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ニコン神話 後編

前日の続きで、1984年2月のアサヒカメラで紹介されていたものです。
842s
※一般販売されたニコンSは24×36ミリのフルサイズでは無く24×34ミリですね。

これら一連の内容は三木氏の「ニコン党入門」や荒川氏の著書にも載っていましたので皆さんご存知だと思います。
ただ、どれも少し微妙な違いが見られ読み比べるのも面白いかと思います。

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コメント

前編、後編を続けて読むと親方帝国海軍の国策会社で、第一次世界大戦後、世界三大海軍国に仲間入りした時期で、第二次世界大戦に突入して消滅するまで戦って(大海軍国で戦力が消滅するまで戦った、唯一の国なのです)敗戦、一大顧客が消滅した日本光学ですから、戦後のスタートは悲惨です。

従業員9割のリストラからスタート。カメラ部門も軌道に乗らず、双眼鏡の製造販売で細々食べていて、再びリストラの時期に転がり込んで来たチャンスだったので、当時の長岡社長も、ニコンの社員の人も必死だったと思います。

ニコンのカメラとレンズの品質がライカ、ローライと比べて一定していたのは、命のやり取りの場で使われる光学兵器の製造で培われたものだと思います。カメラだけでなく、セイコーが造っていた時計でも、民間用と軍用とでは雲泥の差があり、使われる環境が過酷な戦闘機パイロットに支給されていた航空機用腕時計は欧米の戦闘機パイロットに支給されていた航空機用腕時計の性能と品質は同じだったのですから。

日本帝国海軍が戦場とした地域は、北はアリューシャン、南は高温多湿、雨季はものすごい雨の降る地域まで展開したのですから環境性能にも優れていたこともあったと思います。そうした製品(光学兵器)の設計、製造をいつも義務付けられていたので、民生品でも同じ感覚で設計製造していたのも優れた製品を造る下地になっていたと思います。

ニコンのライバルとしてよく比較されるキヤノンのこの時期と比較してみると、軍用品を造っていたから、すぐ民生用の優れた製品が造れる訳ではないとゆうことの厳しさも読み取れますね。

投稿: ガタピシ | 2012年8月11日 (土) 16時45分

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