンを備えたオールインワンのモバイルギア、メディアポートUPの紹介、ウェハエッジ検査装置WES-300の技術の一部の紹介、国立天文台 天文情報センター長「渡部潤一」氏のインタビュー記事、製品のピックアップ紹介や新製品紹介なども掲載されていますので、皆さんも是非一読されることをお勧めいたします。

因みに私が毎号楽しみにしている裏表紙「光の情景」ですが、今回は光の屈折によって起こる逃げ水がテーマになっています。
Nikon_today_vol7124a


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Hライン双眼鏡

キッチリ確認した訳ではありませんので、間違っているかもしれませんが、日本光学の民生用高級ダハプリズム双眼鏡としては下のカタログの製品が初ではなかったかと思います。(1976年3月発売)
H1a
H2a

この双眼鏡と同じ倍率ですと、たとえば7倍では、当時ポロプリズムタイプで明るい7×50CFがハードケース付きで33500円と近い価格です。また、9倍ポロタイプでは近い口径の9×35A CF・WFがハードケース付きで28500円と7500円も安い価格でしたから、この新発売のダハタイプの双眼鏡がハイグレードタイプだったのが分かるかと思います。

*この9×30DCFのように口径の後に「D」が付いている製品がダハタイプを表しているようです。

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写真部応援マガジン TopEye

先日紹介しました「Nikon Today」や各種ガイドブックに続き、今回は中高生向け「TopEye」の紹介です。
下は「TpoEye」の創刊号です。懐かしい方もおられるのではないでしょうか。
Topeyeno1a

これは1979年1月の発行で、当初は隔月刊、その後月刊となり、現在はカラー印刷、年5回発行となっています。
今年は30周年となり、3月26日から29日まで開催されるフォトイメージングエキスポ2009 にて、中高生にはTopEye創刊30周年記念限定配布小冊子をプレゼントしてくれるということです。

関連サイト:ニコンイメージング TopEye

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Nikon Today

ニコンの広報誌「Nikon Today」の裏表紙の企業広告?がとても好きで、毎回楽しみにしています。
ちなみにこれは昨年10月に発行された物の裏表紙です。

Nikontoday702a

裏表紙の企業広告ですが、2007年4月号(Vol.67)までは「ニコンのある都」がテーマで、成都やワルシャワなど海外の都市の風景だったのですが、2007年10月号(Vol.68)から「光」がテーマになりました。

勿論記事も興味深いものばかりですし、幸いウェブからいくつかのバックナンバーも含め、PFDファイルをダウンロードして読むことが出来ますので、読んでない方は是非一読される事をお勧めします。


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ニコンセール

私は整理が下手で、いろいろな所へ色々な物を仕舞い込んで、結局どこへやったのか分からなくなってしまう場合が往々にしてあるのですが、今日はそれを少しでも改善しようと引出しの奥の方を引っ掻きだして、ガラクタを処分しました。
そんな中に紙物もいくつか含まれていて、ニコマートのカタログやらこのニコンセールのチラシやらが出てきました。
Nikonsale1a
Nikonsale2a

当時、行きつけのカメラ店で配布されていたのですが、確かこの時にDE-3 F3のハイアイポイントファインダーを購入して、カメラではなかったのですが、画像の青いショルダーバッグを頂きました。
これは今でも残っています、ただ、色味が私には少し派手な感じがして、一度も使ったことはありません。

今ではこのカメラ店もたたんでしまいありませんが、このような販社のバックアップによるセールというのも、小さなお店ではやらなくなってしまったように思います。

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日本光学の参考資料

以前に参考資料として割合入手しやすいものを紹介しました。
今回はそれにも触れていましたが、日本光学が出したもの、あるいは同社技術者が監修したり技術資料を執筆している、信頼出来る資料を紹介します。
Nikon
ニッコールレンズ読本やニコンの世界、ナイスショットは古書店やネットを検索しますと割合安価に見つかる場合もあると思います。これらの日本光学が出した物は多数の版があり、時期により掲載されているカメラ・レンズなどに違いがあります。また、ニコンの世界は版により表紙の色合いが変えてあります。ニコンナイスショットは時期により副題が変わり、表紙の画像も違っています。(他にEMイメージがあります。)
この辺りは以前にニコンの書籍として初版の時期など紹介していますので、参考にしてください。

写真工業から出ていたニコンのシステムとメカニズムやニコンテクニカルマニュアルも時期により掲載されている機種が異なっています。
以下掲載されている代表的な機種です。
1968年6月臨時増刊ニコンのシステムとメカニズム:ニコンF、フォトミックTn、ニコマートFTn
1971年5月臨時増刊最新版ニコンのシステムとメカニズム:ニコンフォトミックFTn、ニコマートFTn
1972年7月別冊・増補版ニコンのシステムとメカニズム:ニコンフォトミックFTn、ニコマートFTn、ニコンF2フォトミック
1974年5月臨時増刊ニコンテクニカルマニュアル:ニコンF2フォトミック、ニコンフォトミックFTn、ニコマートEL、ニコマートFTn、ニコノスII、R10/R8スーパーズーム
1981年3月別冊ニコンテクニカルマニュアル:ニコンF3、ニコンFE、ニコンFM、ニコンEM、ニコンF2、ニコンF(FTn)、ニコノスIV-A
1982年10月別冊・増補版ニコンテクニカルマニュアル:ニコンF3、ニコンFE、ニコンFM、ニコンEM、ニコンF2、ニコンF(FTn)、ニコノスIV-A、ニコンFM2、ニコンFG

共立出版のニコンFマニュアルニコンFニコマートマニュアルは割合高価に取引されていますが、近年は買い求めやすい価格でも見つかるようになってきました。こちらは付属品などアクセサリーの使い方を調べるのにも重宝な書籍です。

右下の「日本光学50年のあゆみ」は、いわゆる社史ですが、従来の社史とは違い、分かりやすい表現と図版で読み物としての性質が強いものになっています。安価に見つけられたら、是非、手元に置いておくことをお勧めします。

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ドイツ人村

ニコン75年史に掲載されていたドイツ人技術者の住宅の姿図です。
Photo
このような住宅が大正9年から10年にかけて8棟建設されたそうです。
下はその社宅配置図です。(この後1棟追加)
Photo_2ニコン75年史より


また、その位置は下のように現在の西大井駅前に在りました。
Photo_3ニコン75年史より


これら社宅はドイツ人が帰国したあとはクラブとして利用され、昭和5年に一部を賛育会大井病院に提供、昭和10年には同病院の改築に伴い解体されてしまったそうです。

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大井工場(現・株式会社ニコン大井製作所)

下はニコンの聖地?日本光学大井工場の四十年史にあった昭和5年当時の配置図です。
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配置図は北を下に描いてありましたので、180度回転した状態にしてあります。
現在および、昭和22年時、昭和38年時の航空写真画像を下のURLで見られますので、この配置図との違いを確認してみてください。終戦時以降の変化が伺えます。
http://map.goo.ne.jp/map.php?MAP=E139.43.42.130N35.35.56.300&ZM=12&from=mapb
+の建物は213号館で、当時からの調整棟のあった位置ではないかと思われます。これは205号館として昭和47年まで使われていました。当初は測距儀の展望調整に使う為の物だったとのことです。
昭和22/38年時の航空写真にも写っている、道路を隔てて北側のE型に見える高層建築物は、1号館(現101号館)で、昭和8年4月の竣工ですので、先の配置図には載っていません。また、1号館は翌年から上方へ増築(4階から5階へ)が行われ昭和10年に完成したとのことです。この建物は関東大震災クラスの倍の地震に耐えられる強度の建物ということで、現在も使用されているのでしょう。
また、現在小野学園女子高になっている所の一部は昭和14年ころにはメッキ場や反射鏡工場がありました。

こちらは50年のあゆみにある大井(第一)工場の画像です。いつのものか分かりませんが、おそらく調整棟からの撮影と思われます。
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この画像の奥中央に見える建物が配置図の事務所棟にあたり、右側の2階建てが倉庫、右端の画像が切れている建物が検査棟ではないかと思います。


私には大井工場(製作所)は101号館の印象が強いので、これが建て替えられる時はきっとかなり寂しく思うでしょうね。

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ニコン標準小売価格表① 昭和50年9月21日現在

下は以前に「1970年代の価格表など」で紹介しました価格表のうち左上中ほどのオレンジ色の①番の物をモノクロにしたものです。(1枚もの4頁)
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この1番の物以前はカラー印刷でした(「1970年代の価格表など」左上の下のほうの物)ので、コストダウンがはかられたのではないでしょうか。

さて、この中面で黒く塗りつぶされた部分が私は気になりました。しかし、ニコマートFTn用のアクセサリーシューII型と52mmL1Bcの価格の間違いであろうことは想像がつきますが、内容は分かりませんでした。
フィルターの方はこの直前までモノコートのL1Bが販売されていて、価格が2000円でしたので、おそらくはモノコートのL1Bの価格が載っていたのではという想像がたちます。

このあとの②版昭和50年11月21日現在ではそのころ発表されたニコンF関連主要アクセサリーであるファインダーとモータードライブの再生産品の価格が載りだしました。
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この時のF-36の直結式電池ケースの側面にあるターミナルはそれまでのコンセント式からF2用のMD-1などと同じ丸型3ピンターミナルになりました。アクセサリーの供用化を考えての事と思われます。

余談ですが、①版の価格表の9月21日はその4年前にニコンF2が発売された日なのです。


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ニコン チルチングレベルE型

下はニコンの土木・建設などの分野で広く使われていたチルチングレベルE5/6型の1983年のカタログです。
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これの原型は昭和22年から製造がはじまったE型ですが、ほぼ今の物になったのは実はE2型からのようです。
原型の初代E(1)型は望遠鏡が倒立像で、倒立像は近年でも高精度の1級や2級の水準測量などでは割合そのようなレベルは使われていたようですが、そこまでの精度を必要としない用途では当時から正立像の物が一般的であまり歓迎されなかったということです、そこでE2型は倒立像を正象とし、昭和24年から作られるようになりました。因みに初代は望遠鏡も21倍40ミリ口径でしたが、E2型からはこのカタログモデルと同じ25倍40ミリとなっています。


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九二機鏡五型

変わったタイトルですが、これは機関銃眼鏡の日本光学での社内名とのことです。
下は四十年史にあったその画像と簡単な紹介記事です。
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記事によりますと、当時日本光学のマークをつけたこれら眼鏡を装着した機関銃を射撃している場面がニュース映画に流れたとあります。

実際は観測用として用いられたようです、私も観測用に少し欲しい気がします(汗)、しかし、制式採用され多量に作られたようですが、このような性質の物は残存数は少ないのか、国内外のネットオークションなどでもめったに見かけませんね。

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新生ニコン(社名変更)

日本光学工業株式会社はご存知のように1988年に株式会社ニコンへと変わりました。
その辺りの経緯は下のようにニコン75年史に少し説明があります。
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以前から少しふれていますが、この時からNikonのマークに使われている文字というかロゴの傾きが少し起き上がり、身長?も少し高くなりました。以前に紹介しましたニコンブランドシンボルマークでの上と2番目以降のもので比較しますと分かりやすいかと思います。
変更当時の話です、結構違和感なく変更されていますが、私は古いマークに愛着があり、相当期間それが気になっていました。

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ニコンシステムチャート

1969年10月のニコンシステムチャート(価格一覧)です。

19691
19692

4つ折で以前に「1970年代の価格表など」で紹介しましたチャートと同様の物で60年代末の時期になります。

メキシコオリンピックの翌年で、レンズを覗けば、ニコンFシステムとしては成熟期でほぼ完成し、次期モデルF2の開発もかなり進んできた頃ではないかと思います。

残念ながらこの頃は、既にニコンS系システムがカタログからは落ちてしまってますが、実際にはいくつかのアクセサリーは問屋などには在庫もあったようで、入手も可能だったと聞いています。

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汎用パッケージのデザイン

ニコンのアクセサリーなどの汎用箱や包装紙に少し以前に使われていたパッケージデザインの代表的な一例です。
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長円内にNikonの物は地色が金色の他、青色の物もあります。
古くはグレーの無地の物やニコンF関連ですとくすんだ黄色地に四角で囲ったFのシンボルマークで抜き文字とそうでない物が並んだものもありました。
また、Nikon、Nikomat、Nikkorの文字の入った青地の包装紙もありました。
これら一連のデザインも前出の亀倉雄策氏が手がけていたということです。
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ドイツ人技術者

藤井龍蔵氏がドイツより招聘した8人のドイツ人技術者が、日本光学黎明期の技術向上に大きく寄与したのは良く知られているところです。

その技術者は以下の方々でした。

レンズ設計 マックス・ランゲ(Max Lange)  在任期間:1921/1/17-1923(日本にて在任中病没)

顕微鏡など光学設計 ハインリッヒ・アハト(Heinrich Acht) 在任期間:1921/2/18-1928/2/17

精密機械加工・機械技師 エルンスト・ベルニック(Ernst Bernick) 在任期間:1921/1/24-1925/8/1

レンズ設計 ヘルマン・デイルマン(Hermann Dillomann) 在任期間:1921/2/18-1925/?/?

一般製図・設計 オット・スタンゲ(Otto Stange) 在任期間:1921/3/?-1924(日本にて在任中病没)

レンズ研磨 アドルフ・ザトラー(Adolf Sadtler) 在任期間:1921/6/16-1925/8/1

レンズ研磨 カール・ワイゼ(Kurl Weise) 在任期間:1921/1/24-1925/?/?

プリズム平面研磨 アルベルト・ルーぺルト(Albert Ruppert 在任期間:1921/1/24-1925/?/?

彼らは5年契約でやって来ましたが2名は任期途中に病没、他の6名は任期を満了したと50年のあゆみには載っていました。

藤井氏による人選にあたっては8人の技術者のあいだの強調という点を重視したと言うことです。

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ファインダースクリーンの秘密を探る

画像は写真工業1990年3月号の特集「ファインダースクリーンの秘密を探る」内にある各種マット面の顕微鏡写真です。
Photo
これを見ますとニコンFの物はスリガラス状、明るいと言われていた後年のAF機などの物は規則正しくプリズムやレンズ状の起伏が付けられているのが分かります。

個人的にはF2時代の物やF3のスクリーンがプレビューの際の深度と実際の深度が近い感じがし、また、明るさとのバランスも良いと感じています。
この記事の出た時、刺激を受けてF2の枠にF4のBスクリーンを入れて使ってみましたが、確かに明るくなりましたが、何か「素通しに近い」という第一印象で、当時はまだ、AF機を所有しておらず、こういったスクリーンに馴染みが無かった為で、結局、すぐに別のF2用Jスクリーンを入れてしまいました。

さて、この写真工業の特集にはこのマット面の違いによる像の鮮鋭さ、拡散特性と明るさ、明るさとピント精度などを解説、他に当時のフラッグシップ機キヤノンEOS-1とニコンF4のファインダースクリーンの比較などが掲載されています。

参考記事:ファインダースクリーンの秘密を探る(前編)
       ファインダースクリーンの秘密を探る(後編)


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ニコン8cmED屈折天体望遠鏡

1987年5月に発売されたニコンの口径8cm天体望遠鏡のカタログ見開き部分です。
80mma

日本光学時代の1967年より8cmの屈折赤道儀天体望遠鏡を販売していました。こちらは焦点距離1200m、F値15で74年の価格は265000円でした。
上のカタログの方は焦点距離480mm、F値6と画像のようにコンパクトで、イメージサークルも大きく中判カメラの使用も可能です、その為のアタッチメントも用意されていました。(89年時価格375200円でした。)

現在ニコンでは民生用の天体望遠鏡関連は製造も販売も終了しています。ニコンユーザー以外でもニコン製の接眼レンズを探している方は割合多いと聞いています。接眼レンズ程度は販売していただけると有る程度の需要は有るのではないでしょうか?
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     ニコン 屈折赤道儀
     ニコン10cm屈折赤道儀
     天体アダプター
     Astro-Nikkor200mmF4

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5cm 6.5cm屈折赤道儀

米国の現地法人NIPPONKOGAKU(U.S.A.)inc.から出ていたニコンS2カタログの最終ページに載っていた天体望遠鏡紹介部分です。
50mm65mma


この頃は日本ではまだ、「ニコン」は日本光学の高級カメラの事でしたが、米国ではニコンは既に日本光学の双眼鏡などを含む製品全般をさしていたようです。

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     天体アダプター
     Astro-Nikkor200mmF4

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ニッコールクラブ 昭和33年頃の申込書

50年ほど前のニッコールクラブ申込書です。
A
A_2
当時の入会金100円は暫く据え置かれていたようで、昭和40年代はじめに入っても変わっていませんが、会費は600円だったのですね。600円という金額、昭和40年代半ばから末頃だったと記憶してますが、確か入会金がそれくらいになっていました。(バッジと会員証)

また、発起人を見ますと錚々たる方々の名が連なっています。
既に亡くなってしまった方々も居られますが、その当時に遡れるなら、一堂に会したところを見たかったです。


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プラウベルマキナW67の仕様

写真工業1982年4月号に掲載された、プラウベルマキナW67の各操作部説明と仕様などです。
W67a

この特集でのテストレポートでは、先輩のマキナ67からの変更点など比較を交えての説明、テクニカルレポートでは図を添えた機構説明でわかりやすく、今後マキナ67やW67を入手しようとする方の参考になるかと思います。

ただ、このW67は見つけ難く、見つかっても割合高価に取引されている場合が多いのが難点ですね。
私もほしい1台ですが、優先順位は中位です。

参考資料:マキナW67テストレポート
参考資料:マキナW67テクニカルレポート


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光三九 15m測距儀の検査規格と検査結果

戦艦大和や武蔵に搭載された光三九 15m測距儀は以前に少し紹介しました。

日本光学四十年史にはその「光三九」15m測距儀の検査規格と結果が掲載されています。
しかし、それらは極秘兵器であった為正確な記録は残されていなかったとあります。

とはいえ、当時はまだ、製作に携わった関係者が残っていましたので、恐らくはその関係者からの情報と思われる内容が記されています。
Photo
三九式倒分像立体視式15m二重測距儀の制式名がありますが、上の記述には三重測距儀の文字があります。
これは組み込まれているステレオインベルト式1組と、単眼合致式2組の三聯装を意味するのか、誤植なのか分かりませんでした、というか、検査の内容自体私にはほとんど理解できません。(汗)

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EDC(エレクトロクロミック薄膜素子)

EDCは電圧をかけると着色する性質を持った素子で、発色が鮮やか、広視野角、スイッチを切ってもその状態を保つメモリー効果がある、寿命・応答性に優れている、消色時に透明になるといった特徴をもっています。
この特許の出願人をみますと「株式会社ニコン」となっていて、詳しくは調べないと分かりませんが、私の認識では、ニコンカメラでは、ニコンF5の測距ポイント表示用としてEC-Bスクリーンに使い出したのが初めではないかと思っています。
下はニコンF5テクニカルマニュアルのスクリーン説明部分です。
Ecba


しかし、このEDCの実用はそれより早く、75年史によると、自動車用自動防眩ミラーとして、EC防眩ミラーを昭和61年9月に発表し、その後実用化がされていました。

時期的にはニコンF4発売前ですので、当時、ニコンF4が多点測距で出ていたなら、そして、この技術がカメラにも応用可能程度の実用段階に達していたなら、もしかしたらこちらに搭載された機能だったかもしれませんね。

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ミクロン 6x15 CFがロングライフデザイン賞を受賞

10月初旬、2008年度グッドデザイン賞などが発表されました。
その中でニコン製品は「ニコン スピードライト SB-900」生物顕微鏡「ECLIPSE Ti-E」が受賞しました。

また、同時に1997年に復刻された「ニコンミクロン 6x15 CF」が2008年度ロングライフデザイン賞を受賞しました。

グッドデザイン・ロングライフデザイン賞とは、10年間以上、継続的に生産販売されている商品や同一の商品コンセプトが継承されている商品が審査対象とのことです。


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ハンザキヤノン発売記事

ニコン物語の中にあった日本写真興行通信昭和11年2月1日号に掲載されたハンザキヤノン発売の記事部分です。
A

レンズ紹介の部分では「光学軍器製造の最高峰日本光学工業株式会社の製品」と記されていて、日本光学の光学兵器製造分野での重要さ地位の高さを表しています。

価格275円は外国製35ミリ判カメラ(ライカ・一説によると420円程度)と比べた場合かなり安かったようで、頭角を現すだけの好条件を備えているとあります。

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ニコン製品が使用された報道・学術調査など

下は日本光学「50年のあゆみ」にあるニコン製品が使用された報道・学術調査などを年ごとにまとめた一覧です。
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1956年のところで南極観測機材にニコンFなどを正式採用とあります、この頃はまだ、ニコンSPも発売になってませんのでS型(S2)ニコンとの間違いだと思います。この年が南極観測の第一次だったと思いますので、南極には最初からニコンが多数使われていたことが分ります。
また、携帯顕微鏡H型は昭和33年に発売されましたが、同年の第二次南極観測隊にはこれの試作品が持ち込まれたそうです。それをはじめ、この携帯顕微鏡はいくつもの海外調査隊に携行されました。

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第7回ニッコールフォトコンテスト

19598a
これは1959年8月の各カメラ雑誌に掲載されたニコンカメラの広告です。
この頃から国内の広告デザインにも亀倉雄策氏の手が入るようになりましたので、これもその内の1つではないかと思います。

当時キヤノンのRF機の好調に押され、特に低価格高性能なキヤノンポピュレールの影響もあり、レンジファインダーニコンの価格は引き下げられています。その中でも、ニコンS4はキヤノンPの対抗機でしたが、販売台数わずか数千台と振るわなかったようです。

広告の下半分は、ニッコールフォトコンテストの広告となっています、私がすごく気になっているのは、各部推薦の副賞で、ラッキーナンバーのニコンSPとニコンF、しかも、名前まで彫り込んでくれます。
いったいラッキーナンバーとはどんな数字だったのでしょうね?

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昭和32年当時の双眼鏡

四十年史によりますと、昭和32年7月(創立40年当時)の営業品目のうち、双眼鏡は下記の物でした。
ミクロン銘
7×50(軽量中央操出式、軽量水防単独操出式)
8×50
8×35
7×35
7×15
6×30
5×15(以上軽量中央操出式)
6×15(中央操出式)
8×30
9×35(以上広視界中央操出式)

トロピカル
7×50
6×30(以上単独操出式)

下は亀倉氏が昭和30年にデザインしたミクロンのポスターです。
A
このように昭和32年以前はほぼミクロンブランドの双眼鏡ばかりでしたので、亀倉雄策氏がどの双眼鏡をイメージしながらこのポスターをデザインしたのでしょうか、少し興味あります。

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顕微鏡写真撮影装置アクセサリー

下の画像は1973年の日本光学生物顕微鏡カタログにある写真撮影装置アクセサリーの紹介部分です。
A

1973年ですと既にニコンF2やニコマートELが発売されていますが、カタログの更新が遅れているのか、アダプターにはニコンFとニコマートの説明のみとなっています。

また、シャッターの付いてないフィルムホルダーや35mm判用のカメラボックスの価格が思いのほか高く設定されているように感じます。(特に電動のM-35A)
これらの価格は74年には改定され、Fマウントアダプターは1800円から3000円、M-35Sは15000円から17000円、M-35Aは60000円から80000円となるなど価格の上げ幅は一定ではなく値上げされました。

この頃日本光学のカメラ及びレンズも価格改定され数パーセント~十数パーセント程度の値上げがありました。

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1970年代の価格表など

下はニコンの主に1970年代の価格表などの表紙です。
70
70年代は3つ折1枚もの6ページの価格表(左上)と4つ折1枚ものの価格の入ったシステムチャート(右上70年代前半と右下70年代後半)といった二本立てで価格表は店頭に並んでいました。
価格のみ一覧表の方はだいたい年に数回改定されて発行、チャートはだいたい3ヶ月に1度程度の割合で発行されていたように覚えています。
それが1980年代に入ると、チャートと価格一覧表が一本化されて上の画像内左下のような価格表となり、このようなスタイルが後まで続くようになりました。
とはいえ、80年代半ばになると縦長のレターサイズのような形状になり、その後、幅が倍程度のサイズ、さらに後にA4程度の現在のサイズといった変遷を経ました。
私が集めだした60年代終わり頃の価格表はニコンFなどのカタログと同サイズの正方形に近い2つ折り1枚もので、ニコンシステム価格表と書かれていました、それ以前の物は生憎ほとんど持ってませんので、分かりませんが、昭和32年頃の物は以前に紹介しましたのでそちらを参考にしてください。

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ニコンの会

明るい暗箱によると、S型の時代に、日本光学はユーザーが増えてきたので、あまり金のかからない写真コンテストをやるという企画をたてたのがきっかけで、企業のバックアップする写真団体「ニッコールクラブ」はできたとの事です。
当初はタイトルにある「ニコンの会」という名称で計画されましたが、当時、ニコンカメラのユーザーは国内ではあまり多くはなかった事もあり、ライカLマウントカメラにニッコールを着けて使用している人々や、発売直近だったニッコール付き二眼レフ「アイレスフレックス」の購入者も会員資格をもたせようと言うことになり、「ニッコールクラブ」の名称で発足することになったそうです。

また、これとは全く別ですが、「ニコンの会」の盾が掲げられているニコンカメラの販売に力を入れているお店を見たことがある方も居られると思います。
ニコンの会は当初はユーザー向け写真団体に企画され、後には販売店向けへと違う方向に行ってしまいました。

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プラウベルマキナ 67の仕様

以前に少しプラウベルマキナ67を紹介しました。
今回はそれの仕様などの画像です。(写真工業1979年5月号より)
671a
1979年3月発売、価格は158000円でした。

この写真工業355号にはマキナ67のテストレポート及び技術資料がそれぞれ数ページに渡り掲載されていました。


参考資料
マキナ67テストレポート1/2
マキナ67テストレポート2/2
マキナ67技術資料
マキナW67の仕様

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20インチ天体望遠鏡

下は日本光学工業四十年史に掲載されていた20吋天体望遠鏡の部分です。20a

日本光学の天体望遠鏡としては最も早い時期に作られた望遠鏡の1つです。

大正11年の平和博覧会で好評を博したものの未完成品で、説明にあるように同14年には大幅に改良するも満足できる物にはならなかったようです。

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ニコンのことがもっとわかるウェブツアー

ニコンサイトに新たなコンテンツとしてニコンツアーが始まりました。
ニコンのことがもっとわかるウェブツアー”にリンクしてありますので興味のある方はクリックしてみてください。


また、これとは全く別な話題で恐縮ですが、私はニッコールレンズの中では10.5cmF4の所謂マウンテンニッコールと標準5cmF2、広角では2.1cmF4が好きで、割合良く使います。
しかし、2.1cm使用時、ニコンFの場合ミラーアップをしなければならず、カメラ側のファインダーは要りません。
そこで、ジャンクなウエストレベルファインダーにニコマート用のアクセサリーシュー後期型をビス付けした物を作り、2.1cmのビューファインダー用マウントにしようと画策しています。(ファインダー天面も初期型と中期型はボディ上面とほぼ平行で実用上の障害はなさそうに見えます。)
市販のシューベースでも良いのですが、ニコンFのウエストレベルファインダーの中期型は正面にFの文字があり、クロームのFにはこちらの方が私の好みに合ってますので、只今ジャンクの中期型ファインダーを物色中というところです。
割合綺麗な物は持っているのですが、さすがにこちらを改造するのははばかられるので、なんとかジャンク品を見つけようと思います、既に同様の事をやって居られるなど、アドバイスがありましたら、コメントをいただけないでしょうか。

余談ですが、ウエストレベルファインダーの中期型の説明書には「ウェイストレベルファインダー」という表示がされてました。(初期型、後期型の取り説を持ってませんのでその他の時期の表示がどうなっているか知りません)
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機関紙「光友」 四十年史資料

日本光学工業四十年史に載っていた機関紙「光友」を記した部分のページです。
1a
2a
3a
昭和中期頃までの光友の流れを知る資料となりますので、興味のある方は読んでみてください。

私はこの中に紹介されている昭和29年7月号の「(座談会)ニコン物語」にとても興味があります。
当時は、ニコンと言えば、日本光学のレンジファインダーカメラを指していましたので、その開発などに関わる情報ではなかったかと推察しています。(確か、明るい暗箱などにこの座談会の記事が少し引き合いに出されていました。)


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ニコン テント村

9月17日のブログで75年史に載っていた機関紙「光友」を紹介しました。
そのページの中ほどの交友の昭和16年6月号表紙に「テント村案内号」と出ています。

これを見て、私は子供の頃の林間学校(野外学習)を思い出してしまいました。

そんな訳で(汗)、今回は同じく75年史に載っていたテント村の紹介です。
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他にニコン山中ロッジ・ニコン望海荘(熱海)などの保養施設もあります。


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機関紙「光友」

ニコン75年史に掲載されていたニコンの機関紙の紹介部分です。
A

昭和3年11月1日に従業員の融和親睦を目的とした親愛会が出来、それと共に従業員の教養の向上、必要な一般的光学知識の普及を図る要求が高くなり、昭和4年2月11日に「光友タイムス」を発刊したと四十年史にはあります。

その後の光友の変遷などは上のとおりですが、昭和31年頃までの流れは四十年史に割合詳しくありますので、後日紹介したいと思います。

印刷自体が小さく見難いですが、交友タイムス創刊号部分を拡大したものです。
Photo

こちらは同じく光友復刊号の拡大部分です。
Photo_2

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ニコンの企業広告活動

ニコンサイトに公開されたニコンの企業広告活動紹介のページです。
http://www.nikon.co.jp/main/jpn/profile/about/ad/index.htm
この中の屋外広告では海外各都市の屋外(というかほとんどが屋上)広告が見られます、私はついつい全部見てしまいました。

*先日紹介しました「人類の夢とNikon」もあります。

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ニコン双眼鏡

1960年代末頃のニコンの双眼鏡カタログの一部です。
A
双眼鏡の一般知識などの説明部分とその下は当時のニコン双眼鏡の仕様表です。

この頃はガリレオ式のスポーツグラスを除き、全てがポロプリズム式で、まだ、所謂直筒の現代的なダハプリズム式はありませんでした。
因みにこの3倍スポーツグラスの価格は本体3550円、ケース250円の計3800円でした。
ミクロン5×15は本体6310円、ケース490円の計6800円でスポーツグラスの倍近い価格差がありました。

7×15はケースを付けて7900円でした、現在のブラックのミクロン7×15はアイレリーフが長く若干仕様が違いますが価格は32000円で40年ほどの年月の開きを考えると決して高い物では無い気がします。

また、ニコン7×50トロピカルは現行品もありますので、そちらで比較しますと、当時ケース共で19800円、現行品は62000円ですので40年で3倍強のアップ、先のミクロンは4倍強でしたので、こちらは優等生と言えそうですね。

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「人類の夢とNikon」企業CM

テーマ「人類の夢とNikon」とするニコンの企業CMが先日公開されました。

CMは宇宙編、IC編、医療編に分けて構成されています。
こちらに入り口がありますので、興味のある方はよって見てください。

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昭和29年頃のフィルム価格

画像は昭和29年頃の35ミリ判用フィルム価格の一覧表です。(アルスカメラ選書5より)
29a
54年前の一般に手に入るフィルムの種類と価格を記したものです。
この中に日中装填用と暗室装填用がありますが、日中装填用はパトローネ入りを示します。
暗室装填用はなじみがありませんが、当時はフィルムのみを適宜のサイズ(長さ)でカットされた物が包装され
ていて、それをマガジンやパトローネに暗室内で装填するようになっていた物のようです。
その他にも100フィート巻きの缶入りが有り、これは今日でも同様品が見られますのでご存知かと思います。

因みに昭和29年の大卒公務員の初任給(上級)が8700円とのこと、写真撮影の趣味は機材(例昭和28~9年頃の35ミリフォーカルプレンカメラの価格)とフィルム、DPEなどすべてに金銭的負担が大きい趣味だった事が分かるかと思います。

私の感覚では、昭和29年頃の写真趣味は、金銭的には、非常に大雑把ですが、現在の新卒者が200万円クラスの乗用車を購入し、都内で駐車場を借りて維持するイメージに近いのかなと思っています。

*四十年史には日本光学の(平均年齢は分かりませんが、)従業員の基準内賃金平均額は昭和29年1月組合交渉の結果18350円になったとあります。

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映像の歴史を創るニコン

新ニコンの世界に掲載されていた、いわば近年のニコン神話といえそうな、ニコンカメラのタフさをの一面を紹介した記事です。
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4年間海中に没していた箱から出てきたニコノスがそのままの状態でほぼ使用可能だった話などは有名ですが、その時のカメラが掲載されているので今回紹介させていただきました。

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終戦時の生産能力と実績

1945年8月終戦時の日本光学工業の生産能力とその前1年間の実績を記した表です。(四十年史より)
A

終戦直近は物資の余裕もなく、当然なのかもしれませんが、民生品はなく、全て軍需品ですね。
この中の多量生産品に以前紹介しました九三式4倍双眼鏡の具体的な生産数が出ています。
最大で月産7500台の生産能力とありましたが、実際は物資の都合でしょうか年産で15000台強だったようです。
以前記しましたが、これほど多量に作られていた物としては、割合見かけないので、もしかしたら亡くなったおじいさんの遺品としてタンスの中に眠っていたり、終戦後返納してつぶされたりしたのでしょうか。

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カメラ修理のABC 増補版 【復刊書籍】

カメラ修理の本はあまり多くはありません、ニコンカメラに関する修理本は大関さんのものが分かりやすくて良いのですが、ハードカバーで高価ですし、私の場合頻繁にページを捲るという本とはなってません。以前出ていた中訓一著「カメラ修理のABC」は教科書的なものとして人気が有り、私は持ってなかったので興味があり探してましたが、古本で出てきても高価でした。
それが復刊ドットコムにより「カメラ修理のABC 増補版」として新たに加筆されて復刊されることになりました。
アサヒソノラマが無くなったので、ほとんど諦めていたものだけに、復刊決定され早速注文してしまいました。

とはいえ、発送は10月上旬で暫く後になります、ただ、発行部数もどの程度か分かりませんがこれを書いている時点での在庫は72冊とあり、探していた方は早めに注文した方が良いのかもしれません。

復刊と言えば、やはりニコンファンとしては資料として一級品の日本光学社史類、「光とミクロと共に ニコン75年史」や「日本光学工業株式会社50年のあゆみ」、「日本光学工業株式会社四十年史」、「日本光学工業株式会社二十五年史」を是非復刊して欲しいと思います。
(非売品なので難しいかな?、因みにまだリクエストは上げてません)

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大型双眼鏡

下の画像は1970年代初めの頃の双眼鏡カタログ内の大型双眼望遠鏡を紹介した部分です。
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このサイズの双眼望遠鏡はロングセラー商品で、創立当時既に「千里鏡」という名称で12cm(20倍3度)と8cm(15倍4.7度)などが発売されていて、その後もドイツ人技師による設計(所謂ドイツ式光学設計)の大型双眼鏡が12cm(20倍3度、15倍4度)や8cm(15倍4度)作られ、更に種々改良が加えられ戦中制式採用に至るなどした物が原型とのことです。(初めは藤井レンズ製造所以来の設計が元になっていたが、ドイツ人技師招聘後はドイツ式に設計しなおし、それが後まで続く原型になっているということです。)


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桜電子工業株式会社

桜電子工業株式会社、見慣れない会社名ですね、社名を聞いただけでは日本光学と関連があるとはなかなか想像がつきませんが、じつは多くの写真用のニッコールレンズはここから出てました。


ここは、元は富士重工業株式会社の系列会社であったのですが、当時(昭和38年頃)業種の転換を行うことになったのを機会に、、業績が好調で、日本光学の各工場施設が手狭になった為の打開策として買収し、カメラ部門の製品を生産する工場として再発足させたのが日本光学との関わりの始まりとの事です。


私がここを知った時は1970年代の半ばで既に社名が「株式会社栃木ニコン」となっていて、当時は冒頭のようにレンズを作っている会社という認識でした。
現在は栃木ニコン栃木ニコンプレシジョンに事業分割して前者はニッコールレンズなどを、後者はステッパー関連を生産しています。
下は2004年時の栃木ニコンの沿革などです。
A


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ニコン メガネフレーム

ニコンがメガネレンズを手がけたのは古く1946年にポインタールが初めです。
しかし、メガネフレームはそれより30年近くも遅く1975年になってからでした。(実際の活動はその2年ほど前からになります)
下の画像はその際に販売店などへ配布した資料の中の1ページです。
A
日本人の骨格に合わせたオーソドックスなデザインのものが8モデル計36種ほど発表されました。
その後最近までにサングラスなども含め多彩な製品が出されました、そんな中、以前にメガネフレーム「ニコンF」が新発売されたときそれを紹介しましたが、2008年3月にニコンはメガネフレーム事業から撤退してしまいました。
今後のことは分かりませんが、私は、もう、ニコンはメガネフレームを出さないのではないかと思っていますので、もし、店頭にある流通在庫の中から気に入ったニコンのメガネフレームを見つけたら、是非購入しようと思っています。


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ニコマートのポスター

Nikomat_a

これは亀倉雄策氏デザインのニコマートのポスターです。

当時、店頭で、このようなポスターを見た記憶がないのですが、おそらく印刷枚数もそれほど多くは無く、営業所やサービスステーション、ショールームといった所などに貼られていたのではなかったかと思います。

で、このようなデザインポスターとしては亀倉雄策氏が手がけた日本光学向けのものではニコマート用が最後だとの事です。
とはいえ、ニコンとの関わりが無くなった訳ではなく、他の製品パッケージのデザインなどは後年まで続いてます。


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免税

消費税が導入される前は所謂贅沢品などには物品税が課せられてました。

カメラやレンズもそれに含まれ、1970年頃は十パーセント強から十数パーセント程度の課税だったようです。

ただし、海外からの旅行者や海外への渡航者、学術、教育などの特殊用途に使用する場合は所定の手続きなどを行えば免税の価格にて購入が出来たようです。
下の画像は、それを販売店向けに簡単に説明したものです。
A

カメラやレンズはほぼ物品税の課税対象品ですが、それらの中でも非課税品があり、その基準がどのようなものだったのかしりませんが、例えばフォトミックファインダー系単品は課税品目に含まれ、アイレベルファインダーやアクションファインダーなどその他のファインダーは非課税でした。
レンズもFマウントレンズほとんどが課税品でしたが、なぜかフィッシュアイニッコールは非課税となってました。
モータードライブは非課税、リピーティングフラッシュは課税、スピードライトも課税、リングライトは非課税、メディカルニッコールは課税対象品などよく分かりません。

当時、ニコンはほぼ定価での販売でしたので、医師や一部の教授などが免税価格でカメラやレンズを購入できたのがとても羨ましかったのを覚えています。

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昭和42年時のニコン製品一覧

下の画像は50年のあゆみに掲載されていた当時の日本光学製品一覧です。
50

以前昭和32年当時の生産品同様に、この中にも所謂光学兵器という範疇になる物がいくつかあります。
特殊機器が主にそれで、潜望鏡や砲隊鏡、車上測距儀などの品目に該当品が含まれてます。

また、産業用レンズにはF値が1.0や0.9といった物がみられます。こういったレンズは、めったに市場に出てきませんし、もし、出てきても、撮影には一般的では無いので、価値が低い物として安価に流れるか、海外のオークションサイトなどで珍品として高価に取引されるかなどの両極端な場合が多いように感じています。とはいえ、近年は産業用レンズの注目度も上がってきているようで、安価にという事は稀ですが。

ニコンカメラの方では、ニコンFアクションが出ています、当時、これも1枚ものの専用パンフレットがニコンFのカタログに挟み込まれていましたように、アイレベル付きやフォトミック系ファインダー付きと同様に、初めからアクションファインダー付きで販売がされていた時でした。ケースも専用品が出てました。そういえば、F2にもアクションファインダー付き収められるセミソフトケースCF-2が出てましたが、当時関心が薄かったので気にもしなかったので知らないのですが、F2にも初めからアクションファインダーDA-1付きのF2が売られていたのでしょうか?
ご存知の方が居られましたら、コメントいただけないでしょうか?
(少なくとも、専用のカタログ・パンフレットの類は用意されては無かったと思います。)

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ニコンのアフターサービス

先日、ニコンのサイトにあるニュースで知りましたが、日経ビジネス誌「2008年アフターサービス調査」のデジタルカメラ部門で満足度第1位になり、その結果が4年連続となったそうです。

私は永年オーバーホールや修理、質問などでサービスステーションや客相などにお世話になっていますが、いつも対応にはほぼ満足してましたので、この結果は納得のいくものでした。

ただ、数年前に地方の多くのサービス拠点が整理されてしまい、地方の方にとって、窓口の方との直接のやり取りといったコミュニケーションの機会が減ってしまったのは、当時の台所事情があったとはいえ、少し残念に思ったものです。

話は少し横にそれるのですが、私が以前、仕事中に使っていたあるニコンのカメラを紛失(盗難)した時、サービスに問い合わせた事がありました。結果は分からなかったのですが、その時に伺った話では、盗難や事件などに絡んだ物に関する情報は多少なりとも持っているということです。ただ、それをどのように扱っているかは教えてはいただけませんでした。

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カ鏡

「カ鏡」変わったタイトルですが、実は昭和初期に作られた有効口径25cmの巨大な双眼鏡の日本光学での当時の呼び名です。

昭和11年設計、14年に満州北部国境監視哨にて試験後「25cm特九八号鏡」として制式採用されました。
下は75年史の該当部分です。

25cma

実視界は50倍時1度12分、83倍時44分となってました。

屈折系と反射系で長さは相当違いはありますが、Fマウントのレフレックスニッコール2000mm(対角画角1度10分)の外径が近い(262mm)ので、これを2つ並べて双眼鏡にしたような太さで全長1.5~2m程度の長さのイメージをするとおおよその大きさの感じがつかめるかもしれませんね。(汗)

*75年史には「カ眼鏡」となってますが、四十年史には「カ鏡」とあり、75年史の内容は四十年史の孫引きと思われますので、四十年史の表記を採用しました。

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91cm天体反射鏡写真儀

昭和36年10月の写真工業113号に、カメラ雑誌には珍しく、日本光学の91cmの反射望遠鏡の記事が3ページにわたり掲載されました。
下はその記事の中にあった91cm天体反射鏡写真儀の光路図です。
91cm

わかり難いかと思いますが、主鏡の直径980mm、有効径914mm、焦点距離4600mm F=1:5、カセグレン焦点距離16500mm F=1:18となっています。

この望遠鏡は昭和37年11月開所の旧東京天文台堂平観測所に設置されたもので、現在は「堂平天文台 星と緑の創造センター」として一般に開かれた施設となっています。

ただし、観望会は毎月第2、第4金曜日のみとなっていて、天候にも左右されますので、なかなか参加する機会がないのですが、いつか参加してみたいと思っています。

*記事の内容に興味のある方へ、全文はこちらにあります。

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日本光学 狙撃眼鏡

ニコンの海外子会社Nikon(Thai Land)Co.,Ltd製造によりニコンブランドで多数のライフルスコープが米国市場に発売されていますが、日本国内では一般に販売されているものではないのであまり知られてはいません。

因みにGoogleで「Nikon Rifle Scope」と検索すると結構多数の販売サイトなどが出てきます。

さて、時代は遡って、昭和初期の日本光学時代、光学兵器としてのライフルスコープとしては、実はあまり制式採用はされなかったようです。

試作研究は昭和11年以前頃はドイツ型の焦点移動式の物が研究されていたが、重量軽減の為焦点鏡は固定式となり、更に、耐衝撃性を増す為にいろいろ試作研究が行われて、昭和12年になり小銃用狙撃眼鏡(社内名小鏡十一型)が制式兵器となり九七式狙撃眼鏡と呼ばれ多量生産されました。
この眼鏡は陸軍技術本部より注文により造ったもので、技本式小鏡とも呼ばれたそうです。
その後、潜望式の要求があり、十一型の2.5倍から4倍にした十六型などが試作されたようですがいずれも制式採用されず終わったとのことです。また、その後も3本ネジで機械的に銃身と光軸の平行を忠節する方式の十九型も試作しましたが、多量生産に入る前に終戦となり立ち消えになってしまったということで、結局先の十一型のみ制式採用で多量生産されただけのようです。
Photo(四十年史より)


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株式会社ニコンの子会社など

下の図は2007年12月発行のニコンの半期報告書にあるニコンの子会社や関連会社などを大まかに表したものです。
Photo

一応聞いた事がある社名がずらっと出ていますが、これら会社名からは事業の内容が想像できるものは少ないですねぇ・・・
とはいえ、ニコンのファンなら、これら会社名をある程度は知っていても良いかと思います。


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日本光学 九三式(4倍)双眼鏡

日本光学が昭和7年から終戦の頃まで生産し続けた、最も多く作られた双眼鏡の1つにこの九三式双眼鏡があります。
下の四十年史の記述のように、満州事変以後分隊長クラスの下士官への双眼鏡の必要性が高まり、安価で多量生産可能なこのガリレオ式双眼鏡が選ばれたそうです。

これは、第二次世界大戦末期頃は硝材不足ながら代用品を使い月産7500台作っていたとの事ですが、案外と市場では見かけません、現存数はそれほど多くは無いのでしょうか・・・

これの原型は大正10年に8人のドイツ人技師が来日、その後ドイツ流に修正された双眼鏡とともに新たに設計された3×24小型のII型オペラで、これは対物レンズ2枚張り合わせ、接眼レンズ2枚張り合わせだったものを接眼レンズ1枚に改め4×40で設計したものとの事です。

934a

これの面白いところは、視野内に目盛り(スケール)が見えるようになっていて、通常のプリズム式の双眼鏡なら、接眼が凸レンズなのでその焦点位置に目盛板を置くのですが、凹レンズのガリレオ式ではそれは出来ず、画像のように対物レンズに目盛りがふってあり、接眼レンズの4分の1に凸レンズを張りつけてあるのです。目標に目盛りが重なるように眼の位置を適当に動かし対象物との距離を測る事ができるもので、説明にありますように特許となっています。


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ニコン20cm・15cm屈折赤道儀

20cm15cma
画像は1970年代半ばに出ていたニコンの屈折赤道儀天体望遠鏡のカタログの一部分です。

私は星をやってませんでしたが、確か1973年ころで15cmmが170万円、20cmが350万円程度だったと聞き、漠然とした憧れを持ってこの望遠鏡のカタログを見ていたものでした。

さて、このクラスの望遠鏡から撤退?して久しいですが、(株)ニコンになって私が知っている最も新しいニコンの天体望遠鏡は1999年6月開所のアクトパル宇治に納められた25cmF8の屈折赤道儀です。
この頃は既にアマチュア向けの望遠鏡からも姿を消し10年近く経ち、この望遠鏡が納められた事を聞き、また、10cmクラスの望遠鏡が復活しないかと淡い期待を抱いたものでした。

アクトパル宇の物は20cm・15cmクラスの望遠鏡のドームにも収まるよう小型化されているとの事です。

光学系仕様
 有効経    250mm
 レンズ構成    5群5枚
 焦点距離(設計値)    2000mm
 口径比    F/8
 仕様波長域    400-700nm
 イメージサークル   100mm
歪曲(100mm視野端) (+)0.1パーセント
 分解能   0.5秒角
 集光力   1276倍
 極限等級   13.8等級

機械系仕様
 合焦筒ストローク 0mm-84mm
 微動合焦ハンドル減速比 1/40
 合焦目盛り 0mm-80mm、1mm間隔
(副尺0.1mm読み)
 全長(合焦筒縮小時) 2387mm
 総重量(副望遠鏡は除く) 約100kgf
 (付属バランスウエイト9kgf、鏡筒保持金枠約10kgfを含む)


関連記事
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     天体アダプター
     Astro-Nikkor200mmF4

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日本光学工業東京支店

下の図は大正7年1月に日本光学工業の東京支店としてスタートした芝工場(昭和2年時の日本光学本社)の付近図や鳥瞰図、平面図です。
A
A_2(四十年史より)

日本光学工業の東京支店とは元はといえば合併した藤井レンズ製造所のことであり、合併上の手続きを容易にする為の幻(名目上)の東京光学工業株式会社のことです、明るい暗箱やニコン物語などを読んだ方はご存知だと思います。

因にここの現在の住所は、東京都港区三田5丁目7−8でマンションになっています。

日本光学の聖地?大井製作所はなんとか健在ですが(汗)、かつての本社は見る影も無く寂しいものですね。

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日本光学、昭和32年7月の生産品

下は會社創立40年目の昭和32年7月現在の日本光学工業の生産品です。
327a

少し気になったものにモータードライヴ装置という品目があります。
S2時代には連続撮影用装置にモーターワインダーと呼ばれてましたので、おそらくそれを挿しているのだと思います。

この表は日本光学四十年史に掲載されていたものです、四十年史は発行が遅れて昭和34年に出ていますので、この時には既にSPが出ていて、連続撮影装置はモータードライブとして、ほぼ同様の装置が発売されていました。社史編纂室では後者の表現をしたのではないかと想像しています。

そのほかに、戦車用の測距儀が、品目だけですが掲載されているのも、余り公表されるものではないという認識でしたので意外でした。

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謎?のデザイン・ニコンF5ピンバッジ

前日に続き、オリジナルグッズ関連です。
F5a

画像はニコンF5がカメラグランプリを受賞した記念に出たオリジナルグッズの1つでピンバッジ5個のセットです。

これらの中の3つのデザインはF5をモチーフにしていますので分かりやすいですね、また、左下のもF5のフォーカスセレクタだろうと想像できます。

しかし、右下のが何がなんだかさっぱり分かりませんでした。

実は、これは日本のカメラメーカーが作ったカメラということで、日本伝統の筆と墨を意識し墨の黒さで重量感を、筆のかすれで日本の伝統美を表現したものだそうです。

そう言われれば、まあ、そうなのか・・・って思いますが、何か説明書きがあっても良かったのにと当時思った次第です。

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科学映像館 「科学の眼 ニコン」

科学映像館サイトには1966年10月製作のニコンFなどの製品製造を紹介した日本光学のPR映画があります。
科学の眼 ニコン」にリンクしていますので興味がある方はクリックしてみてください。
日本光学のPR映画は1956年5月に創られたのが最初で、当時はニコンS2型などが取り上げられていたそうで、これはその改訂版ということです。
その後も、1972年3月には「ニコンのできるまで」というPR映画が創られました。

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カタログデータ

ニコンに限った事ではないのかもしれませんが、カメラやレンズのカタログの仕様の数値が初期の頃と後期の物で変わっていることがあります。*(これは取り説にもいえます。)
これはカタログを作成する段階では試作品などからデータを取り、それを掲載する場合が多い為で、後に量産品でデータを見直し、その後のカタログでは、そちらに改められるからそうなると説明を受けました。
この試作品から量産品への見直しでデータ数値などが変わる場合でも、仕様変更に伴う場合は分かりやすいのですが、そうでない場合もあって、一斉に見直しが行われたのか、突然いくつかのデータが変わる場合もあるようです。


少々古いデータですが、ニッコールレンズの重量が変わっているのが分かると思います。

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望遠レンズでは100グラムほど重量が増えていたりします。広角レンズでも5グラムほど変わっているものがありますね。(上1998/2/25版、下1998/12/25版)


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コンパクトデジタルカメラのマクロ撮影倍率

フィルムカメラ、35ミリ判のマクロ撮影などを例にとれば、1/2倍とか等倍撮影というのは、フィルム画面24×36mmの範囲に24×36mmの範囲を写しこめると等倍、48×72mmだと1/2倍などと分かりやすいのですが、デジカメの場合、そういった定義?は不勉強で聞かないです。

まあ、今のニコンのデジイチの撮像素子のDXフォーマットサイズやFXフォーマットサイズと同じ範囲を写しこめば等倍として、フィルムカメラでの画面サイズと同じような考え方で良いとは思っています。

しかし、撮像素子の小さなコンパクトデジカメではそれもちょっと無理があるように思っています。
本来は、一般に公表してないCCDやCMSOなどのセンサーのパラメーターも考慮しないといけないのかもしれません。で、私は、そういった難しい話は苦手なので(汗)、勝手に、コンパクトデジカメでも、ほぼ35ミリ判サイズ相当を画面いっぱいに写しこめば、(35ミリ判)等倍相当、48×72ミリに近い範囲ならば1/2倍相当と勝手に決めてやっています。

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DXコード

前回のDX-1とDX繋がりという訳では無いのですが、今回は今では当たり前になったDXコードについての小ネタです。
これは1983年3月にコダックが始めた35ミリロールフィルムの電子読み取りコードで、同年4月に発売されたコダカラーVR1000から採用されました。
ニコンではこれに対応した一眼レフカメラはF-301と501が最初でした。

DXコードはパトローネの銀/黒のCASと呼ばれる市松模でカメラ側自動感知をする為のコードという認識の方が多いかと思います。(CASではフィルム感度と撮影枚数、フィルムラチチュードの情報をカメラに与えます。)
しかし、それだけではなく、下の画像のように4つのコード情報と裏蓋の窓から読み取りできるようにしたフィルム種別文字を総合してDXコードということらしいです。
Dx_2写真工業1983年5月号より

このDXコードは、後にすべてのフィルムメーカーに浸透しました。
写真工業1983年5月号に紹介記事がでています、詳しくはこちらを参照してください。


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初期の天体望遠鏡(民生用)

画像は四十年史に載っていた戦前に出ていた一般向けと思われる天体望遠鏡の姿と仕様表です。
詳しい事は記されていませんが画像のとおり経緯台で接眼レンズはハイゲン型の7粍、9粍、12.5粍、18粍、25粍の5種と22粍の地上用が用意されていたとあります。他に10センチ(4吋)のものには口径25粍、倍率10倍、視界50度のファインダーが付属していたそうです。(106図C参照)
A
日本光学工業設立当初から2吋と3吋の望遠鏡が作られていたそうですが、上の画像の物がそれにあたるかは分かりません。

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参考資料

A
A_2
F5a
F40a

絶版のニコンカメラに関する書籍で、これら4冊は確度が高く、割合入手もし易く、私が参考書としている物です。(右のバナー、「おすすめのニコン関係書籍」にも一部含まれています)

他に写真工業社の別冊でニコン・テクニカル・マニュアル(増補版)昭和57年10月10日発行、同昭和56年3月20日発行、ニコンのシステムとメカニズム昭和47年7月10日発行、同社臨時増刊でニコン・テクニカル・マニュアル昭和49年5月15日発行通巻272号、ニコンのシステムとメカニズム'71 5月臨時増刊(通巻232号)、ニコンのシステムとメカニズム'68 6月臨時増刊(通巻194号)などは、製品や技術資料などを日本光学の開発担当者が執筆されていますのでお勧めです。ただ、こちらの物は、古書店などでもあまり見ないですし、価格も2~3000円以上で売られている場合が多いのが難点です。

日本光学発行のニッコールレンズ読本66年版、同67→67年版、ニッコールレンズ読本3、ニコンの世界、新ニコンの世界やニコンナイスショット各版はレンズデータや年表などのほかに著名写真家作品や対談記事などの読み物も充実しています、当時カメラを購入されて愛用者カードを送り、入手されている方も居られると思います。
こちらは古本で安価に出ている場合もありますので、持って無い方で興味を持たれた方は古書店巡回やネットを検索されてみてはいかがでしょう?
A_3
ニッコールレンズ読本1966年版配布が始まった頃の広告です。当時、200円で読本の購入も出来た事がわかります。
また、この頃は雑誌広告もニコンFとニコマートの広告が隔月ごと交互に出ていたようです。

この他には日本カメラの別冊でニコンシステムの使い方、同増補改訂版、ニコンの使い方各版も取り説てきな資料として、こちらも、割合古本で入手しやすい物ですのでお勧めします。


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日本光学の潜望鏡

1a (日本光学工業四十年史より)

こちらの冒頭に触れられていますように、日本光学工業設立動機の1つにこの潜望鏡の国産化があったのは皆さんご存知かと思います。

資料としても、読み物としても、楽しめるかと思います、関心のある方はこちらを見てください。

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携帯光電話

光電話といっても、光ファイバーを利用するIP電話のことではありません。

実は昭和初期の頃、まだ、戦地で無線式の電話が無い頃利用されていた通信機の事です。
日本光学工業も、この、光電話で変調部などの開発に携わっていたようです。(電球、光電管は東芝、増幅器は北辰電気)

A
画像は野戦用携帯光電話器とその光学系、歩兵連絡用小型光電話器の光学系です。
これらは昭和12~3年頃制式採用され多量に生産されたようです。

野戦用携帯光電話器は手回し発電機と本体を常時2人で操作していたとの事です、同時に送受話可能で、最大到達距離は昼間は4000メートル、夜間で6000メートル、赤外フィルターを使用した場合それぞれ20~30%到達距離が短くなるとあります。
光学系は対物レンズ有効系が100mm、焦点距離350mmF3.5、ファインダー倍率8倍 32mm、
可変スリットによる機械変調方式とのことです。

また、歩兵連絡用の方は本体、増幅器、電池など機材すべてを1人で扱い、昼間到達距離は2000メートル、夜間で3000メートル、赤外フィルター使用時はそれぞれ20%程度短くなるとあります。

しかし、どのくらいの重量があるか分かりませんが、運ぶのも大変だったろうし、通信時、赤外線を使ったとしても僅かな可視光は出ていたでしょうから夜間などではそれを標的にされたりして、当時の通信兵は大変だったでしょうね。

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東京光學工業株式會社(資料編)

先日少し触れました、半年足らずの間存在した、名目上の幻の東京光學工業株式會社の経緯とそれらの資料を紹介します。
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ニコン物語の当該部分(24ページの一部~26ページの一部)です。


ニコン物語で参考にしたと思われる資料に、日本光学工業四十年史第一篇第三節が有り、経緯などが簡潔に分かりやすくまとめられています。藤井兄弟の”かせ”の部分も契約書の第九条に記されています。
これと戦中にまとめられた二十五年史の東京光學部分の資料を1つにしましたのでこちらの「tokyokogaku.pdf」 を参照してみてください。

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満州光学(資料編)

今回は以前に紹介しました、僅か7年で姿を消した日本光学工業の別会社、幻の満州光学工業株式会社に関する資料として40年史の当該ページを一部紹介します。
1a
その他のページなど興味がある方はこちらから「四十年史滿洲光學資料.pdf」をダウンロードしてください。
二十五年史は昭和17年と戦時中の編纂ですので資料としては昭和13年から16年までの期間と僅かですが会社の立ち上がりの様子などが分かります、興味がある方はこちらの「二十五年史満州光學資料.pdf」もダウンロードしてみてください。

余談です、幻の會社つながりで、実は「東京光學工業株式會社」というものが存在しました。ご存知でしょうか?
トプコンの前身の「東京光学機械株式会社」とは違います。
日本光學工業の出資により作られた実質もと「合資會社藤井レンズ製造所」のことです。
これは日本光学設立後少し遅れて買収合併された「合資會社藤井レンズ製造所」との合併とその後の活動をスムーズに行う為だったと言われています。このへんの経緯は「ニコン物語」に少し記されています。
半年足らずの幻の會社ですが後日関係資料を紹介します。

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Ai化・・・

Aia
Aia_2
上の画像は31年前、ニコンがAi化した時の説明(一部分)です。
当時は従来のレンズとの互換性を相当重視してましたので、Ai仕様発表当初のカメラ(F2、EL2、FT3)は全てAiレンズとの連動レバーを倒して(F2は格納?して)解除する事が可能でした。また、その後のFM、FEまではそれが保たれていましたので、上の説明はまあ良かったのですが(汗)、EM以降からなし崩し的に互換性が薄れていったように感じています。
とはいえ、AF化され、さらにAF-SやVRなどまで導入するにあたり、さすがにニコンF当時のカメラやレンズとまでの互換性を完全に保たせるのが厳しいのは分かります、むしろFマウントをよくここまで引っ張ってこられたなぁと言うのが私の感想です。(絞り環まで無くなってほぼ別物にはなってますが・・・)
そうそう、従来レンズのAI改造を20年間続けていたのも、ニコンならではなかったでしょうか。おそらく他のメーカーではここまで面倒を見てくれなかったように思います。

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光の世界

ニコンの企業広告などが公開されています。
光の世界
テレビCMやラジオCMが視聴・聴取できますし、テクノロジー記事やそれに関連するリンクも貼られ、これらを見ているだけでも昼休みの時間つぶしになると思います。(笑)
私はしっかり、最後のアンケートまで答えてしまいました。

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ターミナルキャップ

FやF2、F3などの少し古いカタログを見ますとそれらにはキャップが付いて無い状態で掲載されていました。

製品名や価格の記載がある写真には、付属している物を全てつけて撮影する方針に変更になり、現在のニコンのカタログでは、カメラのリモートターミナルやシンクロターミナルなどそれぞれキャップが付いた状態で掲載されています。

いつ頃からこのように変更になったのか手持ちのカタログで調べましたら、F4ではまだキャップ無しで撮られ、F90あたりから、このように方針が変わったようです。

ターミナルキャップのデザインも面取り部分が細かいギザの物から、現在の凸凹の大きめの物になったのは、ちょうどこの頃からでしょうか?少々気になります。


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ニコン 屈折赤道儀

以前にニコンの10cm屈折赤道儀を少し紹介しました。
今回は続編で、ED6.5cmや少し古い8cmの屈折赤道儀天体望遠鏡を紹介します。
まずはニコン屈折赤道儀カタログの6.5cmの物を紹介しているページです。
65mma
こちらは8cm屈折赤道儀のカタログの1部分です。
8cma
そして、8cmの価格表とその下が10cm、6.5cmの価格表です。
8cma_2
A
8cm屈折赤道儀は確か1970年頃は木製三脚の物が10万円を切っていたように記憶しています。
その後大幅に価格改定されました、表は74年のものです。
また、80年に出た10cmの方は当初セットが42万円でしたが、85年にはおよそ20%のアップ、495000円となりました。
関連記事
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     5cm 6.5cm屈折赤道儀
     ニコン20cm・15cm屈折赤道儀
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ニッカカメラIIIS型とニッコール1.4

前回に因んだ話です、55年前、これらニッコールレンズは当時世界有数の高性能レンズという認識が広まった時期でもあり、更に当時世界最高の明るさの5cmF1.4レンズを搭載するために、ニッコールを着けて売られるニッカカメラの方でもフィルム面の精度向上の他本体側の性能アップ、各所改良が行われました。

とはいえ、記事の内容をみますと、表題のニッコール1.4の関連する事は僅かで、そのほとんどは本体の改良部分の解説となっています。

Niccaiiis1a
Niccaiiis2a
(写真工業1952年10月号より)

ニッコールレンズが出て今年75周年との事で報道資料の発表が先月ありました。
それに因んだニコンのサイトで新たにNIKKORブランドをアピールするウェブサイトが公開されました。まだ、一部ですが興味の有る方は行ってみてください。

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「米谷美久が語る開発秘話」

今回はちょっとネタを思い浮かばなかったので、ニコンのネタではありません。(汗)

私が好きなニコン以外のカメラにオリンパスPENシリーズやOM、XAがあるのですが、これの開発に携わった米谷美久(まいたによしひさ)氏の講演が以前に日本カメラ博物館で開かれた「オリンパス展」開催中2回[2005年10月29日(土)と11月26日(土)]行われ、その内容がオリンパスのウェブに掲載されています。

オリンパスファンならずとも必見の価値がある内容ですので是非ご覧になってください。

第1回講演:「オリンパスカメラの歩み」~セミオリンパスI からペン、ペンFシリーズまで~

第2回講演:「オリンパスカメラの歩み」~オリンパスOM-1からXAシリーズまで~

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ステレオカメラによる写真測量

写真工業192号に「写真測量 ステレオカメラによる交通事故処理方法」という記事が掲載されてました。
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この時の記事に紹介されていた機材はカールツアイス社のステレオカメラSMK120でしたが、こちらで以前紹介したニコンのTS-120はそれまでの機種の良い点を取り入れた後継機として開発されたようです。(参照:”今後の問題点"部分)
この記事でおおよその使われ方などは判ると思いますので今回紹介しました。
内容とは関係ありませんが、TS-120を紹介した時の画像に出ていた警察車両も時代を感じさせる物でしたが、こちらは更に古く、私はウルトラQやウルトラマンに出てきたパトカーを連想してしまいました。(笑)

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双眼鏡 NOVAR 7×49と7×50の違い

戦後間もない頃の日本光学の主力商品であった双眼鏡ですが、戦時中も相当数が使われていました。
それらの中でも上記の物は現在でも国内外のオークションなどでたまに見かける事があります。

7倍50mm口径と49mm口径の違いですが、伝聞によりますと、当初7×50のレンズはカシメでレンズを押さえていたそうです。南方での使用では気候の為かレンズのバルサムはがれなどが頻発したそうですが、レンズがカシメられていたので現地では修理が出来ず、対応出来るようネジによる固定に変更されました。
その際のリングがカシメより若干厚く口径が小さくなってしまい、表記も49mmとなったとの事です。

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栃木ニコン テレスコマイクロ

栃木ニコンが2000年夏頃に企画制作しニコンのネット販売でヒットした単眼鏡「テレスコマイクロ 8×20D」です。
これはコンパクトな望遠鏡として、或いは鏡胴を伸ばしてマイクロスコープとして使え、しかも当時発売されていたニコンのスイバル式デジカメの900シリーズやアダプタを介してその他のクールピクスシリーズにテレコンバーターやクローズアップレンズとして使えました。
後にさらにEDレンズ使用で高性能な「テレスコマイクロ ED 6×18D」も2003年に発売されました。

下の画像は初代テレスコマイクロの取り説です。
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便利な付属品も揃っていて初代が実売19800円、2代目が24800円~でした。


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スプリットイメージ・プリズムのピント検出能力

写真工業1977年11月号に一眼レフカメラの焦点板によく使われているスプリットイメージのプリズムについての解説などをアサヒカメラニューフェース診断室で有名なカメラドクターの小倉磐夫氏が執筆し掲載されています。
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R型フォーカシングスクリーンはプリズムの角度を小さくしてF値の大きいやや暗めのレンズに対応していますね。
その為、明るいレンズではピント検出精度が落ちる理由がこれによってわかると思います。

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ニコンF2のライバル キヤノン F-1

今回はニコンF2より半年ほど前に発売されたキヤノンF-1について少し記します。

発売は1971年3月、画像は初期のカタログの表紙と仕様表、挟み込まれていた価格表、後期オリーブドラブのカタログの表紙です。

F-1はボディ内測光の為、FやF2のように別にファインダー内に測光機能を設けなくても良いぶんファインダー廻りがシンプルで、デザインは精悍で私は好みでした。

視野率は、先日のミノルタX1(98%)やこのキヤノンF-1(97%)では、ニコンのF以後続いている100%に届いていないのです。

またF-1は、サーボEEファインダーでAE撮影が可能で、この発表の後、ニコンF2開発陣は急遽DP-2とEEコントロールアタッチメントの開発を早めたと聞いています。
しかし、発表時には間に合わず、カタログにはモックアップを載せましたので、その後、実際の発売の物とは随分違うイメージの仕上がりとなってしまいました。

F1a
このエンジ色のカタログは後のNewF-1の時にも採用されました。
F11a
F12a
F11a_2
F12a_2
F1olivea
1978年3月に発売されたOD(オリーブ ドラブ)F-1です。

F2
1970年代を代表する高級システム一眼レフ3機種の初期カタログを並べてみました。これらは厚紙を使ったり、型押しを使うなど高級カメラにふさわしいカタログとなっていました。


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ニコンF2のライバル ミノルタX-1

ニコンF2の同時代にこれに匹敵するような高級システム一眼レフカメラの1つとして出されたミノルタX1を簡単に紹介します。
1972年秋頃、フォトキナ前に発表されたように覚えてますが、正確な月日は定かではありません。
発売は翌73年の3月で当時のプロ仕様としては珍しかった電子シャッターとAEファインダー(交換式)を取り入れ、また、シャッターダイヤルは本体には無く、ファインダーに組み込むなど他社とは少し違う取り組み方をしていたように思います。
スペック的にはプラス50度湿度95%の環境からマイナス30度の極寒まで使用でき、シャッターの耐久性は20万回、巻き上げは110度で小刻み巻上げ可能、シャッター幕はチタン製、幕速9ミリセカンド、1/100秒でストロボと同調、16秒までの超スローシャッターなどF2を相当意識していたように思います。
この1/100秒とバルブは機械制御でバッテリー切れでも作動します。この値ですが、縦走行シャッターのニコンEMの機械制御の1/90秒より速いんですよね、それもEMの7年前に出てますので相当がんばっていると思います。
さて、下は初期のミノルタX1のカタログの表紙など一部を抜粋したものです。
詳しい仕様などはこちらを参考にしてください。
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X1_3
X1_4
X1_5

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カメラ関連出荷台数

先日(株)ニコンの平成20年3月期第3四半期財務・業績の概況/業績関係データが発表されました。
その中の資料にカメラ関連出荷台数の表がでてました。
203a
「(株)ニコン平成19年3月期決算データより」

今期後半はD3やD300その他デジカメの販売が好調、それに伴い交換レンズの売り上げも伸びたとの事で上の表のH19年3月期決算時に出した通期予想より若干数値があがるようです。
詳しくは決算短信の該当部分を見てください。

随分前から銀塩フィルムカメラが衰退していますが、フィルムカメラを現在販売しているニコンでも、この報告データには出せないくらい小さな数字なのでしょうか。
銀塩派としては悲しいものがありますが、それでも、ニコンに限らず、少しでも永く機材やフィルムを供給し続けて欲しいと思います。

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ニコン旧シンボルマークの詳細図

私の好きな、1960年代後半頃から、1980年代初め頃まで採用された、長円形の中にNikonのマークですが、これの寸法などを記した図が75年史に掲載されていますので紹介します。
Nikon
寸法を見ますと59cmの幅があります、文字Hを100に設定した関係でこのサイズになったのでしょうが、原寸図をおこすにはA0やA1の製図機なら作図するのに適当なサイズでしょうから、これを基準に各種使用する場合、拡大・縮小していったのでしょうか。
これは手書きですし、原寸図ではなかったようで、Oなど外の円は3種の円の接線を繋ぐ必要がある、内側の円も2種の円の接線を繋ぐので表示が細かくなるなどで、数字がつぶれて見難い部分もあります、今ならCADでちょいちょいと描け、しかも文字も見やすいのですが、当時は結構時間が掛かっていたのでしょうね。


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AF-IとAF-Sの名の意味

今回はサラっと小ネタで失礼します。

F3AF用以降で、レンズ内モーターを採用したAFニッコールレンズと言いますと、AF-Iニッコールがあります。
この意味ですが、前半の「AF」は「オートフォーカス」で分かりやすいのですが、後半の「I」は何でしょうか?

実は「特に意味は無い」と聞きました、しかし、強いていえば「Intensified:強化された」と解釈していただければ良いとも言われました。

また、AF-Sの後半の「S」は想像どおりサイレントウェーブモーター(Silent Wave Motor)の頭文字から命名したそうです。

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最高毎秒50万コマの超高速度カメラ

古いニコンの製品カタログの一隅に大抵掲載されているので一度はご覧になった事があるかと思います。
植村式超高速度カメラUHF-500型の画像です。
A
75年史によりますと、このカメラは昭和40年9月に東京大学工学部植村恒義助教授(当時)の考案により「ニコン・植村式超高速度カメラUHF-500型」として発表されました。
爆発、破壊、放電などの超高速度現象の変化を記録・解析する為のもので、4面体回転反射鏡を小型タービンで毎分19万回転させ、その円周上にある長さ1mのフィルムを巻き付けた回転ドラムを回転させ、世界一の(当時)最高速度毎秒50万コマの撮影が出来る仕組みになっていました。
超高速度現象との同期は、タービンが所定の撮影速度に達するとパルス信号を発することにより行い、連続撮影コマ数は600コマまで撮れた、となっています。
また、この開発により昭和43年4月に植村氏及び日本光学設計者は科学技術庁長官賞を受賞したそうです。

連続で600コマ撮影といってもほんの一瞬、僅か数百分の一秒のことなんですが、一瞬の出来事を記録するにはそれでも充分長い時間なんでしょうね。
因みに同方式では今では秒1000万コマ、他の方式ではもっと速い物もあるそうです。

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光三九 15m測距儀

戦艦大和と武蔵に搭載された15mの巨大な測距儀は日本光学が製造した事は広く知られています。

75年史には「設計、製造を受注した」との記述が見られますが、小倉磐夫著「カメラと戦争」や「国産カメラ開発物語」にはこの辺のエピソードもいろいろ綴られてまして、「カメラと戦争」によりますと旧海軍の光学技術者の設計、具体的には「日本の光学工業史」より横須賀海軍工廠光学実験部部長北川茂春大佐が設計、その後任責任者として開発の詰めを青木小三郎海軍大佐が行ったとあります。
「国産カメラ開発物語」では詳細設計と製造を日本光学が受注した・・という文言も見られますので基本設計は海軍により行われ、製造の為の詳細な設計は日本光学が行ったというところでしょうか?

下の画像は75年史に掲載されている15メートル測距儀と光学配置図です。
15ma

制式名は「三九式倒分像立体視式15m二重測距儀」と称するそうです。
性能
基線長:長15.72m
     短15.28m
対物鏡:120mmφ
端反射鏡:140mmφ
倍率:30倍
視界:1°30′
ひとみ径:4mm
測距範囲:5,000~50,000m
外筒の外径:600mm
操作員:三九は7名、四八は5名
当時の価格:40万円(75年史によると「今日の数億円に相当する」とあります。)

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満州光学

皆さんは満州光学工業株式会社をご存知でしょうか?おそらくニコンの社員の方でも大方は知らないと思います。
大雑把には、満州工学は満州に有った日本光学といったようなイメージで良いとおもいます。

50年史によりますと、日本光学は昭和12年陸軍より満州国に光学工場建設の指令を受けたとあります。
現地に担当役員を派遣し、関東軍との協議により、独立した現地法人を作る事を決定、それが満州光学でした。

昭和13年6月16日の同年2回目の発起人総会により満州光学工業株式会社が設立され、発起人も新会社の役員も全て日本光学の重役または部長で占められ、出資も全額日本光学であったと記されています。
1a

会社設立後は昭和13年10月操業を目指し工場建設に取り掛かったが満州現地での作業者の能率が悪く、物資の現地調達も集まらず、内地から輸送し、まがりなりにも操業が開始されたのは昭和15年5月と大幅に遅れたとあります。

当初はオリオン6倍双眼鏡の製造と関東軍からの修理が相当数有りそれらが主な事業でしたが、満州人の作業能率は極めて悪く、旧正月や節句などは10日も15日も欠勤する始末でなかなか成績を上げることは困難だったようです。

昭和19年から20年にかけては米軍の空襲に備えて工場の疎開が必要になり、満州人の寮に機械工場の一部を移転したが、戦局の劣勢が明確になった事による動揺で現地人の欠勤が急増しました。軍の斡旋による挺身隊の導入も効果は薄く、そんな折にソ連軍の進行もあり、事態は急変、8月15日の終戦と共に工場の物資は全てソ連軍により持ち去られ7年の短い期間で満州光学工業株式会社は消滅し、一切の努力は水泡に帰したと言う事です。

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受光素子の特徴

カメラの測光に使われている受光素子には古くはセレニウムを使ったセレン光電池式の物からCdS(硫化カドニウム)を使った物が主流になりました。

セレン光電池の特徴は分光感度特性が比視感度特性に近い事、起電力が小さく電力確保と測光範囲を広くするには受光面積の拡大が必要、電源が不要、セルの形状は自由度が高い、反応が遅い、複眼レンズが必要、生産性が悪い、経年劣化が大きいなどがあります。

CdSの特徴は入力対出力の直線範囲が広い事、安価、可視域での感度が大きく分光感度も良好、低輝度での反応が遅い、入射光が弱いと特性の温度変化が大きい、経年劣化が大きい、光履歴特性(暗黒中に長時間放置した場合反応速度が遅くなる)がでるなどです。

その後CdSに替わって主流になったのはSPD(シリコンフォトダイオード)でした。また、それより少し遅れてGPD(ガリウム砒素リンフォトダイオード)も登場しました。

SPDの特徴ですが、直線性がよく応答速度が速い、入射光のダイナミックレンジが広い、暗電流(雑音)が小さい、分光感度特性が赤から赤外に感度が高く(900nm付近)人の目やフィルムの感光特性とズレがある為視感度補正(フィルター)が必要、光履歴特性、クリープ特性が無く安定している事です。

GPDは直線性・応答性が良くほぼSPD同等です、また、人の視感度曲線に近い分光感度特性なのでフィルターは不要ですが、先に出たSPDとはコスト的にも大差が無く、これといった差別化できる特徴に薄く、また、毒性の強い砒素が使われている事もマイナス要因に働いたのか、ニコンではFMに使われましたが、後のFM2ではSPDになってしまいました。

その後AFカメラなどはCCDが使われだし、F5以降では3D-RGBマルチパターン測光で被写体の色を認識し露出決定しています。

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見えない世界を見に行こう。

2006年10月から11月頃にかけてニコンのイメージ広告が雑誌や新聞などに掲載されました。

Photo

ニコンが多方面において活躍していることを紹介するイメージ広告だと理解しています。
さて、この広告など含め、販売がイメージ戦略などにも力を入れたのも、翌2007年後半はデジイチ部門でキヤノンの販売数を凌ぐほど売り上げが伸びた理由の1つではないかと思っています。

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ニコン10cm屈折赤道儀

画像はニコンの天体望遠鏡としてはハイアマチュア向けの製品として出されていた、10cm(F12)屈折赤道儀のカタログ見開き3ページ部分です。
10cma
カタログ表紙や製品名には、初期の頃は正式にはEDの表記は使われてませんが、上の説明のようにEDレンズを使ってますので、星をやっている方々には「ニコンED10cm(屈折赤道儀)」で通っているようです。
発売は1980年で価格は下のように本体セットのみ決まっていたようです。
10cma_2
私は星をやってませんので詳しくは知りませんが、当時他の同等クラスの物と比べて高価だったようで、欲しくてもすぐには手に入れられず、そのうち購入しようと思っていたが、価格も何度かの改定で大幅に高くなり、1990年頃に販売が終わってしまい、結局手に入れられなかった、というお話をたまに聞きました。
製造数も10年ほどの間に多くても4~500台程度ではないかと聞いていますが、確かな事は知りません。

しかし、赤道偽架台とスタンドがほぼ同じ重さとは、、、組み立て・分解がネジを緩めるだけで出来るような説明がありましたが、扱う物が重量ありますし、温度や結露対策などいろいろあって、山へ持ち込んでの観測は大変なのでしょうね。

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ニコン物語のカバー

画像は荒川龍彦著「ニコン物語」のカバーです。
A

私はこのデザインが好きで、今まで読んでいた手擦れの多い痛んだ本の他に割合綺麗な初版を見つけ、カバーの為だけに購入してしまいました。

さて、このバックの図ですが表紙側はニコンカメラの製造に関する要領などが記されているようです、裏表紙側は青焼き図面の一部を反転してあるのではないかと思います。

この本も「明るい暗箱」同様に復刻出版して欲しかったのですが、朝日ソノラマが解体してしまい、この望みはほぼ叶わなくなってしまったのが残念です。

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ニコン携帯顕微鏡H型

画像はニコンが1958年末から1970年代末まで販売していた携帯用の顕微鏡のカタログページです。
H77a
上のカタログは77年版の物ですが、最終79年の価格は195000円(ちなみに73年は110000円、69年は59600円)、特別付属品の対物レンズNCH40倍18000円 塗沫標本用 カバーガラス不要、ホールグラス 1500円 液体標本観察用、専用ランプ400円でした。

以前この顕微鏡をとある骨董市で数万円で手に入れた方が居られ、とても羨ましく思ったものでした。
今この顕微鏡を手に入れようとするとD300~D3と同じ位するのではないでしょうか。
ただ、ベトナム戦争が盛んだった頃、米軍が野戦病院用に多数購入したそうですから、米国の方が見つけやすいようです。(先日ebayで1台出品されてましたが、確か2000ドル台半ばで終わったと記憶しています。)

Ha
上の画像はカーウィン宇宙飛行士が1973年のスカイラブ計画の際に宇宙船内で使用しているところだと思われます。


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プラウベルマキナ67

1979年3月80mmF2.8の中判レンズシャッター用ニッコールレンズが付いたコンパクト?なブローニーサイズのカメラが発売されました。発売元はカメラのドイで、ドイツのメーカーであるプラウベル社は1975年にドイの傘下に入りその一環で日本で企画し出された物だそうです。(当初開発・設計・試作はドイツのプラウベルで行われ、後に設計から製造まで日本となっています。)
蛇腹をたたむと薄く携帯もそれほど大変ではないですし、距離計連動式で露出計も内蔵されており中判を実用にする方にはこのカメラは現在でも人気があり、程度の良い物は結構良い価格で取引されています。

Makina67a
さてこの露出計ですがニコンF2フォトミックSBやAS、F3のように+○-の3点表示でこのカメラの場合はLEDの点灯式となっています。○のみ点灯だとプラスマイナス0.3絞り以内での適正露出、○と+か-だと1段~0.3絞りの範囲での過不足となっています。ファインダーの二重像部分がおおよその測光範囲(10度)で受光素子はGPDでした。

弱点は、タスキと前板の部分で、衝撃の加わったものは、レンズ光軸の狂いや距離計の狂いとしてあらわれますのでコンパクトカメラのような乱雑な扱いには注意が必要です。

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世界初のオートフォーカス?

え~、実は今回はニコンカメラではありません。
一眼レフ用オートフォーカスレンズはニコンが1971年に80mmレンズの試作品を発表しました。これは以前資料を掲載しましたのでご記憶の方も居られると思います。
しかし、これはオートフォーカスとしては世界初ではありません、実はそれより8年も前にキヤノンがフォトキナで「キヤノンAFカメラ」として発表しています。

ニコンのAFレンズにしてもキヤノンのAFカメラにしても実用には及ばず発表のみで終わりましたが、多少興味があるだろうと思いまして、今回はそのキヤノンAFカメラを紹介したページの画像を掲載します。(写真工業132号より)
Afa


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