3月新発売/ニコンの8ミリ・シネカメラ/¥16,000
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以前にも紹介しましたがそれより少し早い時期のミランダT型の宣伝広告です。
この頃、日本光学のカメラと言えばニコンS2が現行機でした、また、次期新型ニコンの噂もささやかれ出した頃でもありました。
宣伝の文言はペンタプリズムカメラの優位性を謳ったものでしたが、プリセット絞りやシャッターレリーズと同時にブラックアウトするファインダーは、1955年登場のこのカメラでは「まだ」仕方が無かったと言ったところでしょうか。
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以前も紹介しましたが、それから1年近く後のもので、1960年初夏頃のライカM3を宣伝したものです。
この「手にすれば胸に歓びの溢れるカメラ、写真の全域にわたって完璧な作品が期待されるカメラ。くらべるもののない高い精度、丈夫な工作、美しい形態。うちこんだ研究と永い伝統によって高められたカメラ・・・・・」という文言はニコンにも通じる所はありますが、伝統の永さは及びませんね。
画像のM3ですが、製造番号より広告の時期の少し前の製造品で、ついているズミクロンは高解像な放射能レンズで有名な番号帯のものですね。
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1958年に発表されたコンタレックスですが、結局発売は1960年とニコンF登場後になりましたが、その発売発表の場はセントルイスショーだったようです。
アサヒカメラ1960年5月号の新製品ニュースの一部です。
因みに当時の相場1ドル360円で標準レンズ付きのコンタレックスの価格を出しますと、162000円になりますので、ざっくりとですが、ニコンSPに標準レンズF1.4を付けた物2台分に、ニコンFならボディ3台に標準レンズ1本を追加したものに相当します。
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1960年5月、近江屋のニコレックス35を宣伝したものです。
本来、カタログなどと同じ「Nikonの日本光学が生んだポロミラーシステム」とする所を「ポロミナーシステム」として、意味不明なコピーになってしまいました。なんだかコーワのプロミナーと似てなくもありません(汗)
ただ、救いは説明と仕様の方にはちゃんと・ファインダー ポロミラーシステムとなっている点でしょう。
新発売早々ミソを付けてしまった格好になってしまいましたが、日本光学内製では無いからでしょうか、故障などトラブルも多かったようで船出は前途多難でした。
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1956年初夏頃の近江屋がニコンS2と35ミリ判ニッコールレンズの宣伝をしたものです。
以前にも近江屋の広告は紹介しましたが、それより1年近く前のもので、交換レンズの種類が少ないですね。
また、超望遠の50cmや25cmはレフボックスと三脚が付属していたような表記がされています。
翌年のものにはそれらの表記がありません。
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交換レンズの焦点距離や絞りによる効果の違いなどを簡単に解説して居ました。
車やモデルさん、キヤノンの屋上ネオンサインが時代を感じさせてくれますね。
交換レンズに関するキヤノンレポートにはこんなのもありました。
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1956年初夏頃のひのまるやのニコン複写機を宣伝したものです。
今から58年前の35000円という価格は、かなり高価な先日のニッカ複写器の22000円の159%と更に高価でした。
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当時は光学ガラスからカメラまで一貫生産していた事をよく宣伝したいたような記憶があります。
しかし、今思えば、当時の製品総合カタログなどの製造ラインの一部を紹介したページからの刷り込みだったような気もします(汗)
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