オレンジ色がカラーをかえた! フジカラーN64 新発売広告
先日フジカラーネガティブの広告を紹介しましたが、今回はその後の富士フイルムのネガカラーフィルムの広告です。
以前はASA32相当の感度でしたが、今回はその倍のASA64となり、広告ではフィルムベースもオレンジ色になった事やラチチュードが広がった事などを宣伝しています。
カメラ機材の進歩と、こういったフィルムの地道な進歩が相まって写真の進化があったと思うのですが、今は銀塩フィルムの進歩が止まってしまったようで、少し寂しさを感じます。
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コメント
これは1960年代前半くらいのものですか?フィルムベースがかなり濃いオレンジでしたね。フィルムケースも現在のものとは違って、不透明なプラスチックで、ふたの形状も違います。
感度が低く、いわゆるASA100が標準化するのも70年代はじめで、ASA400のカラーネガが登場するのは70年代後半。初期のASA400カラーネガは現在とは比べ物にならないくらい粒状性が悪く、高価でした。カメラのシャッターも中間シャッターがない時代なので、露出の組み合わせには苦労しました。
投稿: しんじ | 2011年4月11日 (月) 22時37分
●いつも楽しく拝見させていただいております。
●このフィルムから、カラーネガのフィルムベースが「オレンジ」になったと広告で述べられています。小生はてっきりカラーネガフィルムは開発時点からオレンジだと思い込んでいました。勉強になりました。
●感度指標(ASA)もネガカラーでASA64しかなかったというのも時代なのでしょうか、先日ご紹介いただいたズームテレフォトレンズにピストルグリップの組み合わせでも、結構手ぶれに気を使わなくてはならないようですね。リバーサルであればASA32と、感光材料も厳しい条件の中で撮影されていたことを思いますと、撮影技量自体高かったのですね。 後に販売されたKM(コダクローム25)の超微粒子を狙ったフィルムから較べると粒状も良くないでしょうから、その面でも大変ではなかったかと思います。
投稿: ふみとパパ | 2011年4月11日 (月) 22時42分
しんじさん、
これは、昭和38年末頃の広告です、因みに昭和34年頃にはさくらコニカラー(ASA50)のネガカラーを、39年末頃にはASA100のサクラカラーN100が登場していました。
投稿: MARU0 | 2011年4月11日 (月) 23時06分
家にあるカラーネガで一番古いものは昭和36年のフジですが、フィルムベースはブルー系だったと思います。
プリントの方は退色はややありませんが、ネガはデジタルマスタリングが必要なレベルですね。
この時代辺りからでしょうか、報道写真のモノクロ原稿に35ミリが主に使われるようになったのは。海外ではもう少し早かったみたいです。
資料をまだ整理出来ていないので、資料による記憶だと大きな歴史のターニング・ポイントとなった、シンガポールでのパーシバル・山下会談を撮影された方が東京新聞の写真部長だった昭和38年に東京新聞の写真のモノクロ原稿を35ミリに全面転換したように思います。
カラー原稿は中判か4×5インチが主流だったように思います。
カラーネガが最も使われたのは映画の世界で、ネガで撮影してネガからポジに変換したものが上映用に使われています。
映画はネガで撮影されているのを知った時、ビックリしたのを覚えています。
いまはネガカラーがカラー原稿に使われ、まだニコンでF6が造られているのは、歌舞伎の公演ポスターを撮るのにはデジよりもフィルムの方がセレクトするとき、デジカメの映像をパソコン画面でセレクトするよりも、フィルムだと一度に36カット見れるフィルムの方が仕事がしやすいとどこかで読んだ記憶があります。
投稿: ガタピシ | 2011年4月12日 (火) 13時40分