ライカM3広告
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昨日のトプコールレンズに続いて、昭和32年頃のズノーレンズの広告です。
このコピーを見ますと、レンズの描写(性能)に相当自信がある事が伺われます。
ライカ、コンタックス、キヤノン、ニコンを当時の名実ともに世界一流の35ミリ判カメラにすると謳っているのですが、個人的には、既にある意味それぞれ世界一になっているとも思っているので、純正レンズ以上の性能だと言わんばかりのコピーが返って新鮮にも写りました。
さて、これらレンズ描写性能は私には分かりませんが、この中ではやはり50mmF1.1の95000円という価格が際立っていて、目立ちます。
この50mm(5cm)F1.1は以前に少し紹介しましたのでご存じの方もおられると思いますが、昭和32年には既に後期型(新型)となっています、また、当初は帝国光学工業株式会社という社名でしたが、この頃にはズノー光学工業株式会社(昭和31年12月より)となっています。この1年後には、昨日も記しました、最初の近代的一眼レフズノーペンタフレックスが登場します。
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この宣伝広告を見ますと、トプコンRがクイックリターンミラー、正立正像のペンタプリズム、ファインダースクリーンに組み込まれたスプリットプリズム式距離計を備えたカメラである事が分かりますが、それと更に広告上部にある自動絞りが刷り込まれ、自動絞り付きであるように思えてしまいます。
実は、この自動絞りは初めに自動絞りチャージレバーを引いておかなければならず、半自動絞りと言える物でした。
このプリセットチャージが不要なカメラの登場は同年発売のズノー ペンタフレックスからとなります。トプコンRシリーズでの完全自動絞りはこのモデルの改良型であるトプコンR2からで、1960年発売でした。
また、シャッターも同軸上に高速シャッターと低速シャッターを備えた回転式のニコンS2同様のシャッターでした。
これも一軸不回転式となるのはズノー ペンタフレックスからでした。
しかし、完成度は高く、確か広告内にある「上下像合致式プリズム距離計」は近年では「スプリットイメージ式距離計といわれ広く定着していた方式です、これを最初に採用した国産一眼レフでしたし、レンズ性能も申し分なく、今でもこれらトプコールレンズを愛用してい方は多いと聞いています。
下は写真工業掲載の解説などです。参考にしてください。
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前日のハンザキヤノンに次いで、本日はキヤノンのF-1です。
アサヒカメラ1971年5月号にはキヤノンF-1がニューフェイス診断室に取り上げられていました。
それに伴い、図解辞典でも分解図などが掲載されていましたので紹介します。
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アサヒカメラ昭和10年12月号に掲載されていた近江屋写真用品が出したキヤノン標準型、所謂、ハンザキヤノン発売の広告です。
これには「乞う、材料店頭に実物を御一見あれ!」とありますので、この頃発売されたように見受けられます。
しかし、一説にはこれよりもう少し後、昭和11年2月頃の発売とも言われておりますので、この広告の頃(昭和10年10月頃出稿)には発売出来るまでの数が揃えられなかったのかもしれません。
ニコン関連追記:フィルムカメラおよび交換レンズ一部機種の修理対応期間を延長
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昭和29年3月のカメラ雑誌に掲載されていた日本光学の広告です。
(アサヒカメラ1954年3月号より)
大胆なデザインの、この広告の構成図に使われているレンズは何でしょう?
一見すると5cmF1.4の7枚構成にように思えますが、実は8.5cmF1.5です。
どちらも3枚貼り合わせレンズを2群使っていて非常に構成が似ています、しかし、5cmF1.4では、最後のレンズが直前のレンズより大きくなっています。
SとFマウントレンズのカタログなど以前に紹介しましたカタログなどから比較しますと分かりやすいかと思います。
このようなデザインの広告を日本光学ではこの後もいくつか出していますので、そのうち紹介したいと思います。
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下は昭和15年秋に制定された国産カメラの公定価格(当時の定価)が決まり、その一覧表が載っておりました。
(アサヒカメラ昭和16年新年号より)
その中での“最高品はキヤノン最新型IIIの480円止まりとなった。”とあり、これが当時の最高価国産カメラだったようです。下にその最新型の載った広告を紹介します。
広告にはヘルメスが載っています、これは日本光学初期の引伸ばしレンズです。エルニッコールが出るのはもう少し後、ニコンカメラ登場以後となります。
因みに下はカメラ部分のアップです。
レンズ部分を見ますと、「Nippon Kogaku Nr 501439 Nikkor 1:3.5 f=5cm」となっているように見えます。
また、キヤノンカメラも最新型IIIとなっている名前の経緯については、上の説明にあるように価格改定によるものだったのでしょう。
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今回は、また、ニコンカメラではありません、少々こじつけですが、Fという名のカメラつながりと言う事で、個人的に好きなオリンパスペンFTの話題です。
TTL露出計内蔵ハーフサイズ一眼レフ、オリンパスペンFTの露出決定は他のTTL一眼レフと少々異なり、TTLナンバーシステムを取り入れていました。
下はOLYMPUS PEN FT GUDE BOOKに載っていたTTLナンバーシステムの解説記事の一部です。
簡単に言ってしまえば、TTLナンバーはあくまで画面全体の明るさが、そのレンズの開放絞りの明るさより何段暗くなっているかを示している、相対絞りの値となっています。
このTTLナンバーの付けられ方などの理由が上の説明を見ると分かるかと思います。
合理的なシステムなのですが、(レンズの解放時TTLナンバーを覚えていれば、クリック数で数字の把握は出来ますのでファインダーから目を離さなくても適正値まで絞り込む事は可能ですが、)ファインダー内でレンズ側TTLナンバーを確認出来ないのがやや残念な部分ではあります。
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1970年代半ば頃の日本光学工業 20cm/15cm屈折赤道儀のカタログです。
以前にニコン20cm・15cm屈折赤道儀カタログの一部を紹介しましたので、ご覧になった方もおられるかと思います。
関連記事
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下は1988年の大判用ニッコールレンズカタログにあるAMシリーズの部分です。
このレンズ、「AMシリーズ」とありますが、このAMは実はアポ・マクロの略のようです。
その根拠は、発表時の記事を見ると理解できるかと思います。
カメラレビューではアポ・マクロニッコールとマクロと記しています。
(カメラレビューNo.26より)
ただし、写真工業の記事ではアポ・マイクロと記してあります。
(写真工業1982年11月号より)
AMとなっているだけで、どちらが正しいのか確認しておりませんが、個人的には撮影倍率(*1)などからマイクロがシックリくるように思います。
*1:ニッコール千夜一夜物語「1.マクロとマイクロ」参照
しかし、 EL68さんから紹介していただきましたように、この文中には「アポマクロニッコールへと・・・」とマクロと呼称していますので、当初のタイトルではマイクロを使っておりましたが、マクロへ訂正させていただきました。
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発売元の近江屋より日本光学製の普及型5cm屈折赤道儀の広告が載っていました。
(アサヒカメラ1951/7より)
約60年前の初級用望遠鏡ですから、色のにじみは大きかったのではないでしょうか。価格が載って無いのが残念です。
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以前に三木淳氏がダンカン氏よりライカM3Dを戴いた経緯を書いた記事「デヴィット・ダグラス・ダンカンと三木淳の友情の印」を紹介しました。
今回はその三木氏が、まだ、ライフ東京支局に在籍している当時、カール・マイダンス東京支局長が日本を去る事になった際に交わした内容などカール・マイダンス氏の人柄を伺い知る事が出来る記事を1950年8月のCAMERA誌に執筆しておりましたので、紹介させていただきます。
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ニコン初のAFコンパクトカメラ、ピカイチ発売から2年半ほどして、モデルチェンジしたのが下のカタログにあるニューピカイチです。(1985年9月発売)
新発売カタログの表紙と裏表紙ですが、裏表紙に仕様が載っています。
これによると、初代ピカイチからの変更点は、レンズ構成が4群5枚、最短距離80cmでしたが、3群4枚、最短距離70cmへ、また、フィルム感度(ISO25~400)を手動セットでしたが、DXコードでの自動セット(ISO50~1600)になり、撮影可能本数も30本から60本へ倍増し、重量も345gから320gへと僅かですが軽くなりました。
価格は初代、ニューピカイチ共本体42800円、ケース2000円で変わりませんが、アクセサリーのL37フィルター(共に1200円)は46mmのネジ込式からカブセ式へと変更しています。
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ニコンM型が発売されたのは昭和24年10月頃です、上の広告は昭和24年11月ですので、出稿時にはまだニコンM型カメラは発売されておりませんので、画像のカメラはニコンI型だと思われます。
この頃の交換レンズは画像のように、5cm、8.5cm、13.5cmのニコンマウント3種とLマウント4種のみとなっていて、5cmF1.5や3.5cmF3.5はもう少し後になります。
因みに、画像のカメラは先日の近江屋版ニコンM型広告の8.5cmF2付きと同じ物と思われます。
また、1ヵ月ほど前のニコンのニュースにNikon Rayfact MJ 90mm F4レンズ発売を知らせるものがありましたし、画像センシング展2010でご覧になってご存じの方もおられると思いますが、これにはニコンFマウントの物も用意されていますし、このほど発売となり、60年余の極端を意識し、今回、紹介させていただきます。(汗)
このレンズは製品検査などの用途を前提としていますので、基準波長546.07nm(e線)、使用波長域400nm~700nmと一般向けではないのですが、撮影環境が準備出来るならば、1/20倍~1/2倍の可変倍率となっており、ニコンFマウント用も用意されている事、イメージサークルも広く(φ82mm)アオリを使った接写にも向いているように思います。
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この頃はニコンカメラも安定して生産・供給が出来るようになり、このように発売元からの定価を載せた広告も見られるようになりました。
因みにこの定価54000円は標準F2付き(ケース含む)の物で、明快F1.5付き(ケース含む)は68000円でした。
また、免税価格が載っているのも、進駐軍関係が大きな販売先な為だと思います。
画像にあるカメラに付いているレンズですが、左は不鮮明ですが、多分5cmF2ハイブリッド?、右はマウントは違いますが、ダンカンを唸らせた8cmF2と正像式のユニバーサルファインダーが付いています。またレンズには8012という番号が見てとれます。カメラの製造番号が判別出来ませんので、このカメラがM型なのか、I型なのかは分かりませんが、付いているレンズからI型のような気がします。
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