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昭和21年春、カメラ過去帳2

前日に続いて、ARS刊CAMERA誌1946年4月号の記事です。
19464s

因みに昭和21年4月は明るい暗箱によると、日本光学でカメラ造りの基本方針が決まったころで、カメラの名がニコンとなるのはその3か月後の7月でした。

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Nikon etc.」カテゴリの記事

コメント

いつもありがとね。
『ジャンボジェットどう飛ぶか』や、『メカニックマガジン』のマンアンドマシンの人だね。
こういうの書いていたんだね。(うろ覚えだがこの人、戦局悪化するまでドイツに長期出張とかって言ってた。)
でも、ものの見事に欧州製ばっか……
まんしゅーこ~がく……

投稿: 名前が無い程度の能力 | 2014年5月21日 (水) 19時59分

1997年にお亡くなりになった佐貫 亦男(さぬき またお)氏と言えば、私には航空工学の専門家で航空宇宙評論家の大御所だったとのイメージが強いです。
昔から「航空情報」誌等への執筆で名前はよく存じていましたが、晩年には航空評論家としての知名度がマスコミにも浸透したのか航空機事故などがあるとよくTVの特番などでお顔を拝見したものです。
佐貫氏はエッセイストとしても知られており、ヨーロッパアルプスの山歩きやドイツカメラの愛好家としてのドイツの道具やカメラの著書もありますね。

しかし、今回の紹介記事のように戦後間もない頃からドイツカメラの記事を書いていたとは認識を改めました。
氏は元は航空機のプロペラ関係の設計者(陸軍 九七式戦闘機等を担当)で、ユンカース社からの技術導入のために第二次大戦中の1941年にドイツへ出張しましたが、6月の独ソ開戦でシベリア経由での帰国が出来なくなり、1943年11月までドイツに滞在することになったようです。

投稿: MARK12 | 2014年5月23日 (金) 21時22分

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