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ライカは記録する眼である ライカⅢa型/Ⅲ型広告

昭和10年頃のライカの広告です。
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この広告によると、ライカIII型の5cmF3.5エルマー付きで580円、5cmF2ズマール付きで790円、IIIa型ではエルマー付き660円、ズマール付き870円と80円高となっていました。
因みにこの翌年発売されたキヤノン標準型(ハンザキヤノン)がニッコール5cmF3.5付きで275円ですから、半額以下の価格でした。
昭和10年の物価ですが、映画が50銭、ラーメンが10銭との事ですから、単純に4,000倍しますと、映画が2000円、ラーメン400円で、現代の価格に近くなります、これに当てはめますとハンザキヤノンが1100000円、ズマール付きライカIIIa型が3480000円となります。
実際に当時、ライカやコンタックスの価格で借家が建てられたそうです(1000円あれば普通に家が建てられた)から、「ライカ1台、家一軒」といった言葉もあながち大袈裟ではないと言えそうです。
余談ついでに、昭和10年には電気露出計の付いたコンタフレックス(通称ダルマ)が登場しています、こちらは2000円以上(ゾナーF1.5付きは2500円)だったそうですから、この金額だと結構な豪邸が建てられたと思われます。

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コメント

私の生まれ育ち、いまも住んでいるところはおもしろいところで、終戦までは要塞地帯でカメラを持ち込む時は許可証を申請して受けなければ、カメラを持って電車から降りると銃剣を付けた小銃を持った衛兵によって「はい、ごめん」とゆって有無もいわさずフィルムを抜かれ、ライカはスパイ用のカメラとして持ち込みはかなり厳しかったとのこと。

運動会の集合写真にしても、海軍要塞司令部に写真館の人もネガとプリントを持って行き検閲を受けて許可がなければならなかったそうなので、地元でカメラを手に入れる人は少なかったそうです。

ところがおもしろいことに、古道具屋に行くとこの時代に購入されたライカⅢ型を見ることが出来ます。

海軍士官が入手したものです。
軍人であれば、要塞地帯でライカを持っていてもにらまれることはありませんから。
にらまれるだけならばいいのですが、許可を取ってカメラを持って行き記念撮影してもそれが軍事機密に少しでも結びつくと、警察に連れて行かれ取り調べられフィルムは没収。
故・稲村隆正氏が旧制の中学生のとき友人と来た時に体験していることを文章で残しています。

投稿: ガタピシ | 2010年8月19日 (木) 05時30分

故・稲村隆正氏が友人とこんな目にあった所は、いまでもジョージ・ワシントンが出港、入港するときはすごい迫力で見えます。

私はミッドウェーの時代、事故を起こして入港するときの緊迫した感じで通るのを見ましたが、父は日米の正規空母同士の海空戦で中破した翔鶴が入港してくるのを見、当時の現代戦のすごさを感じたと回想していました。

投稿: ガタピシ | 2010年8月20日 (金) 09時51分

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