新製品!ニコン及附属品携帯ケース
これにはニッコールレンズやニコンSと共に携帯ケースも新製品として紹介されています。
このケースでトランク型は角型で稀に市場で見かけますが、数はあまり多くはないようです。
一方、画像のようなガゼット型は比較的見かけますが、この新発売当時の物と同じ型なのかは分かりません。
さて、この画像を見ますと、ケース収納品が大まかに分かりますが、面白いと感じたのは、カメラとレンズ全てがそれぞれ革製ケースに納められた状態で収納されている事です。それだけ大事に扱われる高級品と言う事でしょうか。
また、レンズケースの革紐が短いのも、このようなガゼットカースから取り出し易いようにという配慮からとも思いました。
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コメント
高級品ですね。
いまはデフレなので初任給の相場は分かりませんが、この当時、残業代抜きの大卒の初任給が6000円ですから、アバウトな感覚でも新品のボディーにF1.4標準付きでいまの感覚だと250~300万ぐらいでしょうか。
交換レンズ、ファインダーも大卒の初任給6000円を目安にすると、現在の換算価格が分かると思います。
大卒の初任給が10000になるのが、昭和40年で、昭和の40年代は毎年、初任給が上がる今では考えられない時代になります。
それでもアマチュアは一眼レフに標準レンズ、135ミリF3.5がスタンダードで、広角まで持っている人は少なかったように思います。
カメラとレンズを雨風、ショックから守るのに当時は革製ケースがこの時代では一番最良の方法でもあったこともあったと思います。
S2をモノクロのサブにしたときは、ボディーはシリコンクロスにさらにタオルを巻き、レンズとファインダーは革のケースに入れてエクタクロームの販売促進用のケースに入れて、キスリングの中に。
カメラバッグの中のF-1とFDレンズも同じ方法で入れていました。
投稿: ガタピシ | 2010年10月19日 (火) 10時05分
初任給や物価のデータは色々ありますが、東京オリンピック開催翌年の昭和40年(1965年)当時の典型的なデータとしては、銀行(第一勧業銀行等)の初任給が25,000円、教員の初任給が18,700円、平均的な家賃が4,000円というのがあります。
これが10年後の昭和50年(1975年)になると銀行の初任給が85,000円、教員の初任給が81,100円、平均的な家賃が30,000円となります。この時に一般的な企業での大卒男子の初任給が約9万円というのがあります。
昭和46年(1971年)春(3月)にキヤノンの初代F-1が標準レンズ(FD50mm F1.4)付で定価10万円ジャストで発売され、国産の高級一眼レフが10万円の大台にのったことでも話題になりました。
この時の価格が一般的サラリーマンの月給の二ヵ月分と言われたものです。
1971年の教員の初任給が35,600円、平均的な家賃が15,000円でした。
この時の一般的な企業での大卒男子の数年目の給料が約5万円程度だったとすれば、F-1の価格が月給の2倍と言われたのも頷けます。
同年の秋に発売されたニコンF2(フォトミック)の標準レンズ付の定価は、F-1を上回る価格に設定されていました。
キヤノンF-1に続くプロ用の本命ニコンF2の発売で、当時のカメラ界も話題と活気に満ちていました。以後暫くは、高級化、高価格化の路線まっしぐらの時代が続くことになります。ミノルタX-1やコンタックスRTS等の高級機の発表・発売も続きました。
この頃からカメラは昔ほど貴重品ではなくなったのか、プロ等の使い方にも影響されたのかカメラをケースに入れずに裸で使う人が多くなったように感じます。
中には如何にも使い込んだ様に見せるためにか、わざわざ黒塗装のカメラの角などを紙やすりで擦って、真鍮等の金属地肌を露出させる人もいました。
投稿: MARK12 | 2010年10月20日 (水) 20時44分