最後のM-1広告
M-1と言ってもライカのM1ではありません、オリンパスのMAITANI-1の方です。
オリンパスM-1は機動性の高さ、システムの発展性の高さなど発表当初から話題にのぼりライツ(当時)よりネーミングについて変更の申し出があった為、割合早い時期にOM-1に改称されたようです。
OM-1改称のスタートはブラックボディからで、公式には1973年5月末頃との事です。
この広告は1973年夏頃(6月)のカメラ雑誌掲載のものですが、この辺りがM-1として最後の広告となりました。
私はこのM-1登場時、小型軽量でシステムも発表当初からしっかり構成され、モードラも使え、しかも毎秒5コマがミラーアップ無しで可能、小さくても持ちやすく、エアダンパによるシャッターを切った時の歯切れの良い作動音など、当時ニコンF2とオリンパスPEN-FTを主に使っていましたが、この広告のコピーのように無視できずとても魅力的に写りました。
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コメント
米谷さんが想い描いた壮大なMシステムのうち、商品化されたものはほんの一部だけでした。もし米谷さんの勤務先がニコンだったら、その多くが実現していたかも?と夢想することがあります。でも、米谷さんという天才は、きっとオリンパスにいたからこそ花開いたのだろうとも思います。
投稿: スポック | 2014年4月17日 (木) 23時16分