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ニコンF発売一か月後の1959年7月の広告宣伝です。 ニコンFの他にレンジファインダーニコン3機種も紹介されています。 当時の現行ニコンカメラを全て登場させた広告と言えそうです。
2012年7月27日 (金) NikonF | 固定リンク Tweet
レンズのシリアルナンバーからして、この広告写真に使われたFは幻の布幕のFなのでしょうか?
F登場の時、布幕機があったのは知っていましたが、見た資料と記憶が一致しません。
標準レンズもF値がF2ながら50ミリで登場させたのはニコンの意地なのでしょうか。
投稿: ガタピシ | 2012年8月 1日 (水) 15時57分
ガタピシさん、 布幕の可能性が高いニコンFが広告に使われていると思われるのは http://nikonfan.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_8b1f.html の物です。 これと同じカメラの画像を使ってのプレス発表の資料にはチタン幕のシャッターには触れられておりませんでした。
投稿: MARU0 | 2012年8月 1日 (水) 21時59分
布幕のシャッター幕を使った最初期のニコンFは、100台程度とされていますね。 そのほとんどが市販されずに国内外のニコン関係者に渡されたと言われています。 ニコンSPのパーツも使った量産試作機みたいなものだったのでしょう。 又、最初の1000台位は、報道機関や一部の写真家向けに販売され、一般販売はそれ以降の生産品だったようです。 一般向けに市販されたニコンFは、最初からチタン幕だったと言えるでしょうね。
と言うことで、この1959年7月の広告に載っているFのボディが布幕シャッター機かどうかは微妙なところですね。
開放F値2の標準レンズが最初から5cm(50mm)だったのは、F2のレンズだったからでしょう。開放F値が1.2や1.4の標準レンズに比べて光学的にも絞りの機構面でも何も難しいことはなかったと思いますので、焦点距離をわざわざ50mmから外す必要もなく、自然な流れだったのではないかと思います。
投稿: MARK12 | 2012年8月 2日 (木) 13時55分
ニコンFが登場した一眼レフ第一世代とゆわれている一眼レフの多くが50ミリではなく、55ミリF1.8が多かったからです。
ミノルタスカイの代わりに出た一眼レフのSR-2の標準は55ミリF1.8でしたし、何故か国産一眼レフのパイオニアのペンタックスにしても、アサヒフレックス時代は50ミリでしたが、M42プラクチカマウントになった頃は、55ミリになったからです。中には58ミリF1.8とゆうレンズもあったからです。
布幕かな?と思ったのは、私がアマチュアで文章の投稿をしていた頃は、掲載される雑誌の二カ月前の締め切りに出した物でしたから、逆算して広告掲載用のFが撮影された時期も勘定に入れると布幕機が使われたのかな?と、思ったからです。
投稿: ガタピシ | 2012年8月 3日 (金) 04時57分
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この記事へのトラックバック一覧です: ニコンF発売翌月の広告:
久野 幹雄: ニコン―レンジファインダーニコンのすべて (★★★★★)
青山 祐介: 究極のニコンカメラ (★★★★★)
佐藤 治夫 /大下 孝一 : ニッコール千夜一夜物語―レンズ設計者の哲学と美学ニッコールクラブ会報に連載されていた記事に加筆して1冊にまとめたものです。 ニコンサイトでも閲覧可能 (★★★★★)
豊田 堅二著: ニコンファミリーの従姉妹たちニッコールクラブ会報に連載されていた記事に加筆して1冊にまとめたものです。 ニコンサイトでも閲覧可能 (★★★★★)
落合 泰之著: ニコンカメラレンジファインダーニコンを紹介。コレクターの方必携です。 (★★★★★)
コメント
レンズのシリアルナンバーからして、この広告写真に使われたFは幻の布幕のFなのでしょうか?
F登場の時、布幕機があったのは知っていましたが、見た資料と記憶が一致しません。
標準レンズもF値がF2ながら50ミリで登場させたのはニコンの意地なのでしょうか。
投稿: ガタピシ | 2012年8月 1日 (水) 15時57分
ガタピシさん、
布幕の可能性が高いニコンFが広告に使われていると思われるのは
http://nikonfan.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_8b1f.html
の物です。
これと同じカメラの画像を使ってのプレス発表の資料にはチタン幕のシャッターには触れられておりませんでした。
投稿: MARU0 | 2012年8月 1日 (水) 21時59分
布幕のシャッター幕を使った最初期のニコンFは、100台程度とされていますね。
そのほとんどが市販されずに国内外のニコン関係者に渡されたと言われています。
ニコンSPのパーツも使った量産試作機みたいなものだったのでしょう。
又、最初の1000台位は、報道機関や一部の写真家向けに販売され、一般販売はそれ以降の生産品だったようです。
一般向けに市販されたニコンFは、最初からチタン幕だったと言えるでしょうね。
と言うことで、この1959年7月の広告に載っているFのボディが布幕シャッター機かどうかは微妙なところですね。
開放F値2の標準レンズが最初から5cm(50mm)だったのは、F2のレンズだったからでしょう。開放F値が1.2や1.4の標準レンズに比べて光学的にも絞りの機構面でも何も難しいことはなかったと思いますので、焦点距離をわざわざ50mmから外す必要もなく、自然な流れだったのではないかと思います。
投稿: MARK12 | 2012年8月 2日 (木) 13時55分
ニコンFが登場した一眼レフ第一世代とゆわれている一眼レフの多くが50ミリではなく、55ミリF1.8が多かったからです。
ミノルタスカイの代わりに出た一眼レフのSR-2の標準は55ミリF1.8でしたし、何故か国産一眼レフのパイオニアのペンタックスにしても、アサヒフレックス時代は50ミリでしたが、M42プラクチカマウントになった頃は、55ミリになったからです。中には58ミリF1.8とゆうレンズもあったからです。
布幕かな?と思ったのは、私がアマチュアで文章の投稿をしていた頃は、掲載される雑誌の二カ月前の締め切りに出した物でしたから、逆算して広告掲載用のFが撮影された時期も勘定に入れると布幕機が使われたのかな?と、思ったからです。
投稿: ガタピシ | 2012年8月 3日 (金) 04時57分