最後のメカニカル全天候ニコンカメラ ニコノスIII型
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ニコンF3カタログには透視図がいくつか載っていて、紹介していました。これは以前紹介した最終版ニコンF3HPカタログに載っていたものです。
これで、ニコンF3、同F3AF、F3HPと3拍子揃っています。(笑)
また、最後だけあって、一番緻密な仕上がりだと思います。
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豆知識です、以前にもFナンバーの値で1/2段と1/3段での数値を紹介しましたが、少し分かり辛かったですが、こちらの記事はとても分かり易いので、参考にして下さい。
今は、マニュアル露出のカメラでポジフィルム使ってる方も少なく、1/3段単位での露出補正などはあまり考えなくなりましたね。
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ニコン引伸機RA-350のカタログです。
関連記事
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昭和37年7月のカメラ誌の広告です。
アポロ計画の中で、有人により地球周回飛行に成功した時に使用されたカメラが、このミノルタ製カメラとその重要パーツである、シチズン・ユニ・Eシャッターとの事です。
ニコンでは、アポロ15号のミッションでニコンFが月面で使用されたのは有名ですね。
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写真工業1977年6月号からズーミングアップという1ページの記事の連載が始まり、その1回目は鈴木八郎氏でした。
戦前からカメラ書や写真術などを多数著していましたので、皆さんも鈴木八郎氏の著書を目にした事があると思います。
鈴木八郎(すずき はちろう)
1900年3月3日 北海道余市に生まれる。
1916年 早稲田工手学校建築科入学。後に中退し、前島写真館、小野隆太郎スタジオなどで写真を修める。
1921年 出版社アルスに入社し、『カメラ』『芸術写真研究』編集に携わる。
1924年 「表現社写真会」を斉藤鵠児、魚住励らと結成。
1926年 日本初のコマーシャル写真スタジオ「金鈴社」を金丸重嶺と共に設立。
1931年 コダック・ジャパン・リミテッドに入社し、『コダック知識』『スタジオライト』編集に携わる。
1936年 アルスへ再入社し、編集長として『カメラクラブ』創刊。
1943年 興亜写真報国会理事
1951年 玄光社に入社し、編集長として『写真サロン』を復刊。
1953年 出版社カメラハンドブック社を興し、編集長として『カメラハンドブック』創刊。
1957年 旭光学商事株式会社に入社し、宣伝部長、サービスセンター所長を歴任。
1968年 編集長として『ペンタックスファミリー』創刊。ペンタックスギャラリー館長となる。
1971年 日本写真協会賞功労賞受賞。
1975年 勲五等瑞宝章受章。
1985年9月14日 85歳で逝去。
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画像はセールスマニュアルにあったAIニッコールの超広角レンズ3種の説明部分です。
一番上の13mmですが、表記がニッコールオート時代のままになっている事に気がつかれたでしょうか?これは以前に紹介しましたので、ご存知の方も居られるかもしれませんが、おそらくはプロトタイプの最終版の画像で、枚数表示のあるオートレンズでは最高数の表記ではないかと思われます。
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