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「真実の証言。」世界を見つめ、決定的一瞬に目を向ける・・・ニコンに課せられた使命です。
初期のニコンF2広告ですが、当時報道の現場にはニコンがかなりの割合で使われていた事によるコピーなのでしょうか。
ニコンF2にはこういった重みのある落ち着いた雰囲気の広告が似合いますね。
「●高精度・高品質・・・・・・35mm一眼レフの最高級機。」この文言に当時、私はとても魅力を感じたものでした。 しかし、すぐに購入する事が出来なかったので、カタログを眺めてはF2貯金に励んだのを思い出します。
2010年4月19日 (月) NikonF2 | 固定リンク Tweet
このコピーを読むと思い出すのが、当時行われていたベトナム戦争。
いまはショックが強すぎるため、余り目にしないとは思いますが、ソンミ村虐殺事件。 この事件の一部始終は、戦果や行われた作戦を記録する軍のカメラマンが撮影していて、たしかこの頃、アメリカ軍が使用していたのはニコンでまだFだったと思いますが。
この事件は軍務として撮影した軍のカメラマンの内部告発で表に出てきたものだったと思います。
この時代はいまのようにバーチャルなところはなく、一つ一つの起きることに重みがあり、それを記録したのが西側ではニコンだった重みのある現実感を思い出しますね。
投稿: ガタピシ | 2010年4月19日 (月) 21時23分
Fの系統は視野率100%が特長でした。特に複写の際はどこまでセーフなのか方眼スクリーンで確認しました。もちろん100%でない機種でも、ファインダーに見える範囲より広く写るので、被写体が切れることはありませんが。 F2販売期間の約10年間にボディを含めて随所のマイナーチェンジがありますが、基本的にボディとファインダー、スクリーンの組み合わせで通用するすごいシステムだと思います。私も最初はアイレベルから初めて、後にフォトミックAファインダーを購入しました。 今でも後期ボディーとチタンボディーを大事に残しています。 F2には、改造してF4のスクリーンが組み込めるので、2台ともF4のB型とE型を装着しています。特に望遠撮影の時はF4スクリーンが明るくて楽です。ただし、フォトミック・ファインダーでは露出補正が必要です。 また、80分の1以上のシャッター・スピードでは中間値も使えるので、リバーサルフィルム撮影での露出の微調整がききました。これは雑誌のグラビア撮影で効果を発揮しましたね。 雨天の撮影の後はファインダー、裏ぶたなどできる限りバラバラにして乾かしましたが、とにかくタフなカメラでした。 シャッターのストロークも当時のカメラでは短く、プロ野球の打撃シーンを撮るのに適していました。F3が出ても好んでF2を使うスポーツカメラマンが80年代半ばまでいました。 現在でも中古品がかなり出ているので、入手は可能ですね。
投稿: しんじ | 2010年4月20日 (火) 01時39分
FやF2の時代にF/F2等のニコンが報道関係で使われていた割合は非常に高かったように思います(日本では95%以上かもと思っていますが)。 これはF3の時代でもニコン使用率は90%近くあったのではないかと思います(報知新聞の様にNewF-1を使うところも一部ありましたが)。 ニコンが独占的ではなくなったのは、AF時代のEOS-1n出現以降ではないでしょうか。 このあたりは、当時の現場を実際にご存知のしんじさんがお詳しいでしょうね。
私にとってFとF2は特別な存在であり、今でも最も好きな一眼レフです(特にアイレベルモデル)。 FやF2は最近でも入手していて、Fは8台(+部品取り用2台)、F2は12台(+部品取り用2台)にもなってしまいました。 それぞれ初期型、中期型、後期型と細かい相違や作動・操作フィーリングの違いがありますので台数が増えてしまいました。 基本的に今後も保存したいカメラは巻上レバーが付いたMF機です(手持ちでは、Nikon F,F2,F3、Canon F-1n,NF-1、Contax RTS,RTSⅡ、minolta X-1 P等)。機械式なら更に良しというところです。
FとF2ではファインダースクリーン枠が共通なので装着互換性がありますし、枠の中身の焦点板やコンデンサーレンズはF~F5間での入れ替えも可能ですね。 FとF2ではファインダー取り付け方式が基本的には同じなのでフォトミック系を除くとF2用のファインダーもネームプレートを外せばFに装着可能です(高倍率ファインダーなどは元々共用となっています)。
Fのシンプルなメカの高信頼性やオーバースペック的な材質や造りの良さは今更言うまでもないでしょうが、当時の一般のカメラに比べれば、正に兵器並みと言えるでしょうね。これはベースとなったS型ニコンにも通じるものがあるでしょう。
Fは長年ノーメンテナンスで使い続けても簡単には不調にはなりませんが、一旦不調になると低速(ガバナー)不調や高速シャッター不良(スリットが開かない等)が発生したりもします。もう使うな、いいかげんにオーバーホールしろというサインなのでしょう。
一方F2はFより複雑化、高機能化している分、Fよりメカトラブルを起こしやすいと思っていましたが、長年の使用経験からそれほどでもないと感じています。 機構的には比較的単純な不良(巻上レバーロックでレリーズも不可)の場合は、底蓋を外してメカ機構をちょっと動かしてやると生き返る可能性が高いです。 この症状のF2(初期型の71F2と後期型の80F2)を訳有り品やジャンク品として安く買ったことがありますが、簡単に直ってしまい、その後は快調に動いています。 F2の叩けば直る的なしぶとさ?にはちょっと驚いています。キヤノンでは旧F-1が経年劣化が少ないと思いました。 もちろん快調な作動や操作感を得るには定期的なメンテナンスは必要でしょう。
投稿: MARK12 | 2010年4月21日 (水) 00時01分
MARK12さんのコレクションには恐れ入ります。一度拝見したいです。 F2のデザインは実に日本的で美しいと思います。映画でも、ジャーナリストの象徴としてFやF2が登場する作品がありますね。「サルバドル」「地獄の黙示録」「マディソン郡の橋」「アイズ」など。F5が登場するのは「ジュラシックパーク2」、F4登場は「GIジェーン」でしたかね。 F2は組むシステムによっていろいろと変身するので、現在のすべて(モードラなど)組み込まれているカメラとは違った魅力を感じます。
投稿: しんじ | 2010年4月22日 (木) 00時37分
●先週日曜日、息子のサッカー市大会の時に、親同士で「F2&ニコマート談義」に花が咲いてしまいました。とにかくあの当時のF2の存在感は偉大、唯一「ニコン」を名乗っているだけあって販売時点では、二人とも「夢のカメラでしたよね」と語っていました。 ●最近はF2よりD2ばかりとなりましたが、信頼性と手の馴染みを考えるとF2A、F2ASをバックに忍ばせてD2故障時の万一に備えたり、AIAF85/1.4Dや、AI18/F3.5Sミリレンズに偏光フィルターを付けて単体で撮影したり楽しんでいます。レリーズのタイムラグが短い、ファインダーの見やすさ(スクリーンはF4用と交換)も魅力です。 ●プロの世界は伺い知ることが出来ませんが、故・市ノ瀬泰三氏のベトナム戦線で活躍したMD付きF2フォトミック、こちらも惜しくも鬼籍入りさえた植村直己氏の極地冒険用F2Tウエムラ・スペシャルなど、「命」のあり方を映像を通して世界中に知らしめた功績は、スペース・カメラとして宇宙に飛んだFやF3~F5と肩を並べるのでは無いのでしょうか。「真実の証言。」というコピーと精悍なF2フォトミックの姿に改めて惚れ込みました。
投稿: ふみとパパ | 2010年4月27日 (火) 22時04分
ニコンF2。 使ってみたいあこがれのカメラで、現在の主力機で、私としては最多の6台を持っています。
F2もFに負けず頑丈なカメラて゜710FのブラックのフォトミックAで軍艦部にものすごいショックの跡が残っていますが、いまでも動きます。 ただ前所有者が電池の液漏れでボディー内の電線が電極から剥離しているため、メーターは使えません。 DP-11ファインダーは歪みはあるものの、いまでも作動します。
私の持っている一番新しいのがブラックボディーの795F2でブラックボディーの最終シリアルナンバー帯の796F2の直前のナンバーです。 なぜだか分かりませんが、私の私の住んでいるところではブラックボディーの最終シリアルナンバー帯の790F2はDP-1が付いているものしか見たことがありません。
F2は使いたいカメラだったのですが、この時代はキヤノンの旧F-1を使っていました。
F-1はF2と比べると1/2000秒が出ていなかったのを思い出します。
投稿: ガタピシ | 2010年4月28日 (水) 18時14分
真実の証言・・・・すばらしいキャッチフレーズです。 僕も1台だけですがF2フォトミックをFM初期型とともに使用しています。 レリーズの感触はまさに最高級機にふさわしいもので、メカの遊びが全くない感じです。ファインダー情報はとてもシンプルで覗けばすぐに分かるのはたいへんありがたいことです。なぜか自分のF2は中期~後期のボディに初期タイプのDP-1がついていますが メーターも問題なく動作します。といっても、使い始めは接触が悪く、針が跳ねるので絞りリングを何回か左右に動かして使いますが。 ふみとパパ様の言うとおり、様々な過酷で緊迫した状況のなかで『真実』を写し続けたF2の功績はまさに究極のカメラにふさわしいものではないかと思います。
投稿: igay | 2010年4月28日 (水) 23時20分
このコピーは、ニコンのプライドでもありますね。
終戦によって大顧客だった帝国海軍の解体、連合軍による日本の自衛のための再軍備の禁止などで、ニコンがニッコールレンズとニコンSが極寒気の朝鮮戦争の戦場を唯一作動し戦場の報道をし、ニューヨークタイムスで評価された記事が出るまでの日本光学とゆう会社が息を吹き返し、世界のニコンになるまでの苦闘物語はすごいものがあります。
第二次大戦による思想の混乱から来たものは、日本だけでも学生運動によるアメリカのアイゼンアワー大統領の訪日中止。
日本ではもう忘れられていますが、西洋教養主義を身につけ日本から世界に向けて発信し、欧米の文化人から最も評価された文豪・三島由紀夫の自衛隊の市が尾駐屯地への乱入、日本で最後の介錯付きの割腹自殺の報道写真の西洋教養主義を最も身に付けた男のそれと対極にある自決による欧米への強烈なショックを与えた報道写真。
あの時、購読していた朝日新聞の一面に掲載された事件が起きた部屋への警察の取り調べに入った時の写真には、警察官の足元に盾の会の制服の上に置かれていた三島由紀夫の首と、三島由紀夫を介錯した後、自分も割腹、介錯を受けたMとゆう人物の首が置かれていた写真がいまでも思い浮かびます。
あれからもう40年になろうとしているのに、欧米では三島研究。舞台。バレエーまで。 三島研究はいまも続いているそうです。
この時、自決していなければ、日本人二人目のノーベル文学賞を受賞していたのは確実と評されていた文豪です。
世界でも連合軍側が東西に分かれて、全面戦争にはならなかったものの、代理戦争などかなり激しく揺れていた時代を記録し続けたニコンのプライドともいえるでしょう。
投稿: ガタピシ | 2010年5月 6日 (木) 17時18分
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久野 幹雄: ニコン―レンジファインダーニコンのすべて (★★★★★)
青山 祐介: 究極のニコンカメラ (★★★★★)
佐藤 治夫 /大下 孝一 : ニッコール千夜一夜物語―レンズ設計者の哲学と美学ニッコールクラブ会報に連載されていた記事に加筆して1冊にまとめたものです。 ニコンサイトでも閲覧可能 (★★★★★)
豊田 堅二著: ニコンファミリーの従姉妹たちニッコールクラブ会報に連載されていた記事に加筆して1冊にまとめたものです。 ニコンサイトでも閲覧可能 (★★★★★)
落合 泰之著: ニコンカメラレンジファインダーニコンを紹介。コレクターの方必携です。 (★★★★★)
コメント
このコピーを読むと思い出すのが、当時行われていたベトナム戦争。
いまはショックが強すぎるため、余り目にしないとは思いますが、ソンミ村虐殺事件。
この事件の一部始終は、戦果や行われた作戦を記録する軍のカメラマンが撮影していて、たしかこの頃、アメリカ軍が使用していたのはニコンでまだFだったと思いますが。
この事件は軍務として撮影した軍のカメラマンの内部告発で表に出てきたものだったと思います。
この時代はいまのようにバーチャルなところはなく、一つ一つの起きることに重みがあり、それを記録したのが西側ではニコンだった重みのある現実感を思い出しますね。
投稿: ガタピシ | 2010年4月19日 (月) 21時23分
Fの系統は視野率100%が特長でした。特に複写の際はどこまでセーフなのか方眼スクリーンで確認しました。もちろん100%でない機種でも、ファインダーに見える範囲より広く写るので、被写体が切れることはありませんが。
F2販売期間の約10年間にボディを含めて随所のマイナーチェンジがありますが、基本的にボディとファインダー、スクリーンの組み合わせで通用するすごいシステムだと思います。私も最初はアイレベルから初めて、後にフォトミックAファインダーを購入しました。
今でも後期ボディーとチタンボディーを大事に残しています。
F2には、改造してF4のスクリーンが組み込めるので、2台ともF4のB型とE型を装着しています。特に望遠撮影の時はF4スクリーンが明るくて楽です。ただし、フォトミック・ファインダーでは露出補正が必要です。
また、80分の1以上のシャッター・スピードでは中間値も使えるので、リバーサルフィルム撮影での露出の微調整がききました。これは雑誌のグラビア撮影で効果を発揮しましたね。
雨天の撮影の後はファインダー、裏ぶたなどできる限りバラバラにして乾かしましたが、とにかくタフなカメラでした。
シャッターのストロークも当時のカメラでは短く、プロ野球の打撃シーンを撮るのに適していました。F3が出ても好んでF2を使うスポーツカメラマンが80年代半ばまでいました。
現在でも中古品がかなり出ているので、入手は可能ですね。
投稿: しんじ | 2010年4月20日 (火) 01時39分
FやF2の時代にF/F2等のニコンが報道関係で使われていた割合は非常に高かったように思います(日本では95%以上かもと思っていますが)。
これはF3の時代でもニコン使用率は90%近くあったのではないかと思います(報知新聞の様にNewF-1を使うところも一部ありましたが)。
ニコンが独占的ではなくなったのは、AF時代のEOS-1n出現以降ではないでしょうか。
このあたりは、当時の現場を実際にご存知のしんじさんがお詳しいでしょうね。
私にとってFとF2は特別な存在であり、今でも最も好きな一眼レフです(特にアイレベルモデル)。
FやF2は最近でも入手していて、Fは8台(+部品取り用2台)、F2は12台(+部品取り用2台)にもなってしまいました。
それぞれ初期型、中期型、後期型と細かい相違や作動・操作フィーリングの違いがありますので台数が増えてしまいました。
基本的に今後も保存したいカメラは巻上レバーが付いたMF機です(手持ちでは、Nikon F,F2,F3、Canon F-1n,NF-1、Contax RTS,RTSⅡ、minolta X-1 P等)。機械式なら更に良しというところです。
FとF2ではファインダースクリーン枠が共通なので装着互換性がありますし、枠の中身の焦点板やコンデンサーレンズはF~F5間での入れ替えも可能ですね。
FとF2ではファインダー取り付け方式が基本的には同じなのでフォトミック系を除くとF2用のファインダーもネームプレートを外せばFに装着可能です(高倍率ファインダーなどは元々共用となっています)。
Fのシンプルなメカの高信頼性やオーバースペック的な材質や造りの良さは今更言うまでもないでしょうが、当時の一般のカメラに比べれば、正に兵器並みと言えるでしょうね。これはベースとなったS型ニコンにも通じるものがあるでしょう。
Fは長年ノーメンテナンスで使い続けても簡単には不調にはなりませんが、一旦不調になると低速(ガバナー)不調や高速シャッター不良(スリットが開かない等)が発生したりもします。もう使うな、いいかげんにオーバーホールしろというサインなのでしょう。
一方F2はFより複雑化、高機能化している分、Fよりメカトラブルを起こしやすいと思っていましたが、長年の使用経験からそれほどでもないと感じています。
機構的には比較的単純な不良(巻上レバーロックでレリーズも不可)の場合は、底蓋を外してメカ機構をちょっと動かしてやると生き返る可能性が高いです。
この症状のF2(初期型の71F2と後期型の80F2)を訳有り品やジャンク品として安く買ったことがありますが、簡単に直ってしまい、その後は快調に動いています。
F2の叩けば直る的なしぶとさ?にはちょっと驚いています。キヤノンでは旧F-1が経年劣化が少ないと思いました。
もちろん快調な作動や操作感を得るには定期的なメンテナンスは必要でしょう。
投稿: MARK12 | 2010年4月21日 (水) 00時01分
MARK12さんのコレクションには恐れ入ります。一度拝見したいです。
F2のデザインは実に日本的で美しいと思います。映画でも、ジャーナリストの象徴としてFやF2が登場する作品がありますね。「サルバドル」「地獄の黙示録」「マディソン郡の橋」「アイズ」など。F5が登場するのは「ジュラシックパーク2」、F4登場は「GIジェーン」でしたかね。
F2は組むシステムによっていろいろと変身するので、現在のすべて(モードラなど)組み込まれているカメラとは違った魅力を感じます。
投稿: しんじ | 2010年4月22日 (木) 00時37分
●先週日曜日、息子のサッカー市大会の時に、親同士で「F2&ニコマート談義」に花が咲いてしまいました。とにかくあの当時のF2の存在感は偉大、唯一「ニコン」を名乗っているだけあって販売時点では、二人とも「夢のカメラでしたよね」と語っていました。
●最近はF2よりD2ばかりとなりましたが、信頼性と手の馴染みを考えるとF2A、F2ASをバックに忍ばせてD2故障時の万一に備えたり、AIAF85/1.4Dや、AI18/F3.5Sミリレンズに偏光フィルターを付けて単体で撮影したり楽しんでいます。レリーズのタイムラグが短い、ファインダーの見やすさ(スクリーンはF4用と交換)も魅力です。
●プロの世界は伺い知ることが出来ませんが、故・市ノ瀬泰三氏のベトナム戦線で活躍したMD付きF2フォトミック、こちらも惜しくも鬼籍入りさえた植村直己氏の極地冒険用F2Tウエムラ・スペシャルなど、「命」のあり方を映像を通して世界中に知らしめた功績は、スペース・カメラとして宇宙に飛んだFやF3~F5と肩を並べるのでは無いのでしょうか。「真実の証言。」というコピーと精悍なF2フォトミックの姿に改めて惚れ込みました。
投稿: ふみとパパ | 2010年4月27日 (火) 22時04分
ニコンF2。
使ってみたいあこがれのカメラで、現在の主力機で、私としては最多の6台を持っています。
F2もFに負けず頑丈なカメラて゜710FのブラックのフォトミックAで軍艦部にものすごいショックの跡が残っていますが、いまでも動きます。
ただ前所有者が電池の液漏れでボディー内の電線が電極から剥離しているため、メーターは使えません。
DP-11ファインダーは歪みはあるものの、いまでも作動します。
私の持っている一番新しいのがブラックボディーの795F2でブラックボディーの最終シリアルナンバー帯の796F2の直前のナンバーです。
なぜだか分かりませんが、私の私の住んでいるところではブラックボディーの最終シリアルナンバー帯の790F2はDP-1が付いているものしか見たことがありません。
F2は使いたいカメラだったのですが、この時代はキヤノンの旧F-1を使っていました。
F-1はF2と比べると1/2000秒が出ていなかったのを思い出します。
投稿: ガタピシ | 2010年4月28日 (水) 18時14分
真実の証言・・・・すばらしいキャッチフレーズです。 僕も1台だけですがF2フォトミックをFM初期型とともに使用しています。
レリーズの感触はまさに最高級機にふさわしいもので、メカの遊びが全くない感じです。ファインダー情報はとてもシンプルで覗けばすぐに分かるのはたいへんありがたいことです。なぜか自分のF2は中期~後期のボディに初期タイプのDP-1がついていますが
メーターも問題なく動作します。といっても、使い始めは接触が悪く、針が跳ねるので絞りリングを何回か左右に動かして使いますが。
ふみとパパ様の言うとおり、様々な過酷で緊迫した状況のなかで『真実』を写し続けたF2の功績はまさに究極のカメラにふさわしいものではないかと思います。
投稿: igay | 2010年4月28日 (水) 23時20分
このコピーは、ニコンのプライドでもありますね。
終戦によって大顧客だった帝国海軍の解体、連合軍による日本の自衛のための再軍備の禁止などで、ニコンがニッコールレンズとニコンSが極寒気の朝鮮戦争の戦場を唯一作動し戦場の報道をし、ニューヨークタイムスで評価された記事が出るまでの日本光学とゆう会社が息を吹き返し、世界のニコンになるまでの苦闘物語はすごいものがあります。
第二次大戦による思想の混乱から来たものは、日本だけでも学生運動によるアメリカのアイゼンアワー大統領の訪日中止。
日本ではもう忘れられていますが、西洋教養主義を身につけ日本から世界に向けて発信し、欧米の文化人から最も評価された文豪・三島由紀夫の自衛隊の市が尾駐屯地への乱入、日本で最後の介錯付きの割腹自殺の報道写真の西洋教養主義を最も身に付けた男のそれと対極にある自決による欧米への強烈なショックを与えた報道写真。
あの時、購読していた朝日新聞の一面に掲載された事件が起きた部屋への警察の取り調べに入った時の写真には、警察官の足元に盾の会の制服の上に置かれていた三島由紀夫の首と、三島由紀夫を介錯した後、自分も割腹、介錯を受けたMとゆう人物の首が置かれていた写真がいまでも思い浮かびます。
あれからもう40年になろうとしているのに、欧米では三島研究。舞台。バレエーまで。
三島研究はいまも続いているそうです。
この時、自決していなければ、日本人二人目のノーベル文学賞を受賞していたのは確実と評されていた文豪です。
世界でも連合軍側が東西に分かれて、全面戦争にはならなかったものの、代理戦争などかなり激しく揺れていた時代を記録し続けたニコンのプライドともいえるでしょう。
投稿: ガタピシ | 2010年5月 6日 (木) 17時18分