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1985年に和泉雅子さんが北極点を目指した遠征時の画像です。 手にしているカメラはニコンF3植村スペシャルで、これは後に和泉雅子スペシャルとなったようです。 Nikon新聞'85/8号より
和泉雅子スペシャルへとなった経緯はアサヒカメラ2005年2月号の「あの有名人のお宝カメラ」P.134に少し載っています。北極圏遠征からの帰国後に当該カメラに下の画像のように刻印がなされ、雅子スペシャルとなりました。
また、北極遠征後、和泉雅子さんのインタヴュー記事が先のNikon新聞に今月の特集として載っていますので、そのうちに紹介したいと思います。
関連記事:和泉雅子 私の"北極点”は、北緯88度40分!!
2009年6月 6日 (土) NikonF3 | 固定リンク Tweet
やはりこのF3、植村スペシャルと同じ耐寒改造と耐寒オイルに交換してあるのでしょうか? まだしてあるんでしょうね。 植村さんが北極点に(温暖化でいまは行けないそうです)行った時、取材側のF2用のモータードライブはつかえなくなったと、ありましたが、F4の時代辺りから北極点の寒さでもフィルムがパキパキと折れないように注意するとか、耐寒改造って聞かなくなりましたから、フィルムも何もかも進歩したってことなんでしょうね。 植村さんは犬ゾリでしたが、和泉さんはスノーモービルでしたが、クッションはすごかったんでしょうね。 植村さんがニコンにニコンF2植村スペシャルを頼んだ時、ニコンの技術者が「どんな乗り心地なんですか?」と聞いたら、「トランクに入れられて階段から転げ落されたような乗り心地だ」と表現してたような気がします。 フィルムの巻上げは順巻きに改造されていたはずですよね。 順巻きだと当時のフジのモノクロフィルム使うと36枚目が撮れなかった記憶があります。ネオパンFの100ft巻きをパトロールに詰め替えるようになるまで、これが悔しかった記憶があります。
投稿: ガタピシ | 2009年6月 6日 (土) 12時35分
ガタピシさん、こんにちは。 植村さんの対談記事が出てきましたので、それを明日紹介したいと思います。
投稿: MARU0 | 2009年6月 6日 (土) 16時04分
和泉さんのF3はMD-4をつけずボディ単体で使うことを前提に、ボディ下部にリチウム電池ホルダーをつけたものもバリエーションにあると思います。
基本的にF3Pを使われていたようですが、ファインダーはDE-4を取り付けてあるものだったり数種類携行されたようです。
投稿: Sammy | 2009年6月 6日 (土) 23時09分
Sammyさん、こんにちは。 和泉さんは何度も北極遠征をされていますので、その度に多少の変更をしたモデルを使っていたのでしょうね。情報有難う御座いました。
投稿: MARU0 | 2009年6月 7日 (日) 07時22分
MARUO様
こちらこそ、ありがとうございます。 毎回Nikonの貴重な情報が大変参考にさせていただいております。
和泉さんのF3については、当時の日本光学工業カメラ営業部・報道機材課の課長に報道機材課の窓口で簡単に聞いた程度の情報なので詳しく書けなくてすみません。
ボディ単体で使用する際のリチウム電池ホルダーはボディ下部にネジ止めをするタイプで金属製の黒色のものでした。 中に単4電池くらいのサイズのリチウム電池が2本入るような構造だったような憶えがあります。
投稿: Sammy | 2009年6月 7日 (日) 09時03分
「有名人のお宝カメラ」バックナンバーはwebで見れますね。
http://doraku.asahi.com/kiwameru/camera/list.html
投稿: Kowloon | 2009年6月 7日 (日) 13時38分
ガタピシさん、Sammyさん、Kowloonさん、こんにちは。 情報有難う御座います。 今後とも宜しくお願いします。
投稿: MARU0 | 2009年6月 7日 (日) 14時09分
●いつも楽しく拝見させていただいております。●記事の中で耐寒用レンズとして「70~210ミリ」が紹介されていましたが、これはシリーズEの70-210/F4を指しているのでしょうか? 写真では80-200/F4Sらしきレンズと35-70/F3.5の間に露出計連動爪(カニ爪)の無いレンズが見えます。●シリーズEも北極向けの改造を施すこと、そして極寒での耐久性もあることに改めて驚く次第です。
投稿: ふみとパパ | 2009年6月 7日 (日) 20時55分
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久野 幹雄: ニコン―レンジファインダーニコンのすべて (★★★★★)
青山 祐介: 究極のニコンカメラ (★★★★★)
佐藤 治夫 /大下 孝一 : ニッコール千夜一夜物語―レンズ設計者の哲学と美学ニッコールクラブ会報に連載されていた記事に加筆して1冊にまとめたものです。 ニコンサイトでも閲覧可能 (★★★★★)
豊田 堅二著: ニコンファミリーの従姉妹たちニッコールクラブ会報に連載されていた記事に加筆して1冊にまとめたものです。 ニコンサイトでも閲覧可能 (★★★★★)
落合 泰之著: ニコンカメラレンジファインダーニコンを紹介。コレクターの方必携です。 (★★★★★)
コメント
やはりこのF3、植村スペシャルと同じ耐寒改造と耐寒オイルに交換してあるのでしょうか?
まだしてあるんでしょうね。
植村さんが北極点に(温暖化でいまは行けないそうです)行った時、取材側のF2用のモータードライブはつかえなくなったと、ありましたが、F4の時代辺りから北極点の寒さでもフィルムがパキパキと折れないように注意するとか、耐寒改造って聞かなくなりましたから、フィルムも何もかも進歩したってことなんでしょうね。
植村さんは犬ゾリでしたが、和泉さんはスノーモービルでしたが、クッションはすごかったんでしょうね。
植村さんがニコンにニコンF2植村スペシャルを頼んだ時、ニコンの技術者が「どんな乗り心地なんですか?」と聞いたら、「トランクに入れられて階段から転げ落されたような乗り心地だ」と表現してたような気がします。
フィルムの巻上げは順巻きに改造されていたはずですよね。
順巻きだと当時のフジのモノクロフィルム使うと36枚目が撮れなかった記憶があります。ネオパンFの100ft巻きをパトロールに詰め替えるようになるまで、これが悔しかった記憶があります。
投稿: ガタピシ | 2009年6月 6日 (土) 12時35分
ガタピシさん、こんにちは。
植村さんの対談記事が出てきましたので、それを明日紹介したいと思います。
投稿: MARU0 | 2009年6月 6日 (土) 16時04分
和泉さんのF3はMD-4をつけずボディ単体で使うことを前提に、ボディ下部にリチウム電池ホルダーをつけたものもバリエーションにあると思います。
基本的にF3Pを使われていたようですが、ファインダーはDE-4を取り付けてあるものだったり数種類携行されたようです。
投稿: Sammy | 2009年6月 6日 (土) 23時09分
Sammyさん、こんにちは。
和泉さんは何度も北極遠征をされていますので、その度に多少の変更をしたモデルを使っていたのでしょうね。情報有難う御座いました。
投稿: MARU0 | 2009年6月 7日 (日) 07時22分
MARUO様
こちらこそ、ありがとうございます。
毎回Nikonの貴重な情報が大変参考にさせていただいております。
和泉さんのF3については、当時の日本光学工業カメラ営業部・報道機材課の課長に報道機材課の窓口で簡単に聞いた程度の情報なので詳しく書けなくてすみません。
ボディ単体で使用する際のリチウム電池ホルダーはボディ下部にネジ止めをするタイプで金属製の黒色のものでした。
中に単4電池くらいのサイズのリチウム電池が2本入るような構造だったような憶えがあります。
投稿: Sammy | 2009年6月 7日 (日) 09時03分
「有名人のお宝カメラ」バックナンバーはwebで見れますね。
http://doraku.asahi.com/kiwameru/camera/list.html
投稿: Kowloon | 2009年6月 7日 (日) 13時38分
ガタピシさん、Sammyさん、Kowloonさん、こんにちは。
情報有難う御座います。
今後とも宜しくお願いします。
投稿: MARU0 | 2009年6月 7日 (日) 14時09分
●いつも楽しく拝見させていただいております。●記事の中で耐寒用レンズとして「70~210ミリ」が紹介されていましたが、これはシリーズEの70-210/F4を指しているのでしょうか? 写真では80-200/F4Sらしきレンズと35-70/F3.5の間に露出計連動爪(カニ爪)の無いレンズが見えます。●シリーズEも北極向けの改造を施すこと、そして極寒での耐久性もあることに改めて驚く次第です。
投稿: ふみとパパ | 2009年6月 7日 (日) 20時55分