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世界の一流寫眞作家が激賞し愛用している ニコンとニッコール

1952年2月頃のカメラ雑誌掲載の日本光学の宣伝広告です。

19522s

まだ、ニコン用など35ミリ判のニッコールレンズの種類は少ないですが、当時としてはこれでも充実した内容だったのでしょう。

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コメント

当時これを全部そろえたとしたら、いまの金額にしていくらになるのでしょうか?
とも思います。

ニコンSの組み合わせだけでも、いまの金額に換算するとかなりの額になります。

レンズ設計の計算も10名から20名ぐらいの計算課の社員が手回し式の機械式計算機と計算尺、ソロバンで計算ですからね。
関数は関数表で数字に直し、小数点以下は四ケタだか六ケタで四捨五入して計算し、出てきた数字を関数表を見て関数のルートに直していた時代ですから、一本のレンズの設計にも時間がかかっていますから、これだけのボディー設計と距離計の光学計算、パーツを構成する金属の強度計算も含めてかなりの時間がかかっているから仕方ない側面もあったと思います。

投稿: ガタピシ | 2013年6月17日 (月) 20時40分

戦後間もない頃までのレンズ設計では、ソロバンなどと6桁の対数表による純粋な手計算も残っていたようです。
しかし、すぐにソロバンは手回しの計算機(タイガー等の手動式計算機)に代わり、その後は電動式なって少しはスピードアップしたようですが、計算員による2人1組での計算方法自体に基本的な変更はなかったみたいですね。
1つのレンズに対して1000本から2000本の計算を行うのに2人一組になり対数表を引きながら数ヶ月に渡って行っていたと言うような話も伝えられています。
計算員による2人1組での計算では、同じ計算を行って答が一致すれば先に進み、一致しなければ誤算としてやり直す方法を行っていたようですが、レンズ設計が複雑化するほど誤算が増えたらしいです。
1952年当時以前ならこんな感じだったのでしょうね。

1950年代の後半以降からは、日本においても電子計算機が導入され始めますが、レンズ設計への応用が最初ですね。

日本で最初の国産電子計算機はFUJICですが、レンズの設計計算のために富士写真フイルム(現・富士フイルム)の岡崎文次氏が7年の歳月をかけ、1956(昭和31)年3月に完成させたものですね。
FUJICは、真空管を1700本使用したもので、記憶装置には超音波水銀遅延線(255ワード)を使い、クロック周波数は約30KHzでしたが、並列演算回路を採用して加減算0.1ms、掛算1.6 msという性能で、レンズ設計において人手計算の約2,000倍の性能を実現したそうです。
FUJICは、2年半の間に小田原工場にて社内外の計算に使用され、その後会社の方針で早稲田大学に寄贈されました(現在は国立科学博物館に保存)。レンズ屋からコンピュータ屋となった岡崎氏は1959年に日本電気に移り、その後1972年には専修大学経営学部教授に就任しています。

日本光学(ニコン)については、こちらのブログの2008年12月 4日掲載の「ニッコール・レンズについて」の記事にもありますが、1957年(昭和32年)秋にZuse社製Z11/5リレー式コンピュータを導入し、1962年(昭和37年)には沖電気製で日本で最初に主記憶装置に磁気コアを全面的に採用したトランジスタ式計算機のOKITAC5090を導入し、高倍率ズームレンズや超広角レンズなどの設計に役立てたようです。

又、1950年代末には、キヤノンなどでも富士通信機製造(現・富士通)のリレー式電子計算機FACOM-128Bを導入してレンズ設計に使っていたようですが、計算速度は人手計算の25倍程度ながら、これによって誤算が追放されたという話もあります。
キヤノンもニコンと同じ様な時期に電子計算機の導入を進めていったようです。

投稿: MARK12 | 2013年6月21日 (金) 20時35分

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