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マミヤシックス

昭和16年1月のアサヒカメラの広告です。
19411s

以前に「カメラ設計技術者の経験から」を紹介しましたが、この広告は、その間宮氏の設計になるまさに独創的焦点調節装置(バックフォーカス)の付いたマミヤシックスの初めのものです。
この広告のカメラは市販モデルとは少し違うようで、レンズ取り付け基部が異なっています。また、公定価格も掲載されておらず、同年3月の広告で市販モデルの画像と248円の定価が示されていました。

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コメント

このカメラは戦争中も生産販売されていた、数少ないカメラだと聞いています。

マミヤ6も海軍のパイロットたちに支給されていたようです。
私が文献で確認しているのは、日本海軍の機動部隊(日本海軍が初めて編成して命名した)が今のスリランカ、旧名・セイロン島に集結していたイギリス東洋艦隊の攻撃とその基地を攻撃したとき、攻撃に参加した99艦爆のパイロットが、沈み行くイギリス海軍の重巡洋艦2隻を撮影したのに使われたカメラであることだけですが。

ゼロ戦は単座なので、パイロットが1名なのでライカが支給されたようですが、99艦爆の場合は、パイロットが2名なので、後部座席の通信員が撮影していたようです。

このカメラはニコンよりも戦場の決定的な写真を撮影したのは早く、この海戦で撮られたその写真がそうです。
海戦も航空機が勝敗を決することを記録として初めて撮影したカメラがこのマミヤ6だったのですから。

投稿: ガタピシ | 2010年12月22日 (水) 09時45分

昭和15年(1940年)に東京・本郷に発足したマミヤ光機製作所で、製品としてのマミヤシックス第一号(マミヤシックスⅠ型)が完成したのは、昭和15年8月とされていますが、昭和16年1月(号?)のアサヒカメラの広告用の原稿作成時には、製品写真が間に合わず、また販売価格も決まっていなかったのでしょうね。
しかし、新年のスタートを飾る1月号に何とか載せたかったのかもしれません。
製品としてのマミヤシックスⅠ型の写真と比較すると広告のカメラは確かにレンズ取付前板部分のデザインが違っていますね。

広告にも載っている凸レンズと凹レンズを組み合わせたマミヤのマークですが、凹レンズ部に入っている「S」と「M」の文字は、間宮氏のマミヤシックス試作機を見て製造を提案し、出資者であり、マミヤ光機製作所の所長となった菅原 恒二郎氏とマミヤシックスの設計者で技術担当の技師長である間宮 精一氏のそれぞれのイニシャルからきていますね。
このマークのデザインは、当時の東京美大の生徒から懸賞募集したものの中から選ばれたそうです。

独創的な機構をもつ6×6判スプリングカメラのマミヤシックスは、1940年(昭和15年)のマミヤシックスⅠ型の生産から、最終型のマミヤシックス・オートマット2型の生産終了の1959年(昭和34年)12月まで、戦前から戦後の占領下の時期も含んだ19年間の間に15回の変更を行いながら生産が続けられました。

投稿: MARK12 | 2010年12月22日 (水) 19時59分

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