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私とニコン 三堀家義氏のエッセイ

ニコンの世界には著名な写真家のエッセイがいくつか載っていました。
その中にタイトルのエッセイが含まれ、三堀氏がニコンを使うようになった経緯が記されています。
私は当時、これを読んで、さらにニコンファンになりました。
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コメント

「ニッコールレンズ読本」の後に配布されるようになったのが、この「ニコンの世界」でした。私もひと通り読んでいますが、ニコンの世界には読み物が多く、楽しめる冊子になっていますね。当時ニコンカメラを購入すると、こんなに立派な冊子が送られてきたのですね。カメラがまだ高級品だった、良き時代です。別なページに載っている"Photopia Utopia"には、当時の著名人が寄稿していて、こちらも楽しく読みました。既に鬼門に入られた方も多いのが残念です。

投稿: 研究会員 | 2010年11月14日 (日) 00時13分

ニッコールレンズ読本などは、以前にニコンの書籍として初版の時期など紹介していますので、興味がある方はこれら書籍を探して読むのも良いですね。

投稿: MARU0 | 2010年11月14日 (日) 03時46分

いまは環境の変化でこうした書籍を探せなくなりましたが、私が持っている「ニコンの世界」に印象的な読み物があります。

「私の好きな写真集」のコーナーの渡辺貞夫さんが上げたレニ・リーフェンシュタールさんのヌバ族の写真集。
彼女は戦前、現在も名作と呼ばれているベルリン・オリンピックの映画「美の祭典」の監督を務めた巨匠ながら、ナチス・ドイツの協力者として戦後、苦難の人生を歩むことになります。

これを撮影したときは60歳。
これが掲載されていたときは74歳でニコノスで海中写真を撮影していたとのこと。

彼女はつい最近101歳で亡くなりましたが、彼女のすごさは彼女をナチスの協力者と糾弾した人たちが亡くなった後、100歳で映画を撮影したこと。
しかもカメラを自分で持ち海中撮影をし、完成させた後、このシリーズの2作目の準備中に亡くなったとのこと。
この執念は見習いたいと思っています。

レニ・リーフェンシュタールにオリンピックの名作映画「美の祭典」の舞台を用意したのは、第一次世界大戦で敗退したドイツを復興させたヒトラーで、日本で上映されたベルリン・オリンピックのニュース映画のBGMを聴いていると、ヒトラーのオリンピックとゆう感じがします。
BGMの曲名は「ハイル・ヒトラー」だからです。

ナチス関係のものはヨーロッパでは禁止されていますが、ナチス関係の音楽は人気があり、現在マネー・ロンダリングの国として有名なリヒテンシュタインとゆうヨーロッパの小国からレコードがかなり出ていますが、いまはCDでしょうね。
この国の輸出品で有名なものに、セラミック製の人工の歯もあります。
人工歯根に接着したり、歯茎に口腔外科で埋め込むチタン製の歯槽膿漏などで溶けた骨の代わりになるものに差し歯にするのに使われています。

投稿: ガタピシ | 2010年11月14日 (日) 16時25分

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