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昭和27年当時のセレナーレンズ群

昭和27年(1957年)5月頃のカメラ雑誌広告です、当時はまだカメラのレンズを取り替えて使う物も少なく、交換レンズも高価でした。また、現在のような一眼レフは登場前夜といった時期でもあり、レンズを通した画像を直接見る事は少なく、画角の変化を知るにはこの広告は有効だったのではないかと思います。
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このような宣伝は日本光学のカタログにも多数使われていますが、この広告はその中でも早い方ではないかと思います。
因みに、この時期、日本光学ではまだ2.8cmの広角レンズは出て無かったかと思います、もし、日本光学が同じような広告をだしていたとしても、少々画角の変化が乏しかったでしょうね。

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コメント

当時のキヤノンの勢いを感じます。
この頃のキヤノンのレンズは、ニッコールと同じ兄弟といえるかもしれません。

日本光学が敗戦で9割のリストラから始まったのは有名ですが、技術者や光学ガラスや研磨する熟練工もリストラされてます。

当時、セレナーレンズを設計していたのは黒木氏だったと思いますが、黒木氏は兄弟で日本光学に勤めていましたが、敗戦でお兄さんの方は日本光学の大判カメラ用のレンズの設計者として残りましたが、弟の黒木氏は日本光学には残れずキヤノンに行ったのですから。

キヤノンが一眼レフで遅れを取ったのは、カメラ部門以上の事業の規模の部署とと売り上げがあったからではないかと思います。
キヤノンの御手洗会長の某新聞に月替わりで執筆されてる「私の履歴書」にはカメラ部門の記述は極めて少なく、RF時代のものだけだったように記憶しています。

キヤノンが一眼レフに進出した当時のキヤノンフレックスRと50ミリと135ミリをいまも使い続けている人がいるのにはビックリしました。
人気コミックシリーズの「釣りバカ日誌」の作画を担当している北見けんいち氏。この頃は写真学校の学生だったので購入したカメラとレンズがこれで、いまもカメラはこれしかないとのことです。
コミック好きの方たちならご存知のように、写真学校を出た後、漫画家目指して、故・赤塚不二夫氏が全盛期の時、アシスタントをしており、同じ時期、「BARレモンハート」、いまでも赤塚ギャグを継承している「ダメおやじ」をパチンコ専門誌に描いている古谷三敏氏もいた時期ではないでしょうか。

作画担当となれば、資料に使う写真も撮っているはずですが、人気シリーズ執筆しているのであれば、その時代の人気のカメラにしようと思えばいくらでも出来たでしょうがキヤノンフレックスRを使い続けているのには、大切な思い出も詰まっているのでしょうね。

かなりの脱線になってしまいました。

投稿: ガタピシ | 2013年6月25日 (火) 11時59分

この1957年当時の広告を見て、直ぐに思ったのが次の2点でした。

(1)Canon のロゴの書体が今日に至るまでほとんど変わっていない。

(2)会社名が「キヤノンカメラ株式会社」ではなく「キャノンカメラ株式会社」と実際の発音に合わせた表記となっている時期もあった。

投稿: MARK12 | 2013年6月27日 (木) 20時53分

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