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戦時中の日本光学での製作風景

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これは写真週報 昭和19年2月23日号で紹介された日本光学での光学兵器製作風景などです。
当然なのでしょうが、工員は女性ばかりで、紹介の文言も国威発揚を促すものとなっています。

余談ですが、こちらの画像では航空機を作っています。私はこういった物に疎いのでさっぱり分かりませんが、機種は何でしょうね?昭和19年頃の主力戦闘機なのでしょうか、ちょっと興味があります。
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この雑誌は、情報局編集、印刷局印刷発行となっており、広告も裏表紙の南満州鉄道株式会社の満州にある兵站基地の写真と大陸旅行の問い合わせ先となる満鉄鮮満支案内所の住所のみで、政府の広報誌然となっています。

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Nikon etc.」カテゴリの記事

コメント

言いたい事が言えなかった時代ですね。ネットでカメラの悪口言ってる人や成田から海外旅行へ行く人は先人達のささやかな人生について考えるべきです。

投稿: 空歩人 | 2010年5月 3日 (月) 07時36分

「写真週報 昭和19年2月23日号」ということですので、載っている写真は昭和18年から19年始め頃までのものでしょうね。
日本光学工業の現場写真は当時の戸塚工場あたりかもしれません。

航空機の製作現場の写真ですが、機体が部分的で、私もあまり詳しくありませんので機種がよく分りません。
しかし、昭和19年前後で川崎航空機ということから、岐阜の各務原にある川崎航空機工業の岐阜工場の本工場か第2全組組立工場で製造されていた陸軍のキ100(五式戦闘機)あたりではないでしょうか。
キ100は、水冷エンジンだったキ61(飛燕)の空冷エンジン搭載型と言えるものですね(結果的に成功作)。

写真では配線作業を行っているようですので、電気装備課関係の人員かもしれません。
昭和18年や19年は岐阜の学徒の勤労動員が行われたそうです。

昭和20年(1945年)年6月22日にB29の編隊によって各務原は空襲を受け、岐阜工場は壊滅的な被害を受けます。
疎開先の第2全組組立工場でも8月2日に米戦闘機による機銃掃射や小型爆弾の投下を受け、製造中だったキ100が損害を受けたとの話もあります。
各務原空襲後も一部の疎開先工場では機体を作っていたようです。

投稿: MARK12 | 2010年5月 4日 (火) 01時37分

古い記事などいつも楽しく読ませていただいております。さて航空機組み立ての写真ですが、おそらく陸軍の九九式双発軽爆撃機ではないかと思われます。なかなか愛嬌のあるスタイルで好きな飛行機です。http://military.sakura.ne.jp/ac/lily.htm

投稿: SPA | 2010年5月 4日 (火) 07時01分

 機種は二式復座戦闘機「屠龍」と思いました。
理由は左手が機首側と見てエンジン等の取り付け部材が
無いのと中翼配置から双発機で操縦席付近の狭さから
爆撃機では無いとする川崎が「女子挺身隊」の時期に
製作していたのは「屠龍」だけとなります。気になった
のは下部の切り欠けで、始めは爆弾槽と思って99軽爆か
とも思ってしまいましたが時期が合いません。
 私としてはレンズ研磨の風景の中の手前の円盤に興味がわきます、2列目の反射鏡のような曲率の浅いものの
研磨機の一部であるようですが用途がわかりません。

投稿: tune | 2010年5月 4日 (火) 19時41分

当時の海軍と陸軍との仲の悪さからすると、陸軍機ではないと思います。

このコクピットと主翼を取り付けると思われる場所から推定すると、当時、日本海軍が最も斬新な艦上攻撃機として設計製造した「流星」ではないかと思われます。

当時、空母には水平爆撃と雷撃を行う艦上攻撃機と、急降下爆撃を行う艦上爆撃機の二種類の攻撃機がありましたが、別々な機体では運用上と生産の両面から制約があったため、これらの攻撃能力を一機種で行えるように設計、製造したのが「流星」ですが、出来上がった戦争末期搭載される空母はなく、陸上基地からの運用となりました。

当時、一機種でこれらの攻撃を全てこなすとゆうのは世界初のものでした。

戦争末期とゆうことで、製造機数の少なさと実戦期間が短かったので余り知られていない日本海軍機です。

実戦に参加しているのはアメリカ軍が撃墜が確実であったかを記録するために戦闘機に搭載されたガン・カメラによって記録されています。

投稿: ガタピシ | 2010年5月 5日 (水) 13時16分

tuneさん

川崎航空機での量産現場の写真ですが、おっしゃるように(キ45改)二式復座戦闘機「屠龍」でしょうね。
中翼構造で複座らしい形状なので、五式戦ではないのは私も後で気付きましたが、帝国陸軍機専門みたいな川崎航空機では該当する機体は九九式双発軽爆撃機か屠龍あたりしかないでしょうね。
時期的には屠龍ということになりますね。

胴体下部の爆弾槽みたいな部分は、胴体下面用の機関砲搭載スペースのようです。
屠龍は、配備部隊によっては九九式軽爆の替りにも運用されたようですので、胴体下面用機関砲を取り外せば色々と装備できたのかもしれません。

日本光学でのレンズ研磨場面の写真ですが、
手前から二列目の横に同じような機械が並んでいるのは一般的な多軸のレンズ研磨機ですね。
三角形のアームの先端にある軸の下にお椀形の研磨皿が付き、その下に置かれる複数の被加工レンズを貼り付けた半球状の回転体に被さってグリグリと研磨します。
横に見える平べったい円盤状のものは、この研磨皿を躍動させる機構の回転体で1本のアームが付いているのが見えますね。
一番手前に並んでいる皿のようなものが、この回転体を裏返しにして並べたものだと思います。

投稿: MARK12 | 2010年5月 5日 (水) 17時37分

突然のコメント投稿失礼いたします。
私は日本テレビの夕方の報道番組「news every.」を制作しております(株)ルーカスの松下と申します。
番組では現在、終戦70年特集で戦時中に日本光学の工場で働いていた方を取材しております。当時の工場の様子を紹介する際に写真週報の記事を使用させていただく予定です。こちらのホームページに掲載されている画像が国会図書館などで入手できるものよりも品質がよいため、ぜひとも転載のご許可をいただけたらと思っております。著作権の処理等はこちらのほうで行わせていただきます。突然のお願いで大変申し訳ございませんが何卒ご検討のほどよろしくお願いいたします。

投稿: 松下 貴之 | 2015年2月 6日 (金) 17時08分

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