1954年6月のニコン広告
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コメント
ライカM3の登場により、ニコンのRFで最高の生産台数を記録したニコンS2でしたが、レバー巻き上げへの仕様変更もあり、設計、製造ラインへの投資が優先された結果ではないかと思います。
日本光学は当時、いまもそうですが、会社の規模はキヤノンも小さく、この広告の9年前には敗戦により、一大顧客だった戦前、世界三大海軍の一角を占めた帝国海軍を失い、技術者、従業員の9割のリストラ。世界にニコン神話を巻き起こした直前に工場の一つを閉めなくてはならない状況に追い込まれていて労働組合との全面対決を控えていたほど経営体力がなかったのですから、経営のための資金の配分を考慮すると、致し方なかったとゆうところでしょうか。
ニコン神話がカメラマンや報道業界以外にも知られるようになり、当時、世界の富を集めていたアメリカで一大センセーショナルが起きた事により、閉鎖する予定だった工場が閉鎖されたとゆう話は聞いていないので、世界一購買能力のあるアメリカにカメラとレンズが売れる見込みができたので、銀行からつなぎ融資を受けることが可能になり、工場の閉鎖は回避されたのでしょう。
その後、広告にもあるニコンSとニッコールレンズは売れに売れ、日本光学は立ち直れたものの、経営的にはまだ不安を抱えていたのではないかと思えます。
投稿: ガタピシ | 2012年11月27日 (火) 15時58分
文章に説明が不明確な所がありましたので、書き足します。
日本光学は、いまもそうですが、キヤノンよりも会社規模は小さく。でした。
投稿: ガタピシ | 2012年11月30日 (金) 16時05分