ニコンを変えずにニコンを変えた。 ニコンF2フォトミックA新発売
1977年3月25日、ニコンFマウントAI化に伴い対応カメラが発売となりました。
当初は上の2機種が発売、5月にはニコンEL2とニコンFMが発売され、AIレンズも前日の記事中の広告にありますように40本程となりました。実質、このカメラ4機種とレンズ40種が揃った時がAI化の本格スタートだったのではないでしょうか。
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コメント
Ai化とゆっても、Ai化改造を行えたニッコールではなく、Ai化はキヤノンのFDレンズとコンタックスのレンズの影響を受けて、初めからAiだったものがそろったことにより、Ai化のスタートだと私も思います。
Aiレンズ以前のニッコールは発色の統一性がなかったですから、Aiレンズは発色が統一され、FDレンズは登場時から発色の統一と技術の進歩を前提とした設計となっており、マルチオートのA-1を初めから意識してたように思われますが、AiレンズにはFDレンズの将来を見据えた信号ピンが付いています。
レンズも解像力よりもMTFを上にするようになり、この頃のカメラ雑誌の広告の写真を見ていると、条件によってはコンタックスのレンズかニッコールか分からないものもあったように思います。
Aiレンズはトプコンの開放測光のパテントが切れるのに合わせて投入されたとの話も聞いたことがあります。
ニコンの開放測光がガチャガチャと呼ばれた独特の機構を採用したのは、パテント料を払わなくて済みようにするためだったとも。
ミノルタもキヤノンもかなりのパテント料をトプコンに払ったと聞きます。
時が経っているので記憶があいまいですが、トプコンが初めての開放測光機構には絞り値を伝える部品が鎖だったのが、ポリエステル編み糸になっていたのが、印象的でした。
いまは聞かなくなりましたが、TTLの商標は、アメリカ人がこすっからく本国に登録したため、海外ではTTLと広告に入れるのには、登録者にパテント料を払わなくてはならなかったのも思いだします。
投稿: ガタピシ | 2011年3月 8日 (火) 12時52分
ガタピシさん
東京光学機械(現トプコン)のTTL開放測光方式の特許(1960年12月出願で1980年末頃まで有効だったはず)と、このトプコンの特許とニコンが保有する数件の特許の間でクロスライセンス契約が結ばれた話は、
こちらのブログの2010年7月28日掲載のタイトル「自動絞り付きオートトプコール」のコメントにも出ていますので、思い出してください。
ニコンのカメラボディのAi化は、トプコンの開放測光方式のパテントが生きている期間中に行われていて、パテント切れを待って行われたわけではないですね。
尚、レンズの開放測光方式に関しては、トプコンとシグマ間の過去の裁判の判例からもトプコンのパテントには、各社共に実質的に影響されませんでした。
TTL(Through the Lens)と言う言葉は、東京光学機械(株)が世界初となる市販のTTL方式一眼レフカメラで且つ開放測光方式のトプコンREスーパーを1963年に発表した際に作った造語で和製英語ですね(現在では世界で通用する言葉ですが)。
当時米国でTTLなる言葉が商標登録されたのなら、いつまで商標権の更新手続が続いたのでしょうね。
もし1970年代に入っても登録が更新されていたら、ロジックICのTTL(Transistor-Transistor Logic)を出したTI(Texas Instruments)社などは、どうしたんでしょうね。
投稿: MARK12 | 2011年3月 9日 (水) 19時59分
MARK12さんへ。
TTLが「スルー・ザ・レンズ」の略称として商標登録されていたのならば、モノシリックICのTTLは単語が違うので、適用されなかったのではないかと思います。
TTLのパテントはシグマ社の勝訴により、パテント料をトプコンは取れなくなったとのこと。シグマが勝訴するまでは、トプコンにパテント料をどこのメーカーも支払っていたはずです。
投稿: ガタピシ | 2011年3月14日 (月) 03時34分