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ライカ部品全部共通致します。

1951年春、ニッカ3型の宣伝広告です。
19513niccaiiis

時代なのでしょうか、これを見ますと、デッドコピーをも宣伝に使っていますね。

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堂々、新登場、11番目。

大判カメラ用ニッコールW300mmF5.6レンズが新発売された事を宣伝したものです。
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1978年は大判カメラ用ニッコールレンズが都合5本登場し、合計11種となりました。

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このアクセサリーの型番を当てて下さい。

あるカメラのアクセサリーの画像です。
シンプルな外観ですね、この型番を当てて下さい。
Accessory


ノーヒントです、いつものようにコメントと解答は後日追記します。

続きを読む "このアクセサリーの型番を当てて下さい。"

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コンタックスS

日本光学のニコンカメラがまだS型登場からあまり年月の経ってない頃、ARS刊CAMERA誌1951年3月号にはコンタックスS型のいわゆるファーストレビューが載って居ました。

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ニコンSとコンタックスS、名前は同じS型ですが、新化という意味では(当時のドイツカメラ全般にも言えそうですが)、コンタックスの方が進んでいたように思います。

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レンズのタイプ(型)

アサヒカメラ1974年9月号の「お答えコーナー」にレンズのタイプを説明した記事が載って居ました。
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2s
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むすびの部分で触れていますが、近年は改良型のタイプ分けが難しくなり、更にズームレンズの普及であまりこういったレンズタイプに話題がいく事も少なくなりましたね。

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フラッシュユニット

1951年春頃のキヤノンカメラ(IIB)とフラッシュユニットの宣伝広告です。
19513s
当時、日本光学でもニコンS型が発売され、フラッシュ撮影の広がりを見せてきた頃なのでしょう。
しかし、バッテリーもキャパシターも大型で、画像のようにかなり大袈裟な装備となってしまうのは、今ではとても想像できませんね。
因みに下のようにケースに収めた状態でもフラッシュユニットの装着は可能でした。

19517s


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+50℃~-30℃と20万回 この過酷な条件に耐えられるか

今から40年以上前、タイトルのようなコピー、いかにもニコンカメラ向けに見えますが、ミノルタX1が発売してあまり間が無い頃の広告のものです。
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※ニコンカメラでも、ニコンF以前から同様の耐久試験は行われていました。

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日本のカメラ・日本のレンズ

ARS刊CAMERA誌1951年7月号に載っていた三木淳氏の記事です。
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これには戦後数年経って日本製カメラやレンズが世界に認められつつある事、その中でもライフ誌カメラマンのダンカン氏やマイダンス氏など著名なジャーナリストが手持ちのコンタックスなどをニコンへ買い替えている事などが紹介されていて興味深いです。
三木氏がダンカン氏をニッコール8.5cmで撮影し、日本光学が受注を得るまでの経緯などは記されては居ませんが、そのようなエピソードを紹介する記事ではないので仕方が無いですね。

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等倍撮影の出来る接写レンズ ライツ・マクロエルマリート・R 60mmF2.8

1973年夏、ライツマクロエルマリートR60mmの接写レンズが発売された事を宣伝したものです。
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当時、日本光学では55mmF3.5のマイクロニッコールPオートが現行品で、この広告の少し後にマルチコートモデルの発売がありました。
マイクロニッコールはレンズ単体では1:2までの撮影倍率でしたし、国産他メーカーの多くもその程度の倍率でしたが、これは中間リングやベローズアタッチメントなど付属品を使わず等倍まで寄れる数少ないレンズの一つでした。


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日本光学 全天カメラの原型?

ARS刊CAMERA誌1951年3月号の質問室には魚眼レンズについての質問がありました。
その中で当時毎日新聞社が所有していた日本光学製魚眼カメラで撮影した画像も載って居ました。
印刷が荒いのではっきりしませんが、かなり像が流れているようにも見えますね。
しかし、光学系は多少改良はされているとは思いますが、この数年後に登場する全天カメラの物とほぼ同じようです。
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この記事の時点で、このカメラはかつて日本光学にて製造され現在は作られていないという事ですが、後に市販された全天カメラの原型と言えるでしょう。

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ニコンS 発売記事

1951年初春頃のARSのCAMERA誌に載っていた新製品紹介記事の一部分です。
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これによると発売は1951年1月予定とあります、海外向けにはそれより少し前に出荷が始まっていて、実際には1950年暮頃には一部出ていたようです。

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冴える!映像感覚

1973年夏頃のミランダオートセンソレックスEEの宣伝広告です。
なんとなく同時期のニコマートELのコピーにも似ている気がしました。(笑)
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ファインダー、マウントエプロン廻りのアップで構成した画像はなかなか迫力もあり、センスの良さも感じます。

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ボディナンバーのつけかた

カメラ毎日1973年9月号の質問箱にはタイトルのような質問が寄せられ、各メーカーがそれぞれ簡単にですが答えて居ました。
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その中で日本光学では当時現行カメラの初めの製造基準となるナンバーを公開しているのが印象的でした。
当時は、ニコンFとF2ではほぼ同じような番号帯で推移していたのですが、私はこれらボディの番号は重複しないと思っていました。
それはこの解答にあるように「ボディナンバーが分かれば機種や、いつごろつくられたものであるかまでわかることになります。」と機種特定の目安にもなっていたからで、仮に同じナンバーのFやF2が同時期に存在するとそれが難しくなると容易に判断できるからです。
しかし、実際は機種が違えば同じナンバーも存在していて、私がその事を知ったのはかなり後になってからでした。

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最後のM-1広告

M-1と言ってもライカのM1ではありません、オリンパスのMAITANI-1の方です。
19736s

オリンパスM-1は機動性の高さ、システムの発展性の高さなど発表当初から話題にのぼりライツ(当時)よりネーミングについて変更の申し出があった為、割合早い時期にOM-1に改称されたようです。
OM-1改称のスタートはブラックボディからで、公式には1973年5月末頃との事です。
この広告は1973年夏頃(6月)のカメラ雑誌掲載のものですが、この辺りがM-1として最後の広告となりました。

私はこのM-1登場時、小型軽量でシステムも発表当初からしっかり構成され、モードラも使え、しかも毎秒5コマがミラーアップ無しで可能、小さくても持ちやすく、エアダンパによるシャッターを切った時の歯切れの良い作動音など、当時ニコンF2とオリンパスPEN-FTを主に使っていましたが、この広告のコピーのように無視できずとても魅力的に写りました。

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感覚尊重。

これも先日紹介しましたニコマートELの広告とそれほど時期は離れて無い頃のものです。
19737s
どうやったのか分かりませんが、このように分光したフレアは今のレンズではCG無しでは出し難いでしょうね(笑)

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あの感動をどこまで引寄せられるか。

1975年暮頃の日本光学の宣伝広告です。
このレンズシリーズには他に広角レンズや特殊レンズなどを取りあげたものがありました。
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豪華副賞のフォトコンテスト

昭和42年8月のカメラ毎日に載っていたアンスコカラーフィルムを使ったフォトコンテストの宣伝広告です。
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当時我々庶民の家庭にも徐々にカラーテレビや車が増えて来た頃でしたね。
それでも高嶺の花には違いが無く、こうした懸賞の豪華景品には応募が殺到した事でしょう。

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アイレスフレックスZ型新登場

1951年秋頃、ニッコールレンズとセイコウシャラビッドシャッター付でZ型が登場する事を宣伝していました。
以前にも同じ広告を紹介しましたが、こちらはそれより約ひと月ほど早い頃のものです。
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微妙な違いが面白いです。

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感覚追及。

当時登場して半年ほどの頃のニコマートELの広告です。
19739s
この頃の広告は自動露出により作画に集中できることを宣伝していました。

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ニコンM型とニコンS型の価格

1951年晩夏頃のあるカメラ店の雑誌広告の一部です。
これにはニコンM型とニコンS型の価格が載って居ました。
19519s
この広告によるとニコンM型は5cmF1.5付きで68400円、F2付きで54000円、シンクロ接点付きのニコンS型は新型レンズ5cmF1.4付きで77400円とM型の1.5付きより9000円も高く売られていました。
一方F2付は54300円と300円の価格差、これがボディの価格差と言えると思いますので、F1.4レンズの値段の高さが分かりますね。

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絶賛の新製品!変倍式ユニバーサルファインダー

1951年秋頃のニコンカメラの広告です。
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当時発売間もない変倍式ユニバーサルファインダーを宣伝していました。
下はその当時の新製品ニュース部分です。
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瞬間遊戯2

以前にも「瞬間遊戯」のコピーで1/4000秒で写し止めた楽しい画像の広告を紹介しましたが、その続編です。
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ビルトイン・フラッシュ・シンクロ

1951年春頃のニコンS型を宣伝したものです。
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これに使われている画像はニコンS型登場時のカタログと同じものです。

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世界一流の高性能寫眞鏡玉

1950年秋頃のニコンM型とニッコールレンズ、その上はキヤノンII-B型カメラの宣伝広告です。
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この2か月ほど後にはS型が登場しますので、M型としては最終に近い広告です、これらはARS刊CAMERA誌裏表紙で3色刷りでした。

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野火重本のF3

有名写真家のF3を紹介するシリーズの宣伝広告で、この回は野火氏のものでした。

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野火氏のF3はMD-4付きF3に、レンズは銘が黒く塗りつぶしてあり判然としませんが、ノクトニッコールのように見えます。

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そのゆとりを・・・2

1967年夏頃のニコマートFTnの宣伝です。
19678ds
以前にも同じ宣伝を紹介しましたが、今回は2ページ見開きのものです。


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光がきめて。

ニコンF-601の宣伝広告です。
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ニコンはスピードライトを使った露出制御には古くから定評がありましたね。

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ジユニヤーカメラ キヤノン II-D

1952年末頃のキヤノンの普及機II-D型の宣伝広告です。
195212s

当時、日本光学ではニコンS型が単一の現行機種でした、一方、キヤノンはIV-S型やIII-A型等いくつか併売しておりました。
もし、日本光学が当時普及型を出していたなら、どんな仕様になっていたのでしょうか。
簡易化し機能を減らす事は難しそうですので、私には想像がつきません。

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マナスルの全貌をとらえた

1953年秋頃のタナックIVS型の宣伝広告です。
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過酷な環境下での撮影を成し遂げた宣伝はニコンカメラが割合早かったのですが、日本のマナスル登頂隊が1956年世界初登頂で記録を残したタナックもコストパフォーマンスの高い優秀なカメラと私は思っています。

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ニコノスの使い方

1964年頃のニコノスの使用説明書(使い方)です。
04s
510s
1116s
1722s

表紙、裏表紙合わせて24頁構成でした。
かなり前になりますが、ニコノスワイドの世界から使い方のページを紹介しましたので、二番煎じとなります。

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