ベローズ用ニッコールP105mmF4
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まだ、日本光学が35ミリ判カメラを手掛ける何年も前に製造されたモーター付250枚撮りのライカをカメラ工業1964年1月の創刊号で、簡単ではありますが紹介して居ました。
ライカモーター付カメラと日本光学のニコンS-36では時期も違い、主な使用目的も違うと思われますので後発のS-36がどの程度お手本としたかは分かりませんが、日本光学の機械式のモータードライブはその後ニコンF、F2用へと発展して行った事を考えると成功したアクセサリーだと言えましょう。
しかし、この記事の時点で20年以上経過したライカ250ですが、問題無く使用でき、更にこの前年にはいくつかの部品も調達が出来たとの事、日本の企業では当時も今もそこまで出来た(る)所はそうは無いでしょうね。
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1954年はじめ頃のアサヒフレックス改良版IA型の宣伝広告です。
この1954年にはライカM3やニコンS2といった内外のレンジファインダーカメラを代表するような機種が登場しますが、国産35ミリ一眼レフのパイオニアのアサヒフレックスも改良版が登場しました。
主な改良カ所は、シャッター速度がI型のB、1/20、1/30、1/40、1/60、1/100、1/200、1/500からIA型はB、1/25、1/50、1/100、1/200、1/500と6種に減ったもののほぼ倍数系列となりました。また、宣伝文にもありますように、標準レンズは従来の回転ヘリコイド、普通絞りだった物から直進ヘリコイド、プリセット絞りとなり最短も1Mから0.8Mへと使いやすくなりました。
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1964年夏、コーワスーパーワイド新発売時の宣伝広告です。
当時焦点距離35mmは広角の代表格でした、それより広い画角のレンズは高価な一眼レフカメラ用交換レンズくらいしか存在せず、レンズ代程度で広角専用カメラを手掛けたパイオニアと言えるかも知れません。
また、後年、更に広角な19mmを付けたレンズシャッター一眼レフカメラ「コーワ(ウルトラワイド)UW」も出して居ましたね。
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AI仕様のニッコール300mmF4.5は都合3種類ほどあります。
1977年3月のAI化当初からあった普通のAIニッコール300mmF4.5、その後同年6月登場のEDレンズ仕様、翌年12月登場のEDレンズでIF仕様です。
以下にその仕様などを紹介します。(上から登場順)
これらの価格はそれぞれ\67000、\181000、\125000となって居りました。
1977年6月登場のEDレンズ仕様を1978年冬のボーナスで買ってしまった方が居られたら、そのすぐ後(価格表の上では併売期間はありませんでした)に登場したIF仕様を知ったら、3割も安くなり、1割軽量になり、1.5mも最短距離が短く操作も軽快になった新型に対して複雑な気持ちになったことでしょう。
価格が下がった要因の1つに高価だったEDレンズの枚数が減った事もあるんでしょうね。
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ニコンF発表間もない写真工業1959年4月号には、後に日本光学と旭光学で特許についての侵害をめぐる紛争の元となる、クイックリターンミラー機構の図と簡単な説明が載って居ました。
因みにニコンFのクイックリターンミラーなどの解説は以前紹介しました、こちらを参考にして下さい。
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アサヒカメラ1954年6月号の新製品メモ(新製品ニュース)にはライカマウントの高速標準レンズ、フジノン50mmF1.2が紹介されて居ました。
このレンズ、後にはニコンマウントも僅かですが作られたようです。
このレンズの試用記はこちら
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