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日本光學工業株式會社 職場の歌 

日本光学にて戦中に歌われていた?職場の歌を紹介します。

A(光友・昭和17年10月号より)

光学兵器を作っている会社だからでしょうか、非軍需関連会社とはかなり雰囲気が違う歌詞なのだろうと思います。それとも、当時は皆こんな感じの歌詞を使っていたのでしょうか・・・
今では到底考えられないですね。

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コメント

親方帝国海軍だった日本光学でこんな歌が歌われていたのですから、親方帝国陸軍だった東京光学にも興味がわきますね。

ニコンで造られた光学兵器は家が貧しくて進学が出来ず勉強したくて海軍に志願入隊下士官、兵によって使いこなされていたいました。
文系の大学生は学徒出陣で戦争にかり出されましたが、砲術には理系の大学生が履修する高等数学を理解し苦もなく駆使する高等小学校出身の下士官の学力にビックリしたそうです。
彼らは家が貧しくなければ大学で勉強し、優れた技術者や研究者になっていたことだろうと、学徒出陣で海軍に振り分けられた人が回想していました。

この雑誌が出版された頃は、日本海軍と連合国海軍との間で、戦争史にこれからも残る、海軍戦力の消耗戦とゆう、初めて人類が体験した戦いが始まった頃です。

そしてこの頃、行われた海戦の一つが、戦後、駆逐艦に強力な武器を搭載すれば巡洋艦や戦艦は必要ないとゆう戦後の海軍力のあり方を決めたものもあります。
当時の海戦の定理に「駆逐艦は巡洋艦にかなわない。巡洋艦は戦艦にかなわない」とゆうのがありましたが、日本海軍の駆逐艦は待ち受けていた連合軍の巡洋艦の艦隊を返り討ちにしたのです。
日本海軍の魚雷は当時の連合軍の魚雷の能力をはるかに超えていて、魚雷によって連合軍の巡洋艦を主力とした艦隊を打ち負かしたのです。
この魚雷戦を行うにあたって照準し命中させるための魚雷の散開巾を決定したのは、日本光学製の光学兵器だったのです。

そんな時代背景がこの職場の歌を生んだのかもしれません。

投稿: ガタピシ | 2009年7月16日 (木) 17時34分

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