カメラ誌に掲載された一眼レフの作品点数
昭和38年1月から昭和39年9月までのカメラ誌に掲載された一眼レフで撮られた作品点数をカメラ別(メーカー別?)にまとめグラフにしたものが下の旭光学(当時)の広告に載っていました。
この頃は東京オリンピック前の特需もあり、経済成長も伸びて来た頃で、こういった比較的高価な一眼レフも需要が伸びていたのでしょう、特にこのアサヒペンタックスのSPやSVは使っている方をよく見かけたものでした。
先の広告のグラフはそれを裏付けているのかもしれません。
それとは別に、他社のAカメラとかBカメラが何なのか少し興味が湧きました。きっとニコマートなど日本光学のカメラも含まれているとは思いますが、雑誌を調べればある程度は推測もたつのでしょうが、ずぼらなものでそこまでやる気になれず、A~Dのどれになるのかちょっと想像がつきません。
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コメント
ちょうど私が生まれた頃のデータですので親の世代が使っていたカメラの傾向を良く表してますね。
ペンタのSPは一般庶民のお父さんに良く使われていたと聞いただけでしかありませんが。
今は皆さん別会社のデジタル一眼レフとかお使いなのでしょう(笑)。
投稿: 空歩人 | 2010年4月16日 (金) 12時23分
●何時も楽しく拝見しております。
●小生が写真を始める頃には、レンジファインダー機はミノルタCLE、マキナ67、ライカの新型(機種は覚えていませんが)が販売された頃で、極めて高価な「優雅なカメラ」の時代。写真よりカメラ機材自体が大好きな人間が使うカメラのイメージが強いです。
●卑下な表現で恐縮ですが、オジイサンがお寺で桜を撮っている悠々自適的なカメラ・・・(笑)が「これがレンジファインダー」だと堂々と言える貴族の持ち物のようなもので、ファミリー層は「コンパクトカメラ」か「一眼レフ」という観念が拭えませんでした。
●当時は中級機でのレンジファインダー機材も相当多かったのでしょうか?それが故に一眼レフのPRに精を入れていた・・・というところでしょうか。叔父が保有していたネジ式マウントでビックリしたペンタックスSP、巻き上げレバーを開いて赤丸を表示しても露出計が出なくて困ったニコンF2アイレベル(笑)をふと思い出しました。
投稿: ふみとパパ | 2010年4月16日 (金) 13時30分
ニコンはこの頃かなり高価で、望遠レンズで最も普及していた135ミリF3.5ですらペンタックスなどと比べると高価。
高校への進学率もいまとは比べようもなく、大学進学を前提とした進学校への入学祝にニコンFを買ってもらった人もいたぐらいの時代なので隔世の観もありますね。
この時代のペンタックスのレンズはモヤタクなどと陰口を言われていた時期で、旭光学の社員で鉄道写真の名手で、後にペンタックスの重役になられた方と撮影地で会ったとき、フィルムをトライXにして、引き伸ばしレンズはニッコールにするといい、とゆうアドバイスをもらい実行したら、タクマーはシャープだったなんて話を思い出します。
投稿: ガタピシ | 2010年4月18日 (日) 15時35分