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新聞写真の舞台裏1

今から52年前の朝日新聞カメラマンの苦労話などの座談会の記事です。
196011s
196012s
196013s(アサヒカメラ1960年1月号より)
ニコンF登場半年後の記事で、この当時はまだニコンFなどの35ミリ一眼レフより4×5のスピグラなどが主流だったようです。

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コメント

私はスピグラは経験していませんが、35ミリのフィルム時代では、新聞の写真では縦位置が上達しました。取材現場から本社のデスクに連絡して、原稿として送る写真が縦・横どちらがいいか仮に決めます。時間がないので、最優先の写真を1枚だけ送りますが、その時点で紙面構成を作る整理部が連絡された縦か横のスペースを空けて待ちます。
 本社(支局)から離れた場所での取材では、現場でフィルムを現像して電送機で必要なカットを送ることもありますが、1時間程度で戻れる場所なら、オートバイの連絡員を使って未現像のフィルムを送ることもありました。その場合は、撮影内容の要点を書いたメモ用紙でフィルムを包みます。例えば「Ⅰ3〜Ⅰ9(カット)が遺体搬出14:09」など。重要なフィルムには、メモ用紙に星印など記入して目立つようにします。
 プロ野球の試合(巨人戦)など、複数のカメラマンのフィルムを集めて本社に送る場合は、Ⅰ便で20本くらいの量になるので、現像する優先順位がなおさら必要です。
「3表8原満HR」(3回表、原のセンター越え満塁ホームランのシーンがあるよ)など。野球は選手のポジションを数字で表示します。新人記者はスコアブックの付け方を学び、朝日の場合は夏の高校野球の予選で嫌と言う程叩き込まれます。写真は撮れても、説明がつけられないと記事にできないので。
 メモ用紙とフィルムを入れて送る封筒、野球のスコアブックはカメラバッグの必需品でした。

投稿: しんじ | 2012年4月 1日 (日) 02時25分

確か報道関係でカメラを日本で35ミリに統一したのは、昭和38年、東京新聞が最初だったと思います。

海外では35ミリが主力になって行ったのを見て、決断したとのことです。

翌年の東京オリンピックが、35ミリを主役にしたのでしょう。海外と日本の報道陣の同じニコンFでも国力の差がありライフのカメラマンはニコンFのモータードライブ仕様機でモードラ使用でトライXの空き箱の山。日本で最も写真部が充実している朝日新聞でもモードラ仕様でないFですから。

投稿: ガタピシ | 2012年4月 1日 (日) 15時57分

スピグラ(米国グラフレックス社のスピードグラフィック4×5インチ判;Graflex Speed Grafic 45)は、戦後の日本の新聞写真とって15年以上に渡り大活躍した大判カメラですが、アマチュアカメラマンにとっては無縁のカメラだったと言えるでしょう(アマチュアには入手がほぼ不可能で、輸入制限があり、輸入許可も必要だったこともあり、新聞社でも当初は新品での入手は困難で、海外の通信社等から譲ってもらっていたそうです)。
スピグラは取材現場ではフラッシュ付で使うのが当たり前でしたが、レンズシャッター付のレンズと大光量のM級バルブを使用して1/500秒でもシンクロ可能でした。
スピグラが報道用カメラとして多用されたのは、このフラッシュバルブを発光させて撮る写真の鮮明さが大きかったこともあるでしょうね。

スピグラの全盛時代は、1950年代の半ばのようですが、1964年の東京オリンピックを境にして急速に35mmカメラ(つまりニコンF)に取って代わられたようです。
しかし、35mm判がメインになった時代の新聞社でもグラフ誌などでは大判のスピグラをその後も使っていましたし、ある大手の新聞社でも航空撮影や大相撲の土俵際での撮影に1970年代初頭まで使っていたそうです。
ニコンFの全盛時代で、F2発売の直前のころまでスピグラは取材現場で使われていたとのことです。

ニコンFのモータードライブですが、1960年代の初期から欧米の通信社などでは多数使われていたそうです。
1962年9月にシカゴで世界ヘビー級ボクシングのタイトルマッチがあり、UPI通信社は、リングの天井に250枚撮りのフィルムバックを付けた一人で操作できる5台のFモータードライブ(F250)をニコンの協力で設置して使用しています。
又、1964年10月の東京オリンピックでは聖火台に点火する聖火ランナーの後ろを追う3本の長い棒の先にはFのモータードライブ(F36)が取付けられていたそうですが、これを使っていたのも外国のカメラマンですね。
当時は、外国の通信社などに比べると確かに日本の報道関係のモータードライブ導入は遅れていたようですね。

投稿: MARK12 | 2012年4月 2日 (月) 20時43分

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