ライカ部品全部共通致します。
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1951年春頃のキヤノンカメラ(IIB)とフラッシュユニットの宣伝広告です。
当時、日本光学でもニコンS型が発売され、フラッシュ撮影の広がりを見せてきた頃なのでしょう。
しかし、バッテリーもキャパシターも大型で、画像のようにかなり大袈裟な装備となってしまうのは、今ではとても想像できませんね。
因みに下のようにケースに収めた状態でもフラッシュユニットの装着は可能でした。
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今から40年以上前、タイトルのようなコピー、いかにもニコンカメラ向けに見えますが、ミノルタX1が発売してあまり間が無い頃の広告のものです。
※ニコンカメラでも、ニコンF以前から同様の耐久試験は行われていました。
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ARS刊CAMERA誌1951年3月号の質問室には魚眼レンズについての質問がありました。
その中で当時毎日新聞社が所有していた日本光学製魚眼カメラで撮影した画像も載って居ました。
印刷が荒いのではっきりしませんが、かなり像が流れているようにも見えますね。
しかし、光学系は多少改良はされているとは思いますが、この数年後に登場する全天カメラの物とほぼ同じようです。
この記事の時点で、このカメラはかつて日本光学にて製造され現在は作られていないという事ですが、後に市販された全天カメラの原型と言えるでしょう。
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カメラ毎日1973年9月号の質問箱にはタイトルのような質問が寄せられ、各メーカーがそれぞれ簡単にですが答えて居ました。
その中で日本光学では当時現行カメラの初めの製造基準となるナンバーを公開しているのが印象的でした。
当時は、ニコンFとF2ではほぼ同じような番号帯で推移していたのですが、私はこれらボディの番号は重複しないと思っていました。
それはこの解答にあるように「ボディナンバーが分かれば機種や、いつごろつくられたものであるかまでわかることになります。」と機種特定の目安にもなっていたからで、仮に同じナンバーのFやF2が同時期に存在するとそれが難しくなると容易に判断できるからです。
しかし、実際は機種が違えば同じナンバーも存在していて、私がその事を知ったのはかなり後になってからでした。
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M-1と言ってもライカのM1ではありません、オリンパスのMAITANI-1の方です。
オリンパスM-1は機動性の高さ、システムの発展性の高さなど発表当初から話題にのぼりライツ(当時)よりネーミングについて変更の申し出があった為、割合早い時期にOM-1に改称されたようです。
OM-1改称のスタートはブラックボディからで、公式には1973年5月末頃との事です。
この広告は1973年夏頃(6月)のカメラ雑誌掲載のものですが、この辺りがM-1として最後の広告となりました。
私はこのM-1登場時、小型軽量でシステムも発表当初からしっかり構成され、モードラも使え、しかも毎秒5コマがミラーアップ無しで可能、小さくても持ちやすく、エアダンパによるシャッターを切った時の歯切れの良い作動音など、当時ニコンF2とオリンパスPEN-FTを主に使っていましたが、この広告のコピーのように無視できずとても魅力的に写りました。
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1951年秋頃、ニッコールレンズとセイコウシャラビッドシャッター付でZ型が登場する事を宣伝していました。
以前にも同じ広告を紹介しましたが、こちらはそれより約ひと月ほど早い頃のものです。
微妙な違いが面白いです。
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1967年夏頃のニコマートFTnの宣伝です。
以前にも同じ宣伝を紹介しましたが、今回は2ページ見開きのものです。
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表紙、裏表紙合わせて24頁構成でした。
かなり前になりますが、ニコノスワイドの世界から使い方のページを紹介しましたので、二番煎じとなります。
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