« ニコンF2カタログ 新旧英語版 | トップページ | ニコンF2カタログ 英語版 »

日本光学の戦後は双眼鏡ではじまった ―営業再開のころ― ニコンの軌跡8

8443s
軍需品が主な製品であった日本光学の戦後の再建を担った双眼鏡についての話題です。
写真には「明るい暗箱」の著者である荒川氏も写っています。

|

« ニコンF2カタログ 新旧英語版 | トップページ | ニコンF2カタログ 英語版 »

Nikon etc.」カテゴリの記事

コメント

私たちにはただの双眼鏡ですが、双眼鏡はあの戦争を戦った国々の使用した人にとってはいろいろな思いがあるでしょうね。

双眼鏡が自分をはじめとして、生き残るための重要な光学器だったのですから。
もう亡くなったと思いますが、伊号潜水艦で連合軍の機動部隊を聴音主としてとらえ、攻撃後、連合軍の駆逐艦の攻撃により、潜航不可能になったものの、生き延びた人の手記には、見張り員以外も艦橋に出ることが許可されたものの、艦橋には当直の見張り員用以外の双眼鏡があったとのこと。

ヒマだったら、生き残るために手伝えとのこと。

潜水艦は敵の制海権、制空権のある海域で唯一行動出来る艦なのに、水上航行しか出来なくなったので、哨戒機に接触されたら、生きるか死ぬかの海空戦になるのですから、使用する側からは完成度の高いものを要求されていたのと、カメラと違って完成されていたので、双眼鏡がすぐに製造販売されたのでしょうね。

戦後は日本光学も、東京光学もリストラからのスタートですから、どこのメーカーでもすぐに製造販売ができる双眼鏡の販売合戦は容易に想像できます。

投稿: ガタピシ | 2011年1月21日 (金) 18時15分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/185882/50587587

この記事へのトラックバック一覧です: 日本光学の戦後は双眼鏡ではじまった ―営業再開のころ― ニコンの軌跡8:

« ニコンF2カタログ 新旧英語版 | トップページ | ニコンF2カタログ 英語版 »