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エル・ニッコールで鮮やかに再現  森永 純

1979年春頃のエル・ニッコールの宣伝広告です。
以前紹介しました広告は細江英公氏の作品が載っておりましたが、今回は森永氏の作品です。
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因みに、下の50mmのエル・ニッコールの画像は前回紹介したものと同じ光学銘の物でした(笑)

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130余種のアクセサリー

1954年夏頃のキヤノンのアクセサリー類を宣伝した物です。
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この頃からキャノンは生産の効率化による値下げや○年保証の長期保証などの採り入れは早かったですね。

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露出の失敗はカメラマンの恥です

1954年夏頃のワルツ露出計の宣伝広告です。
19548s
今からおよそ60年前、自動露出はおろか露出計を内蔵したカメラも稀な時代です、フィルムも高価で無駄に撮影は出来ませんからカメラマンは露出決定に苦労した事と思います。

今では自動露出は当たり前、逆光や夜景もそれなりに綺麗に撮れる時代です、「露出の失敗はカメラメーカーの恥です」と言えるかもしれませんね。

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一番最初にプラスチック外観部品を使ったニコン一眼レフカメラを当てて下さい。

一番最初にプラスチックの外観部品を使ったニコン一眼レフカメラを当てて下さい。
外観部品とはトップカバーやエプロン部、底板などをさすものとします。
割合難度は低いかと思いますので、ノーヒントです。
後日正解と皆さんのコメントを追記します。


続きを読む "一番最初にプラスチック外観部品を使ったニコン一眼レフカメラを当てて下さい。"

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ストレートに狙え。

1982年2月頃のニコンEMとその標準レンズAIニッコール50mmF1.8Sを宣伝したものです。
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ニコンEMとニコンレンズシリーズE、コストパフォーマンスはこの宣伝のように良かったですね。

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宮崎学のF3

宮崎氏のF3はモーター付、レンズはよく分かりませんがフードの深さから広角レンズかマイクロの55mmでしょうか。
他に望遠レンズも2本写っていますが、こちらも良くわかりませんね、画面右の超望遠レンズは引き出し式フードの形状や口径から見て800mmF8あたりでしょうか。
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世界一を結集したカメラ=ニコンF

1966年末頃のニコンFの宣伝広告です。
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ニコンFがファインダーやフォーカシングスクリーンの交換が出来る事を宣伝したものですが、(オリジナルの印刷品で確認したのですが)スクリーンは生憎全て白トビして違いが分かりませんでした、スクリーンの枠の種別アルファベットもよく分からず、これでは同じスクリーンをいくつも並べても同じようなものですね。(笑)

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ダイキャストボディ―ニコンカメラの堅牢性・精度のルーツです。

ニコンFMの1977年初夏頃のカメラ雑誌広告です。
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ニコンカメラのカタログには良く登場するダイキャストボディの宣伝です。
日本光学の時代からこれら宣伝を見続けた私は、今でもエンプラボディよりダイカストボディに、「ニコンはこうでなくては」と言ったような根拠のない(汗)安心感に近いものを感じてしまいます。

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昭和27年当時のセレナーレンズ群

昭和27年(1957年)5月頃のカメラ雑誌広告です、当時はまだカメラのレンズを取り替えて使う物も少なく、交換レンズも高価でした。また、現在のような一眼レフは登場前夜といった時期でもあり、レンズを通した画像を直接見る事は少なく、画角の変化を知るにはこの広告は有効だったのではないかと思います。
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このような宣伝は日本光学のカタログにも多数使われていますが、この広告はその中でも早い方ではないかと思います。
因みに、この時期、日本光学ではまだ2.8cmの広角レンズは出て無かったかと思います、もし、日本光学が同じような広告をだしていたとしても、少々画角の変化が乏しかったでしょうね。

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標準レンズで35cmまでの接写が出来る、オリンパスペンF。

オリンパスペンFの標準レンズが35cmまでの近接撮影が出来る事を宣伝した1966年夏頃の広告です。
1966s

とは言いましても、パンケーキタイプの標準レンズE・ZUIKO38mmF2.8はさすがに35cmは無理で80cmまでしか寄れませんでした。

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全世界の人気カメラ! ニコン

1952年5月頃の日本光学のニコンとニッコールレンズを宣伝した広告です。
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「全世界」という文言が多用されていますが、それだけ自信の現れだったのでしょうね。

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プラス・スピードライト。映像が多彩になる。

1982年頃のスピードライトを宣伝したものです。
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当時の現行カメラ対応のスピードライトのラインアップを紹介しています、ここに載ってはおりませんが、一応まだニコンF2用のSB-7もこの頃はまだ現行品でした、しかし姉妹機SB-10は廃番、こちらはSB-15へバトンタッチと言ったところでしょうか。

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シリーズ2人展 1978年10月

1978年10月頃のカメラ雑誌掲載の日本光学広告「シリーズ2人展」は女性写真家の児玉房子氏と渡辺眸氏でした。
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世界の一流寫眞作家が激賞し愛用している ニコンとニッコール

1952年2月頃のカメラ雑誌掲載の日本光学の宣伝広告です。

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まだ、ニコン用など35ミリ判のニッコールレンズの種類は少ないですが、当時としてはこれでも充実した内容だったのでしょう。

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ニコンF3AF 新発売広告2

ニコンF3AF 新発売広告は以前紹介しましたがこちらは2ページ見開き版です。
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新登場、超広角3本、広角1本。

1978年8月頃のカメラ雑誌掲載の大判カメラ用広角ニッコールレンズの新発売を宣伝した広告です。
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海外では中判、大判写真を楽しむ方が多かったように聞いていますが、国内はどうだったのでしょう?
カメラ雑誌には国内外の大判レンズの広告もいくつか見られましたので、市場は大きくなりつつあったのかもしれませんね。

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ついに発表されたニコンSP

カメラとシネ1957年11月号には発表間もないニコンSPの解説記事が載っていました。
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同じころ写真工業でも解説記事が載っておりました、それは開発に携わった日本光学の更田氏(後に日本光学元副社長)の執筆でしたが、こちらは写真家の松田氏が解説をされています。

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世界的定評の日本光学製品

1952年3月頃のニコンSとニッコールレンズのカメラ雑誌広告です。
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ニコンSにニッコール8.5cmF2付き、それにユニバーサルファインダーの組み合わせの画像が載っています。
このレンズは三木氏がダンカン氏を撮り(実際はライカマウントの物ですが)、そのシャープさにダンカン氏が驚いたのが発端となり、日本光学製品が一躍世界の注目を浴びたのは有名なところです。
そういった意味もあってこの組み合わせにしたのでは無いのかもしれませんが、この8.5cmを見るとついそう思ってしまいます。

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熱い信頼の絆 NPCI。

1978年春頃の日本光学のカメラ雑誌掲載の広告です。NPCI(当時)1976-77年カラー部門1位の作品が広告に掲載されていました。

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現在はNPCIではなくニコンフォトコンテストと「国際」がとれた名に変わっていますが、今年で34回の歴史ある国際写真コンテストとなっていますね。

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久保田博二のF3

久保田氏のF3は銘板のNikon文字とボディのF3文字の色入れを落しているのが特徴的ですね。

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付けているレンズはAIニッコール35mmF1.4です。その横のレンズは28mmF3.5とED300mmF4.5でしょうか。

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B.C.B II型 ニコンカメラS型用 新発賣

ニコンS型用フラッシュユニットB.C.B2型発売を宣伝した1952年12月頃の広告です。
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これには「御熱望によりII型ロライ用も発売」とローライ(フレックス/コード)用のフラッシュユニットも併売している事も宣伝しています、それだけ需要があったと言う事でしょうか。

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タイトルの数字にピン!とくる方はレンジファインダーニコンにも充分興味がある方ですね。
これは日本カメラ社刊「カメラとシネ」1957年7月号の表紙のカメラ画像部分です。
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極初期のニコンSP、個人的にはいつかは手にしたい1台です。
処で、この号にはニコンSPを解説した記事が8ページに渡って載っておりましたので、後日紹介したいと思います。

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最新設計のニッコール高速度鮮鋭鏡玉完成!

1950年1月のカメラ雑誌掲載の日本光学とニッポンカメラの宣伝広告です。
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ニコン(M型)とニッカ(III型)何れにも標準レンズは当時最新の5cmF1.5が紹介されています。

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関戸光賀のF3

有名写真家の使っているF3を紹介したシリーズもの広告、関戸氏のF3はDE-2付きのF3にMD-4、レンズはコンパクトな20mmF4です。
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使いやすさを飛躍させたAI方式を採用。ニコンの新しいシリーズです。

1977年7月、当初予定していたAI化後のレンズなどがほぼ出揃った頃の広告です。
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当時、春からはじまった各地のニコンショウもこの頃は大都市部は終了し、地方の中核都市へといった所でしょうか。
AI化には万全の体制で臨んでいたと思いますが、春からの半年間、日本光学の社員は営業もサービスも最も忙しかった頃だったのではないかと想像できますね。

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最新版国産カメラ評判記

昭和26年9月発行のARS社刊CAMER誌臨時増刊号にはタイトルのような記事が載っておりました。
その中にニコンM型も下のように「紹介されていました。
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当時は今のように情報が手軽に且つ迅速に手に入る時代では無かったからでしょうか、昭和26年には既にニコンS型が登場していたと思いますが、なぜか最新の国産カメラとして紹介されていました。
そしてまたもや画面サイズの誤解?が載っていました、厳密には横幅が2ミリほど足りませんね。

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光の名機―ニコン

1969年夏頃のカメラ雑誌広告です。
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この頃はほとんどモノクロ印刷の広告でしたが、これは珍しくカラー広告となっています。
この広告の中の写真年鑑の写真収録点数は以前にも「'69 写真年鑑 ニコンカメラでの作品点数」として別の広告を紹介しましたので、見覚えがある方も居られるかもしれませんね。

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F2であるための、4。

1978年3月のカメラ雑誌広告です。
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ニコンF2であるための4とは着脱・交換可能な4つの部位ということだそうです。

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どこが違うかAiニッコールSレンズ その2

前日の続きです。
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どこが違うかAiニッコールSレンズ その1

アサヒカメラ1982年6月号にはタイトルのようなテストレポートが載っておりました。
それまで水面下で勧められていた?ニッコールレンズのAI-S化が公表されての特集でした。
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