MD-11の仕様
先日のMD-12の続きMD-11の仕様などです。

製造数の資料はありませんので、推測になりますが、80万代と90万台のシリアルナンバーがあるようですから10万台以上は作られているようです。
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MD-11
ニコンMD-11とMD-12
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先日のMD-12の続きMD-11の仕様などです。

製造数の資料はありませんので、推測になりますが、80万代と90万台のシリアルナンバーがあるようですから10万台以上は作られているようです。
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以前にニコレックスFを少し紹介しましたが、これには主にドイツ向け?の別名を付けたモデルが存在していました。下はそれらの画像です。
(The Complete Nikon Systemより)
左上がニコンファミリーの従姉妹たちにも紹介されていますニコレックスFのブラックモデルでとても少ないカメラの1つです。その右(中央上)は輸出モデルのニッコールJ、右端上下2台はリコーシングレックスで、ニコンFマウント互換?でニッコールレンズが付けられています。下はニコレックスFとニッコールJのツーショットです。
これら画像の中のレンズがすべて違うのが、意図したものか分かりませんが、ちょっと面白く感じました。
この辺りは「ニコンファミリーの従姉妹たち」に掲載されていましたのでご存知の方も居られると思います、まだ見て居られない方はご一読をお勧めします。ただ、現在はニコンのウェブサイトでも掲載をやめてしまったようですし、書籍も古書を探すか流通在庫を探すしかないのが残念です。
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現在、ニコンではカメラに後から着けるモータードライブの製造をしていませんが、2~3年ほど前まではニコンF3用のMD-4やFM3A、FM2、FE2などのためのMD-12を作っていました。
これら2種は長期に渡り製造されたため、かなり多数が作られ、市場に潤沢に出回っている印象です。
それらのうち、MD-12はアマチュア向け機種用で価格も低く抑えられていたようで、おそらくはニコンのモータードライブとしては最も多く作られたものだと思われます。
因みに、製造立ち上がり79年から84年の5年間で30万台以上の出荷がありました。当初は10万台のシリアルナンバーでしたが、現在市場に見られる物は100万台を超えた番号も結構見られます。
多数が出回っているため、中古での価格も割合安く、数千円から1万数千円以内で出回っている物が多いようです。
余談です、私はこちらのMD-12も、以前にも紹介しました単3サイズのリチウムイオン充電池14500とスペーサーを使い軽量化して使っています。一応安全を見て14500を3本とスペーサー5本での運用ですが、14500を4本とスペーサー4本でも少し実験的に使ったことがあります、この場合巻き上げ速度はアップしますが、実測で12ボルトを超え15ボルト以上になってしまいますのでMD・カメラとも故障のリスクが高くなってしまいます。
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昭和39年3月発売の特集フォトアートNo.63「カメラアクセサリー100の選び方使い方」に表題のような藤田直道氏の記事が載っていました。
これには「交換レンズを2本もつとすれば」や、「交換レンズを4本持つとすれば」、「1本の交換レンズ」といったサブタイトルでそれぞれ万人向きのレンズ選択をいくつかあげています。
この頃はズームレンズは高価でしたし、まだどちらかというと特殊なレンズの1つといった扱いに近かったような印象を持っていましたし、おそらくは一般的にも私の印象に近いものなのでしょう、ズームレンズの選択肢はこの記事には出てきませんでした。今とは隔世の感が強いですね。
因みに私は接写をメインに撮影していましたので、はじめは50mmとKリング、クローズアップリングの組み合わせ、その後24mmF2.8(この記事の時点では未発売)とBR-2、BR-3を購入、更に105mmF2.5、ベローズなどを順次買い足していきました。
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先日、EM系3兄弟 新発売時のカタログ表紙を掲載しました、それに因んだ話題です。
下は半期毎の各機種のおおよその出荷台数です。
等幅フォントではないので、数字の位置がずれて見難いですが、なんとか分かるかと思います。
EM FG FG20
1978下期 20000
1979上期 138000
1979下期 207000
1980上期 215000
1980下期 210000
1981上期 188000
1981下期 138000 *
1982上期 118000 116000
1982下期 131000 150000
1983上期 76000 103000
1983下期 67000 89000 21000
1984上期 16000 85000 78000
1984下期 9000 89000 72000
1985上期 * 96000 90000
1985下期 * 7200 48000
1986上期 * * 20000
1986下期 * * 23000
1987上期 * * 12400
1987下期 * *
合計 1530000 735000 364000
これらのうち、*部分は1000台未満の数字で、おそらくは初期は量産試作なども含まれ、末期は製造ではなく、在庫の出荷数ではないかと思っています。
こうやって比較してみますと、3台揃っての製造はほぼ1年半程度あり、その間は各期17~18万台程度作られています。
また、最も多く作られていた時期は1982年で、両機合わせて50万台以上の出荷でした。
因みに、国内:海外の比率はおおよそですが、EMが1:6、FGが1:10、FG20が1:8となっています。
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日本光学工業株式会社から株式会社ニコンへと変更したのが1988年4月ですので、下はほぼ日本光学時代までのニコン史年表といえます。
年表はニコンのサイトへ行けばもっと詳しく見られますので、ネットへ繋いでいる場合はそちらをお勧めします。
これは、たまたま、私の持っていた書籍「ニコンナイスショット・リリース」から画像を取り込んでいた際、製本が壊れてバラバラになってしまい、それならばついでに(笑)とばかりにスキャンした次第です。
こういった悲劇は先日紹介しました「カメラレビュー」誌も起こりやすく、私の持っている何冊かはバラバラになってしまいました。
因みに、私はこれをファイルに入れて、ニコン製品の発売年月を調べるのに便利に利用しています。皆さんもいかがでしょうか?
余談ですが、これに載っている、1970年3月の大阪万博で使われたプロニッコールは以前に「画角220度の映写機用魚眼レンズ」として紹介しました、魚眼レンズも超広角レンズなので間違いではありませんが、個人的には説明に魚眼レンズと入れて欲しかったところです。
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下は以前に紹介しましたニコンSPカタログ英語版とは別の物です。
こちらは米国の現地法人が独自に出していたもので、ロゴなどは亀倉雄策氏デザインのものを採用していませんでした。サイズも日本で印刷された物と比べますと横幅が5mmせまく、縦サイズは逆に21ミリほど高い縦長となっています。(表紙、裏表紙含め12ページ)

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ニコンF-301は自動巻き上げ、瞬間絞り込み測光方式のプログラムオート、ニコン初のDXコード付きフィルム対応、TTLプログラムフラッシュといった当時としてはかなりの自動化の進んだMF一眼レフカメラでした。
ただ、同時期に発表された(発売はF-301より半年ほど後でした)F-501という更にオートフォーカスまで搭載したカメラの陰に隠れてしまった感は否めませんでした。
下はそのF-301販売の手引の見開きの一部です。

発売は1985年9月21日で価格は62000円で、91年9月の在庫払底までに706000台ほどの出荷でした。
普及機種としては意外と長期間の発売で同系兄貴分のF-501より長命であり、出荷数も20万台以上上回っていました。
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EM系3機種の新発売時のカタログの表紙です。
右がEM、中がFG、左FG20です。

EMは日本では1980年3月発売で価格40000円(ボディのみ)、1530000台の製造
FGは1982年5月発売で価格61000円、735000台の製造
FG20は1984年3月発売で価格48000円、364000台
興味深いのは、FG発売時とほぼ同時期にFM2も発売され、FG20と同時期にはNewFM2が発売されています。
新製品を出す際、複数製品を発表した方がインパクトが強いためでしょうか・・・
また、EM系が新しくなるたびにそれらの製造数が半減?している事も気になりました。
もっともこちらは販売期間の違いもありますので、当初からの製造数の計画とは違うのかもしれませんが、ちょっと面白いと思った次第です。
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1967年発売のズームニッコールオートから光学系の変更を受けてないAi化されたAiズームニッコール50~300mmF4.5(上)と同焦点距離のズームながら、EDレンズを使用して光学系を見直し、若干小型化したAiズームニッコールED50~300mmF4.5(下)の仕様などです。
発売は上の両者とも1977年5月で220000円と280000円でした。
30年以上前の280000円ですと、現在ではその倍程度の金銭感覚に近いかと思います。
1982年3月にはこれがAi-S化されました(価格は290000円)、光学系の変更は見られませんが、重量はおよそ1950グラムと更に1割ほど軽量化されています。仕様を見ますと、サイズ的には変更は無いようですが、外観では絞り環付近が特に違うようですし、素材などの見直しもあったのかもしれません。

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アサヒソノラマから出ていたカメラ雑誌で、カメラのメカニズムなどの情報がメインの物でした。
当初は昭和52年10月より季刊誌で出ていましたが、途中から隔月刊となり、また季刊誌に戻りました。
その間に別冊としてクラシックカメラ専科が出て、増刊として、それまでに出ていたモダンフォトグラフィ誌との提携のカメラテスト記事をまとめた物も出ていました。
下はそのカメラレビューの最後の刊にあったバックナンバーの索引です。

このカメラレビュー誌には荒川氏の明るい暗箱のこぼれ話やニコン物語が連載され、それが後に「ニコン物語」として単行本化されました。
また、写真工業の技術資料のように、こちらも最新カメラの技術の公開を各メーカーからの情報として掲載されていましたので、当時毎号楽しみにしていました。今ではアサヒソノラマのクラカメ専科や写真工業といった雑誌も無くなってしまい、非常に残念です。
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ニコンカメラ用アクセサリーでカタログに載っている(載っていた)最も小さなアクセサリーって何でしょう?
すぐに思い付くのはシャッターレリーズボタンに付けるAR-9です。
直径1cmくらいのボタンと見間違う程度の大きさですから、まず筆頭の小ささではないでしょうか?
ほかにはAR-8も割合小さなアクセサリーですが、なかなかAR-9より小さな物って思い浮かびませんね。
(そのAR-9も2005年中の価格表には500円で載っていましたが、2006年にはAR-1と共に在庫が払底してしまいました。)
勿論補修用部品なんかにはそれより小さな部品も多数ありますが、それらはカタログには載りませんし、一般にも入手はできない物が多数あります。そんな中で、比較的入手しやすい小さな物は、おそらくはカニの爪を外した痕を埋める化粧ビスではないでしょうか?
価格表を調べていて気がついたのですが、結構長寿のアクセサリーを見つけました。
それは18%標準反射板です。これって調べてみないとはっきりした事は分かりませんが、かなり前からありますよね。
アクセサリーの変わり種などいろいろな話題があると思いますので、皆さんのコメントをお待ちしております。
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このレンズは説明にありますように、従来の物(7群9枚)の光学系を見直した9群11枚構成の新レンズとして登場しましたが、確か当時はあまりそのことを宣伝はしていなかったように記憶しています。もしくはオートレンズからNewニッコールへ多数が切り替えられてましたから、それらの情報に埋もれて?しまったのかもしれません。
また、私があまりズームレンズに興味が無かった事も影響していて、そのように感じていたのかもしれません。
発売は1976年4月で、その翌年3月にはAi化された物が発売されましたので、Newニッコールの方はあまり多くはないと思われます。(製造時期からの推定20000本)
ほかにも製造数に関するデータが一部残っておりましたので少し紹介します。
オーダーコードは初期のズームニッコールオートが20FLZ5、その後のマルチコートモデルが20FLZ5C、この紹介しているモデルが20FLZ12K、AiモデルがJAA70602と呼ばれていたようです。
これらいわゆるヨンサンパーロク/ヨンサンハチロクモデルは製造は37年末ころにはじまったようです、あいにく38年以前のデータは残ってなかったのですが、その後の製造総数はおよそ382000本と聞いています。
因みに、製造立ち上がり時期の本数がどれくらいだったかは分かりませんが、その後の数年間かはコンスタントに年間4000本程度作られていますので、それを考慮してあと4000本程度は数字が上がると考えてもよさそうです。
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ニコンFM・FE用のアクセサリーで、フィルムへの日付や日時写し込みを行えますが、写し込みのタイミングをシンクロ接点から取っている初期のタイプです。

この説明にありますように、ホットシュー経由でのスピードライトの使用は可能ですが、テスト発光をする場合はデータバックの写し込みをしない様にスイッチを切っておかなければなりません。これを怠ると画面に想定外のデータが入ってしまいます。(後のMF-16では、この点は改善されていますが、専用接点を持たないFM、FE、FM2では使えません。)
ただし、このシンクロ接点からの方式でも良い点がありまして、それは汎用性が高い事で、圧板のサイズやデータバック本体のサイズ、曲率など形状的に収まるカメラなら、加工して付けられる可能性が高いのです。因みにF2dateで検索をしてみてください、参考になる情報が掲載されています。
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ニコンF3AF用レンズの合焦速度は下のカタログの説明にありますように、80mmでは最短から無限遠まで0.6秒、200mmでは1.7秒となっていました。

今ではそれほど速いとは思えませんが、この頃はAF一眼レフの黎明期で、その中にあって初めてプロの使用に耐える性能のカメラとして登場していますことから、実用(許容?)になる速さだったのでしょう。
なんて、偉そうなこと書いてますが、このF3AFと私がピント合わせで競争してもかなわないのですが・・・
このカタログではマウントの事についても触れています、ニコンF3からの派生機種ですので、マウントも継承されているとも考えられるのですが、もし、このときキヤノンがFDからEFへと変えたように、ニコンも変えていたら一体どのような進化を遂げていたのでしょうか?
これらレンズの仕様、製造数などは以前に紹介しましたので、そちらを参考にしてください。
関連記事:ニコンF3AF用レンズ
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一般にはなじみが薄いため大きく報道される事もありませんでしたが、1974年7月に完成し1976年発売のCFシステムは表題のように言われ話題を呼び、顕微鏡の世界を一変させた技術だそうです。
画像は発売当初頃のカタログの一部です。

カタログに有りますように特徴として、倍率色収差が画面中央から中間部、周辺部まで良く補正され、接眼レンズの視野環の色つきが無くなり、それに伴い、100%有効視野としての観察が可能となりました。
また、対物レンズ、接眼レンズの軸上色収差も改善され、それぞれがそれ自体で完成した光学系のため、あらゆる分野に応用できる利点があるとのことです。
この完成により、当時危機に陥っていた光機事業部の再建に貢献し、シェアを大きく伸ばしたたとのことです。
因みにCFシステム開発にはウルトラマイクロニッコールの生みの親である脇本善司氏が大きく関与していたそうです。
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スピードライトカタログにあるニコン最初のコンパクトスピードライトSB-4の部分です。

画像を見ていただくと分かるかと思いますが、コンパクトと言いながら今あらためて見ますと、付けているカメラもニコマートFT2で決して小さくはありませんので、相対的に見てそれほど小さくはないように感じてしまいます。
また、付属品にシンクロコードSC-8がありますが、この頃はまだニコマートFTnを使っている方が多数居ましたから、必然だったようにも思えます。(ニコマートFTn現行時の発売でした)
確か1974年の春ころの発売で、価格は15000円で、先輩のSB-2/3が22000円でしたから、7000円の価格差はありましたが、当時のサードパーティ製の同様スペックの物と比較してかなり高価だったように記憶しています。
これは安定した光量で定評のニコン製スピードライトの事ですから、それなりのパーツを使用しての事だろうと勝手に思い込んでいまして(何の根拠もありませんが)、後にSB-9、SB-Eなどと続くコンパクトなスピードライトのはじめの一歩としてはがんばっていたのだと思います。
しかし、シンクロコードにしても、やはり本体に収納できるようになって無いなど、価格面も含めもう少し工夫があれば・・・・とカタログを見て思ってしまった次第です。
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画像はニコンF2カタログ初版にあるDP-2ファインダーの説明部分です。

製品になって無い構想段階?のモックアプを今更ほじくり返してもしょうがないのですが、長年気にかかっている1つですので、皆さんのご意見を伺いたく載せさせていただきました。
製品段階では付いて無い上の赤い矢印の先にあるスイッチは何でしょう?
私は当初はDS-1との接続後のEE作動スイッチかな?と思っていました、というのも、1秒以上の低速度シャッター速度の際の測光は、製品版と同様にフィルム感度設定ダイヤル中央のポッチが見えますので、これを押しながら回して秒時2秒以上を読み取る方式に変わりはないと判断でき、あのスイッチが低輝度測光時の低速度用の何か?とは思えなかったからです。
以前にも書きましたが、私はこのファインダーを見て、フォトミックSにあこがれDP-2の発売を待っていましたので、販売時のモデルのデザイン変更には少し期待外れの感を抱いたものでした。
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先日紹介しました「ニコンF3 和泉雅子スペシャル」のインタビュー記事にあった北極点を目指した遠征時のコースです。

この年は気温が高く、条件が悪かったために極点までたどり着くことを断念しています。
タイトルはその最高緯度をあらわしています。
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皆さんも晩秋から年初にかけてニコンカメラを買ったり、行きつけのカメラ店からカレンダーをいただいたりした経験はあろうかと思います。
下はニコン(当時の日本光学)がカメラ店の販促用やニッコールクラブ会員への頒布などに出していたニコンカレンダー1974年版の最終面にある各月撮影データの載った目次?です。

B3くらいのサイズ、表紙、各月1枚、目次面、厚紙の台紙合わせて14枚を閉じたもので、当時は金属のらせん状のとじ金具でしたが、近年の物は環境に考慮し金属は不使用で、持ち帰り用の専用の袋もゴミ袋と同様素材の炭カル含有の表記があったように記憶しています。
また、例年大体数十万部の発行部数と聞いています。
この1974年の物は、我が家に残っていた一番古いカレンダーで、作品データを見ますと、ニコンF系とニコマートFTnばかりで、この年はまだF2で撮った作品が載っていませんでした。
当時の書き込みが各月に残っていて、それも休日ばかりで、撮影会やら、自転車旅行など遊びの予定などが多く、思わず苦笑してしまいました。
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画像は植村直己氏の極寒地への冒険の際持ち込んでいたニコンF3です。
Nikon新聞No.227より
このF3チタンは、ファインダーは通常F3TはHPの物になりますが、DE-2と同じアイレベルプリズムを使った物になっているのが外観上の特徴です。
さて、画像の元記事ですが、Nikon新聞の特集記事で植村直己氏と日本光学取締役カメラ事業部長 小野茂夫氏との新春対談にあったものです。
内容で、氏のカメラは低温度でも使えるようのとの要望が発端でリチウム電池を使用するようになったようですが、どのカメラを指しているのかは不明ですが、記事中に小野氏がリチウム電池を標準搭載したカメラはニコンが最初と言っているのが少し気になりました。当時ニコンEMは確かリチウム電池が付属(初期はG13×2個)していたように記憶していますので、このあたりでしょうか?
また、この号の出た翌月の2月半ばに植村氏はマッキンリー峰への単独登頂に成功するのですが、下山途中に連絡が取れなくなり、消息を絶ちました。興味深いのは、この記事にそのマッキンリー辺りで訓練をして、南極の最高峰にも備えるような内容の発言が見られました。その訓練も兼ねた登頂だったのかもしれません。
参考記事:1984年新春対談(2.1MB)
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ニコンF2時代1976年に出た無線遠隔操作関係のアクセサリーで電波を使うMW-1はかなりの遠距離(市街地で300m)から操作できますが、高価(150000円)でした、他に、それほどの遠距離操作が必要ではない用途などのためのアクセサリーとして赤外線を利用したML-1が同時期発売されました。こちらは27000円と比較的入手しやすい価格でしたが、遠隔操作の距離は60mまででしたし、基本的に光を使う関係で双方が見通し出来る状態での使用が前提でした。
ただ、実際は60mよりもう少し遠くでも操作は可能でしたし、近距離なら反射を利用した遠隔操作も場合により可能ではありました。
さて、このML-1ですが、下の説明書の部分にも有りますように、赤外線の変調発光の送受信により遠隔操作を行っています。
変調発光は下の説明にありますので参考にしてください、この赤外光ですが、発光源は近年ですとLEDなのですが、この当時はなんとストロボを利用していました。その為でしょうか、操作部を見ましても、普通のストロボのパイロットランプやテスト発光ボタンに近い造りですし、電源も単3電池4本を使用し、送信部の本体サイズも40×40×130と大きなものでした。因みに、Wiiリモコンより少し短く少し太いくらいの物を連想していただければそのサイズが分かっていただけるかと思います。

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下の表はカメラ毎日1970年3月臨時増刊「’70国産新型カメラ白書」にあったテストカメラのシャッター音のレベル一覧です。

これは下の説明にあるようなテスト方法で、レベルの数値化はまだ試行錯誤の段階でした。
そんな中にあって、ニコンFは35ミリ一眼レフのなかではミランダセンソレックスに次いで静かなレベルとなり、当時の一眼レフのシャッター音が以外と大きかった事が伺えます。
現在は同じような条件で同じ機種の音を比べても、経年による劣化度の違いや使用頻度、扱われ方の違いなど個体差が大きくなってしまいましたので、あまり意味がないのかもしれませんが、今、我が家にあるニコマートFTnと時代の近い700万代のニコンフォトミックFTnでいろいろと速度を変えて聴き比べましたが、結果、音質の違いが大きく、レベルが2も違う差を知ることはできず、客観的な音のレベルの違いを比べる事の難しさを知るのみとなってしまいました。
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下はニコンFA発売直後ころの販売店向け資料にあったアンケートの一部です。

これを見ますと、購入者の平均年齢はいずれの機種も結構高いように感じました。
特にニコンF3AFは高価でもあり、47.3歳とかなり高い数値となっています、出始めではありますが、年齢層データにも見られますように高齢者のAF需要も高かったのかもしれません。
それと対比する訳ではありませんが、FM2は写真を勉強する学生の購入者が多い事も関係しているのか10代の比率が他機種より高く、その為か平均年齢が一番低くなっています、私はてっきりニコンEMが一番低いだろうと思っていました。
また、購入理由の最後にニコン製品だからという部分がありますが、高級機はその比率が高いのもなんとなくうなずけます。
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ニコンはル・マン24時間レースに参戦しているマツダへ1982年からスポンサーの1つとなっていました。
以前にそのレースカーへ搭載されたル・マン仕様のニコンF3を少し紹介しました。今回はその翌年1983年のル・マンでクラス優勝(総合12位)したときの日本光学の紹介記事です。

この頃はまだ、日本国内では報道でのニコン使用率は高かった事も反映しているのでしょうか、この記事ではしっかりとニコンがジャーナリストに多数使われている様子を宣伝しています。
ニコンは確か1985年ころまでマツダへル・マン24のスポンサーをしていました、マツダは1991年に総合優勝をしていますので、その頃までスポンサーの1つとなっていれば宣伝効果も大きかったのかもしれませんね。
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