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1971年秋に出たニコンF2カタログ(初版)の一部です。
このカタログに添付されていた価格表は以前に紹介しましたのでこちらも参考にしてください。
2010年7月30日 (金) NikonF2 | 固定リンク Tweet
このカタログは私も当時、カメラ屋で入手していまでも大事にしています。処で、この初版のみにレンズ一覧表によくみると、札幌オリンピックで活躍した300F2.8のプリセット絞りの市販されなかったレンズがそのレンズ外観とレンズ構成とともに、※印で近日発売予定とはっきり銘記されています。結局このレンズは報道向けのみの特殊レンズのみとなったのも今となってはなつかしいですね。
投稿: K.BON | 2010年7月30日 (金) 21時41分
札幌仕様のサンニッパは次版まで掲載されていましたが、3版より消えてしまいました。 このサンニッパには日本光学製EDレンズが間に合わず、ゲルツ社?の低分散レンズが使われたという話を聞いた事があります、もしかしたらそういった経緯もあって報道向け限定となってしまったのかも知れませんね。
投稿: MARU0 | 2010年7月30日 (金) 22時42分
そうでしたか、2版までは載っていたのですか。この話題をパソ通のニフティのFPHOTOであきやんさん達としたのは20年前のことであったことを思い出してなつかしいです。
投稿: K.BON | 2010年7月31日 (土) 00時04分
●暑中お見舞い申し上げます。いつも楽しく拝見しております。お気に入りのF2カメラの話題に心沸き立っています(笑) ●みなさま御指摘の報道向けNikkor-H 300/2.8、そして販売時点そデザインが異なるフォトミックSファインダ(DP-2)、ニコン千夜一夜でも紹介された黎明期のAFレンズ、SPのオートメーションを一層進めた感があります。 ●噂には聞いておりましたが、F2のカタログ表紙は特色の銀色で、カメラのエンボス加工を入れる力作。見開きの七色に光るF2ロゴと、F時代からの古さを隠せない当時のレンズが歴史を実感させます。後にAI化で再び花が開く事となります。夢のある時代でした。
投稿: ふみとパパ | 2010年7月31日 (土) 02時07分
ショット社とゆう説も説もありますね。
ショット社からは戦前から購入していて、ゾナータイプの5cmF1.4はライカマウントのものに戦前購入した在庫の光学ガラスが使われ、ニコンマウントのものより描写が良いとの評を読んだ記憶があります。
ニコンF2にしてもFにしてもあの当時は手に入れることは夢また夢だったのを思い出します。
投稿: ガタピシ | 2010年7月31日 (土) 08時43分
ガタピシさん、 >ショット社とゆう説も説もありますね。 そうだったかも知れません、うろ覚えで、資料を見なおした訳ではないので、光学ガラスメーカー名は不確かでした。その為?マークを付けましたが、時間がある時に調べ直してみます。
投稿: MARU0 | 2010年7月31日 (土) 12時47分
F2カタログにも掲載されていたニッコールH300mmF2.8は、ショット社の低分散ガラスを使用していました。
投稿: MARU0 | 2010年8月 1日 (日) 07時17分
MARU0さん
Nikkor-H 300mmF2.8の初期生産品は、ショット(SCHOTT)社製の特殊低分散ガラスを使用したのは間違いないのですが、MARU0さんの記憶にゲルツの名前が出てきていたのに興味を持ちました。
ゲルツ(Görz、英語綴りではGoerz)社のドイツ本社は、1926年(昭和元年)にイカ、コンテッサ・ネッテル、エルネマンと合併し、新会社ツァイス・イコン(Zeiss Ikon Dresden Dagor)が設立された後は、硝子製造を行っていたゲルツとショットは、カールツァイス財団の基で、硝子材はショット社製造に統一されましたが、旧西ドイツのマインツあたりにある旧ゲルツのレンズ製造工場がショット社に統合されて、ショット社ではあるが、旧ゲルツ系の工場製として、MARU0さんがゲルツ社?と書かれたのではないかと想像してしまいました。
尚、1966年にショット社は、アジアでは初となる販売子会社を日本に設立していますね。 又、ゲルツのアメリカ支社は、1972年にシュナイダー・クロイツナッハに合併されるまでは残っていたようです。
投稿: MARK12 | 2010年8月 1日 (日) 14時35分
札幌仕様はキヤノンのサンニサパに対抗するため、私には間に合わせのイメージがあります。
この時キヤノンは対ニコン戦用のF-1を投入していましたから、サンニッパの性能に見合うものでしたから。
しかしニコンがこの仕様のサンニッパでキヤノンをしのいだのは、キヤノンのFDレンズ使用のMF機は300ミリになるとミラー切れを起こしたからだと私は見ています。
サンニッパどころかLレンズも手が出せなかったものの、どうしても300ミリが必要なものを撮りたかったので、普通ガラス使用の300ミリF5.6を手に入れましたが、F-1では切れが出始め、普及機のAE-1の方が切れが少なかったのをいまでも覚えています。
後にニコンFとF2に切り替えた時、この時はEDレンズ使用の300ミリF4.5を手に入れることができましたが、ニコンではFでもミラー切れを起こしませんでした。 AFに移行する時、FDからEFマウントにキヤノンが移行したのがよく分かったことでした。
投稿: ガタピシ | 2010年8月 3日 (火) 05時54分
ガタピシさん
札幌冬季オリンピックの開催は1972年の2月で、キヤノンFL300mmF2.8 S.S.C.フローライトの発売は1974年2月ですが、キヤノンのサンニッパが札幌オリンピックに持ち込まれた事実があるのでしょうか?
Nikkor-H 300mmF2.8の報道向け発売は1972年1月でギリギリ間に合いましたが・・・。
投稿: MARK12 | 2010年8月 3日 (火) 20時43分
持ち込まれたかどうかは分かりませんが、FL-300ミリF2.8はこの時点でFDレンズのカタログには受注生産品として出ていたと思います。
F-1は札幌オリンピックに合わせて設計試作していたものと思われます。 F-1が完成した時、それまでサンニッパを持っていながら、FTしかプロに提供できなかったのが、これでサンニッパに見合うカメラを商品化できたとゆう喜びに満ちた。とゆう資料を読んだことがあります。
ニコンのサンニッパ札幌仕様を見るとかなり無理をして間に合わせたのではないでしょうか?
旧FDのカタロク゜にまだFD85ミリF1.8が製品化されていない時代のものを持っていますが、FLのサンニッパは受注生産品としてでています。
現在キヤノンのHPで確認したところ、FD85ミリ発売の年とサンニッパの発売の年が一緒でした。 これはサンニッパが受注生産品でなくなった年なのではないでしょうか?
それとニコンとキヤノンは距離リングを回す方向が逆なので、確実な仕事をしなくてはならないプロからは嫌われたものと思います。
ニコンがデジカメの35ミリフルサイズを実現させたとき、キヤノンがフルサイズになる前に精度を向上させたデジカメをスポーツ関係のカメラマンに普及させたため、ニコンはこの分野ではかなり苦戦していると販売促進の営業の方が申しておりました。
それと同じことが起きていたのではないでしょうか?
投稿: ガタピシ | 2010年8月 4日 (水) 10時31分
FL300mmF2.8 S.S.C. FLUORITEの名称・表示になったのが発売日となっている1974年2月のようで、 それ以前のものは、FL-F300mmF2.8 S.S.C.の名称・表示となっていたと思います。 この前のタイプがレンズカタログ上では受注生産品となっていたのですね?
しかし、受注生産品とは云え、出荷の実績があれば、立派な商品と云えるでしょう。 最初に受注した日か出荷した日あたりを発売日と言っても差し支えないと思います。 ニコンに限らず受注生産品は各社に少なからずありましたが、発売日とかは明確なものが多いと思います。
F-1発売の頃のF-1のカタログやF-1発売前後の総合カメラカタログ等にも300mmF2.8の記述は見当たらず、 キヤノンのHPのキヤノンカメラミュージアムでも1974年2月以前は、300mmF2.8が無かったことにされているのは何故なんでしょうね。
ただし、キヤノンのレンズカタログやレンズガイドブックでは、試作や計画のみで終わったレンズの記述も記載されている場合がありますね。 FL55mmF1.2AL(アスフェリカル)やFL-F1000mmF11などはその例だと思います。
しかし、F-1以前のFTの時代からあったはずのFL300mmF2.8に関する写真や使用場面の記事を私は見た記憶がありません。 最初から蛍石が使われていたのか、FL300mmF2.8 S.S.C. FLUORITEと外観等は似ていたのか、 いつ頃に何本くらい出荷されたのか、不明な点は多く、そのあたりを知りたいと思っています。
投稿: MARK12 | 2010年8月 5日 (木) 22時32分
キヤノンの研究も海外での研究が盛んなようです。
洋書を探すか、自分で調査するしかないでしょうね。
ニコン研究会のようにキヤノンの技術者を招へいしての研究会はありませんからね。
知られているはずのニコンのレンズでも、ニューニッコール35ミリF2.8から、初期型のAi35ミリF2.8に代わったのも定説とも他の資料とも違うのですから。 私のヤクオフからの観察データーでは。
ニューニッコール35ミリF2.8は70万代から登場したようで、80万代ものは82万代まで確認しています。 同じレンズ設計のAi35ミリF2.8の若番は85万代を確認しています。
実証するのは理系のデーターの取り方と同じように、根気よくデーターを探して集積しなくてはならないだろうと覚悟するしかないでしょう。
投稿: ガタピシ | 2010年8月 6日 (金) 08時45分
スレタイのF2から外れますが、コメントされているレンズの情報です。 ご存知の方もいらっしゃるでしょうし、参考になりますかどうか・・・。
(FL300/2.8) カメラレビュー別冊クラシックカメラ専科 No.7 キャノン編/ニコン編 にレンズ一覧表がありますが、FLレンズ望遠の最後にこのレンズがあります。 製作年月日の欄は1972、備考欄に蛍石使用と記されています。 尚、写真等は無いので実物がどのようなものかはわかりません。
(35mm F2.8) http://www.photosynthesis.co.nz/nikon/serialno.html このサイト情報によれば、new~Ai は85xxxxでの切り換りということになるのでしょうか。
投稿: すずめ | 2010年8月 7日 (土) 07時47分
すずめさんへ。
いまのところ私のヤクオフに出ているレンズで確認したところでは850万代での切り替えと見ていますが、データーとなる出品情報をほぼ毎日確認してCD-Rに画像を蓄積していますが、まだ断言できるまでのデーターの蓄積が出来ていないのが現状です。
サンニッパはキヤノンFT時代の資料を探さなくてはと思っています。
現在ニコンで製造された大和級の15メートル測距儀ですが、ベンタプリズムを使用した倒立式がほぼ定説になっていますが、この測距儀の設計たずさわった技術者が昭和30年代の「丸」に倒立式ではなかったと記述したものがあり、これは軍事機密が絡んでいるので、倒立式とバーアンドストライド式の両方を設計製造して取り付け、それを知っていたのは設計を統括した技術主任以上の者だったのではないかとみています。
これも鵜呑みにするのではなく、とりあえずいつの日か確かめてみたいと思っています。
私の書くことは定説以外にもこんな情報もあるよ。 とぐらいに思ってください。
唯一いま確実に定説と違うのではとゆえそうまでに情報の集積が少しできたのが、3タイプ目の設計の35ミリF2.8であり、newの若番と最終ナンバー帯の確認。Aiの初期のものの番号帯の確認と最終番号帯の確認のための観察をしているところです。
投稿: ガタピシ | 2010年8月 8日 (日) 16時47分
気になったことをメモした紙が出てきたので、私が定説に疑問を持ったきっかけが分かりました。
Aiニッコール35ミリF2.8は一説によると773111~?からとゆうのが、ここの35ミリF2.8の記事が出ていたのに、ヤクオフでニューニッコールの780024を見つけたからでした。
この頃は大して興味がなかったのでメモをしておいて画像をダウンロードしておかなかったのが悔やまれます。
7800024の前の770万代のものがみつからなければ、ニューニッコールは780001からの始まりとゆうことになります。
投稿: ガタピシ | 2010年8月 9日 (月) 14時38分
●みなさまのコメントを拝見し、オリンピックに狙いを定め、まさに切磋琢磨しているメーカー技術者と、機材の極限性能まで駆使するカメラマンの姿がおぼろげながら想像できました。世間があっと驚く選手の姿が紙面に出ることで、メーカーの民生品向け営業展開も相当左右すると想像されるだけに、サンニッパに代表される報道用機材は社運を背負っているのではと思いました。●札幌オリンピックに併せて開発されたであろう二大メーカーのサンニッパの歴史は、カメラ史のみならず産業考古学の面からも研究や情報が望まれます。高度経済成長の最終局面でジャパン・アズ・ナンバーワンの産業が大半を占める中、異常分散レンズ硝材の国産化への闘いが続いていた背景、同じ敗戦国でありながら技術を有していた(西)ドイツの事情。黎明期には共に輸入硝材に頼りながらも、蛍石に拘り続けたキヤノンと、EDガラスを自社開発したニコンの技術とその両社の企業文化、経営判断など、後世に伝える技術遺産に思えてなりません。 ●サンニッパに関して、ニコンはレンズ開発者のコメントを含め情報が揃っているだけに、キヤノンのそれも特に札幌オリンピックあたりの開発・製造・製品情報が発見されることを期待したく思います。FLレンズ時代のサンニッパ情報が明らかになれば、金帯の無い「無冠の王」ニッコールHサンニッパの技術的価値がまた見直されると思います。●それにしてもキヤノンFL300/2.8は海外のWEBでも明確な情報が見つかりません、不思議です。
投稿: ふみとパパ | 2010年8月 9日 (月) 18時01分
キヤノンはレンジファインダーから一眼レフへの流れの中で、製品が認知されるのに失敗したことが大きいと思います。
商売的には、キヤノネットの爆発的売れ行きにより成功したものの、一眼レフでは大きく出遅れ、ニコンはFの完成後、時代が35ミリ一眼レフを必要とした時に当時の技術では最も使いやすい先進的なカメラとしてニコンFがあったことが、キヤノンの資料が少ないことの大きな理由と思われます。
某カメラ雑誌のテクニカル評価でキヤノンのFLレンズが酷評されていた記事も読んだことがありますが、モノクロのページはキヤノンのFLレンズで撮影された写真集を見てみると私的にはここまでボロクソに書くことないじゃない。結構いいレンズだと思うけどな。と、思ったものです。
いまは古本屋まわりをして、自分で写真集や文献探しすることができませんが、キヤノンのサンニッパはキヤノンのキヤノン・サークルを探すのが一番の近道の様に思いますが、ゆうはやすし、探し出すための労力は大変です。
キヤノンは光学機器部門の売り上げより、オフィス商品の部門の方が圧倒的な利益出してる会社だしなあ。
投稿: ガタピシ | 2010年8月10日 (火) 09時05分
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この記事へのトラックバック一覧です: ニコンF2 初版カタログ:
久野 幹雄: ニコン―レンジファインダーニコンのすべて (★★★★★)
青山 祐介: 究極のニコンカメラ (★★★★★)
佐藤 治夫 /大下 孝一 : ニッコール千夜一夜物語―レンズ設計者の哲学と美学ニッコールクラブ会報に連載されていた記事に加筆して1冊にまとめたものです。 ニコンサイトでも閲覧可能 (★★★★★)
豊田 堅二著: ニコンファミリーの従姉妹たちニッコールクラブ会報に連載されていた記事に加筆して1冊にまとめたものです。 ニコンサイトでも閲覧可能 (★★★★★)
落合 泰之著: ニコンカメラレンジファインダーニコンを紹介。コレクターの方必携です。 (★★★★★)
コメント
このカタログは私も当時、カメラ屋で入手していまでも大事にしています。処で、この初版のみにレンズ一覧表によくみると、札幌オリンピックで活躍した300F2.8のプリセット絞りの市販されなかったレンズがそのレンズ外観とレンズ構成とともに、※印で近日発売予定とはっきり銘記されています。結局このレンズは報道向けのみの特殊レンズのみとなったのも今となってはなつかしいですね。
投稿: K.BON | 2010年7月30日 (金) 21時41分
札幌仕様のサンニッパは次版まで掲載されていましたが、3版より消えてしまいました。
このサンニッパには日本光学製EDレンズが間に合わず、ゲルツ社?の低分散レンズが使われたという話を聞いた事があります、もしかしたらそういった経緯もあって報道向け限定となってしまったのかも知れませんね。
投稿: MARU0 | 2010年7月30日 (金) 22時42分
そうでしたか、2版までは載っていたのですか。この話題をパソ通のニフティのFPHOTOであきやんさん達としたのは20年前のことであったことを思い出してなつかしいです。
投稿: K.BON | 2010年7月31日 (土) 00時04分
●暑中お見舞い申し上げます。いつも楽しく拝見しております。お気に入りのF2カメラの話題に心沸き立っています(笑)
●みなさま御指摘の報道向けNikkor-H 300/2.8、そして販売時点そデザインが異なるフォトミックSファインダ(DP-2)、ニコン千夜一夜でも紹介された黎明期のAFレンズ、SPのオートメーションを一層進めた感があります。
●噂には聞いておりましたが、F2のカタログ表紙は特色の銀色で、カメラのエンボス加工を入れる力作。見開きの七色に光るF2ロゴと、F時代からの古さを隠せない当時のレンズが歴史を実感させます。後にAI化で再び花が開く事となります。夢のある時代でした。
投稿: ふみとパパ | 2010年7月31日 (土) 02時07分
ショット社とゆう説も説もありますね。
ショット社からは戦前から購入していて、ゾナータイプの5cmF1.4はライカマウントのものに戦前購入した在庫の光学ガラスが使われ、ニコンマウントのものより描写が良いとの評を読んだ記憶があります。
ニコンF2にしてもFにしてもあの当時は手に入れることは夢また夢だったのを思い出します。
投稿: ガタピシ | 2010年7月31日 (土) 08時43分
ガタピシさん、
>ショット社とゆう説も説もありますね。
そうだったかも知れません、うろ覚えで、資料を見なおした訳ではないので、光学ガラスメーカー名は不確かでした。その為?マークを付けましたが、時間がある時に調べ直してみます。
投稿: MARU0 | 2010年7月31日 (土) 12時47分
F2カタログにも掲載されていたニッコールH300mmF2.8は、ショット社の低分散ガラスを使用していました。
投稿: MARU0 | 2010年8月 1日 (日) 07時17分
MARU0さん
Nikkor-H 300mmF2.8の初期生産品は、ショット(SCHOTT)社製の特殊低分散ガラスを使用したのは間違いないのですが、MARU0さんの記憶にゲルツの名前が出てきていたのに興味を持ちました。
ゲルツ(Görz、英語綴りではGoerz)社のドイツ本社は、1926年(昭和元年)にイカ、コンテッサ・ネッテル、エルネマンと合併し、新会社ツァイス・イコン(Zeiss Ikon Dresden Dagor)が設立された後は、硝子製造を行っていたゲルツとショットは、カールツァイス財団の基で、硝子材はショット社製造に統一されましたが、旧西ドイツのマインツあたりにある旧ゲルツのレンズ製造工場がショット社に統合されて、ショット社ではあるが、旧ゲルツ系の工場製として、MARU0さんがゲルツ社?と書かれたのではないかと想像してしまいました。
尚、1966年にショット社は、アジアでは初となる販売子会社を日本に設立していますね。
又、ゲルツのアメリカ支社は、1972年にシュナイダー・クロイツナッハに合併されるまでは残っていたようです。
投稿: MARK12 | 2010年8月 1日 (日) 14時35分
札幌仕様はキヤノンのサンニサパに対抗するため、私には間に合わせのイメージがあります。
この時キヤノンは対ニコン戦用のF-1を投入していましたから、サンニッパの性能に見合うものでしたから。
しかしニコンがこの仕様のサンニッパでキヤノンをしのいだのは、キヤノンのFDレンズ使用のMF機は300ミリになるとミラー切れを起こしたからだと私は見ています。
サンニッパどころかLレンズも手が出せなかったものの、どうしても300ミリが必要なものを撮りたかったので、普通ガラス使用の300ミリF5.6を手に入れましたが、F-1では切れが出始め、普及機のAE-1の方が切れが少なかったのをいまでも覚えています。
後にニコンFとF2に切り替えた時、この時はEDレンズ使用の300ミリF4.5を手に入れることができましたが、ニコンではFでもミラー切れを起こしませんでした。
AFに移行する時、FDからEFマウントにキヤノンが移行したのがよく分かったことでした。
投稿: ガタピシ | 2010年8月 3日 (火) 05時54分
ガタピシさん
札幌冬季オリンピックの開催は1972年の2月で、キヤノンFL300mmF2.8 S.S.C.フローライトの発売は1974年2月ですが、キヤノンのサンニッパが札幌オリンピックに持ち込まれた事実があるのでしょうか?
Nikkor-H 300mmF2.8の報道向け発売は1972年1月でギリギリ間に合いましたが・・・。
投稿: MARK12 | 2010年8月 3日 (火) 20時43分
持ち込まれたかどうかは分かりませんが、FL-300ミリF2.8はこの時点でFDレンズのカタログには受注生産品として出ていたと思います。
F-1は札幌オリンピックに合わせて設計試作していたものと思われます。
F-1が完成した時、それまでサンニッパを持っていながら、FTしかプロに提供できなかったのが、これでサンニッパに見合うカメラを商品化できたとゆう喜びに満ちた。とゆう資料を読んだことがあります。
ニコンのサンニッパ札幌仕様を見るとかなり無理をして間に合わせたのではないでしょうか?
旧FDのカタロク゜にまだFD85ミリF1.8が製品化されていない時代のものを持っていますが、FLのサンニッパは受注生産品としてでています。
現在キヤノンのHPで確認したところ、FD85ミリ発売の年とサンニッパの発売の年が一緒でした。
これはサンニッパが受注生産品でなくなった年なのではないでしょうか?
それとニコンとキヤノンは距離リングを回す方向が逆なので、確実な仕事をしなくてはならないプロからは嫌われたものと思います。
ニコンがデジカメの35ミリフルサイズを実現させたとき、キヤノンがフルサイズになる前に精度を向上させたデジカメをスポーツ関係のカメラマンに普及させたため、ニコンはこの分野ではかなり苦戦していると販売促進の営業の方が申しておりました。
それと同じことが起きていたのではないでしょうか?
投稿: ガタピシ | 2010年8月 4日 (水) 10時31分
FL300mmF2.8 S.S.C. FLUORITEの名称・表示になったのが発売日となっている1974年2月のようで、
それ以前のものは、FL-F300mmF2.8 S.S.C.の名称・表示となっていたと思います。
この前のタイプがレンズカタログ上では受注生産品となっていたのですね?
しかし、受注生産品とは云え、出荷の実績があれば、立派な商品と云えるでしょう。
最初に受注した日か出荷した日あたりを発売日と言っても差し支えないと思います。
ニコンに限らず受注生産品は各社に少なからずありましたが、発売日とかは明確なものが多いと思います。
F-1発売の頃のF-1のカタログやF-1発売前後の総合カメラカタログ等にも300mmF2.8の記述は見当たらず、
キヤノンのHPのキヤノンカメラミュージアムでも1974年2月以前は、300mmF2.8が無かったことにされているのは何故なんでしょうね。
ただし、キヤノンのレンズカタログやレンズガイドブックでは、試作や計画のみで終わったレンズの記述も記載されている場合がありますね。
FL55mmF1.2AL(アスフェリカル)やFL-F1000mmF11などはその例だと思います。
しかし、F-1以前のFTの時代からあったはずのFL300mmF2.8に関する写真や使用場面の記事を私は見た記憶がありません。
最初から蛍石が使われていたのか、FL300mmF2.8 S.S.C. FLUORITEと外観等は似ていたのか、
いつ頃に何本くらい出荷されたのか、不明な点は多く、そのあたりを知りたいと思っています。
投稿: MARK12 | 2010年8月 5日 (木) 22時32分
キヤノンの研究も海外での研究が盛んなようです。
洋書を探すか、自分で調査するしかないでしょうね。
ニコン研究会のようにキヤノンの技術者を招へいしての研究会はありませんからね。
知られているはずのニコンのレンズでも、ニューニッコール35ミリF2.8から、初期型のAi35ミリF2.8に代わったのも定説とも他の資料とも違うのですから。
私のヤクオフからの観察データーでは。
ニューニッコール35ミリF2.8は70万代から登場したようで、80万代ものは82万代まで確認しています。
同じレンズ設計のAi35ミリF2.8の若番は85万代を確認しています。
実証するのは理系のデーターの取り方と同じように、根気よくデーターを探して集積しなくてはならないだろうと覚悟するしかないでしょう。
投稿: ガタピシ | 2010年8月 6日 (金) 08時45分
スレタイのF2から外れますが、コメントされているレンズの情報です。
ご存知の方もいらっしゃるでしょうし、参考になりますかどうか・・・。
(FL300/2.8)
カメラレビュー別冊クラシックカメラ専科 No.7 キャノン編/ニコン編 にレンズ一覧表がありますが、FLレンズ望遠の最後にこのレンズがあります。
製作年月日の欄は1972、備考欄に蛍石使用と記されています。
尚、写真等は無いので実物がどのようなものかはわかりません。
(35mm F2.8)
http://www.photosynthesis.co.nz/nikon/serialno.html
このサイト情報によれば、new~Ai は85xxxxでの切り換りということになるのでしょうか。
投稿: すずめ | 2010年8月 7日 (土) 07時47分
すずめさんへ。
いまのところ私のヤクオフに出ているレンズで確認したところでは850万代での切り替えと見ていますが、データーとなる出品情報をほぼ毎日確認してCD-Rに画像を蓄積していますが、まだ断言できるまでのデーターの蓄積が出来ていないのが現状です。
サンニッパはキヤノンFT時代の資料を探さなくてはと思っています。
現在ニコンで製造された大和級の15メートル測距儀ですが、ベンタプリズムを使用した倒立式がほぼ定説になっていますが、この測距儀の設計たずさわった技術者が昭和30年代の「丸」に倒立式ではなかったと記述したものがあり、これは軍事機密が絡んでいるので、倒立式とバーアンドストライド式の両方を設計製造して取り付け、それを知っていたのは設計を統括した技術主任以上の者だったのではないかとみています。
これも鵜呑みにするのではなく、とりあえずいつの日か確かめてみたいと思っています。
私の書くことは定説以外にもこんな情報もあるよ。
とぐらいに思ってください。
唯一いま確実に定説と違うのではとゆえそうまでに情報の集積が少しできたのが、3タイプ目の設計の35ミリF2.8であり、newの若番と最終ナンバー帯の確認。Aiの初期のものの番号帯の確認と最終番号帯の確認のための観察をしているところです。
投稿: ガタピシ | 2010年8月 8日 (日) 16時47分
すずめさんへ。
気になったことをメモした紙が出てきたので、私が定説に疑問を持ったきっかけが分かりました。
Aiニッコール35ミリF2.8は一説によると773111~?からとゆうのが、ここの35ミリF2.8の記事が出ていたのに、ヤクオフでニューニッコールの780024を見つけたからでした。
この頃は大して興味がなかったのでメモをしておいて画像をダウンロードしておかなかったのが悔やまれます。
7800024の前の770万代のものがみつからなければ、ニューニッコールは780001からの始まりとゆうことになります。
投稿: ガタピシ | 2010年8月 9日 (月) 14時38分
●みなさまのコメントを拝見し、オリンピックに狙いを定め、まさに切磋琢磨しているメーカー技術者と、機材の極限性能まで駆使するカメラマンの姿がおぼろげながら想像できました。世間があっと驚く選手の姿が紙面に出ることで、メーカーの民生品向け営業展開も相当左右すると想像されるだけに、サンニッパに代表される報道用機材は社運を背負っているのではと思いました。●札幌オリンピックに併せて開発されたであろう二大メーカーのサンニッパの歴史は、カメラ史のみならず産業考古学の面からも研究や情報が望まれます。高度経済成長の最終局面でジャパン・アズ・ナンバーワンの産業が大半を占める中、異常分散レンズ硝材の国産化への闘いが続いていた背景、同じ敗戦国でありながら技術を有していた(西)ドイツの事情。黎明期には共に輸入硝材に頼りながらも、蛍石に拘り続けたキヤノンと、EDガラスを自社開発したニコンの技術とその両社の企業文化、経営判断など、後世に伝える技術遺産に思えてなりません。
●サンニッパに関して、ニコンはレンズ開発者のコメントを含め情報が揃っているだけに、キヤノンのそれも特に札幌オリンピックあたりの開発・製造・製品情報が発見されることを期待したく思います。FLレンズ時代のサンニッパ情報が明らかになれば、金帯の無い「無冠の王」ニッコールHサンニッパの技術的価値がまた見直されると思います。●それにしてもキヤノンFL300/2.8は海外のWEBでも明確な情報が見つかりません、不思議です。
投稿: ふみとパパ | 2010年8月 9日 (月) 18時01分
キヤノンはレンジファインダーから一眼レフへの流れの中で、製品が認知されるのに失敗したことが大きいと思います。
商売的には、キヤノネットの爆発的売れ行きにより成功したものの、一眼レフでは大きく出遅れ、ニコンはFの完成後、時代が35ミリ一眼レフを必要とした時に当時の技術では最も使いやすい先進的なカメラとしてニコンFがあったことが、キヤノンの資料が少ないことの大きな理由と思われます。
某カメラ雑誌のテクニカル評価でキヤノンのFLレンズが酷評されていた記事も読んだことがありますが、モノクロのページはキヤノンのFLレンズで撮影された写真集を見てみると私的にはここまでボロクソに書くことないじゃない。結構いいレンズだと思うけどな。と、思ったものです。
いまは古本屋まわりをして、自分で写真集や文献探しすることができませんが、キヤノンのサンニッパはキヤノンのキヤノン・サークルを探すのが一番の近道の様に思いますが、ゆうはやすし、探し出すための労力は大変です。
キヤノンは光学機器部門の売り上げより、オフィス商品の部門の方が圧倒的な利益出してる会社だしなあ。
投稿: ガタピシ | 2010年8月10日 (火) 09時05分