ル・マン24とニコン
ニコンはル・マン24時間レースに参戦しているマツダへ1982年からスポンサーの1つとなっていました。
以前にそのレースカーへ搭載されたル・マン仕様のニコンF3を少し紹介しました。今回はその翌年1983年のル・マンでクラス優勝(総合12位)したときの日本光学の紹介記事です。
この頃はまだ、日本国内では報道でのニコン使用率は高かった事も反映しているのでしょうか、この記事ではしっかりとニコンがジャーナリストに多数使われている様子を宣伝しています。
ニコンは確か1985年ころまでマツダへル・マン24のスポンサーをしていました、マツダは1991年に総合優勝をしていますので、その頃までスポンサーの1つとなっていれば宣伝効果も大きかったのかもしれませんね。
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コメント
この時点でニコンの経営陣は、石油の将来が取りざたされていた時期なので、スポンサーから撤退したのかもしれませんね。
これからのF-1はエンジンの排気量に規制がもうけられるとゆう話ですし、この頃、現在の時点で原油の埋蔵量が底をつくとゆわれていた時期だったように思います。
現在、石油に代わる燃料として脚光をあびているのが、メタンハドレード。
深海にあり、石油と同じカロリーを使ってもCO2が半分以下。
いま発見されているのは、日本の太平洋プレートとアラスカ沖。日本の太平洋プレートにある埋蔵量は膨大なもののようですが、深いところでは4000メートルの深海にあるそうです。
この頃ニコンの宣伝は、国際的な大会が行われるフィギュアー・スケートの競技場で選手が競技しているところでテレビに写る位置に出しているのをよく見ます。
投稿: ガタピシ | 2009年6月 2日 (火) 08時48分