ファインダー包み
下はニコンF用中期型ウェストレベルファインダーを包んでいた布です。ファインダー底のリーフスプリングの当たった跡が残っているのが分かるかと思います。
日本光学のいわゆる光学マークが金箔押しされた、細かい毛足のベルベット調のおよそ16センチ角、濃い緑色の布です。
この頃は既にフォトミックファインダーなどの為にプリズム底のカバーが用意されていましたが、ウェストレベルファインダーには付属せず、皮ケースに納めていた都合からでしょうか?この布で包まれていました。
カメラやレンズ、アクセサリーが高価だった為でしょうか、このようなファインダーや視度補正の接眼補助レンズを入れていた箱なども当時はコストを掛けていたように思います。
これが、F2用DW-1と同様の後期型になりますと、ユーザーの意見を取り入れた結果なのか、コスト削減なのか分かりませんが、底カバーの付いた状態で出荷され、革ケースや布は省かれるようになりました。
| 固定リンク
「NikonF」カテゴリの記事
- ニコンF広告 近江屋版(2014.08.08)
- ニコンFアクション(2014.06.22)
- ニコンFフォトミックTNのTTL方式(2014.05.29)
- TTLを徹底的に研究しました。(2014.05.16)
- 高級品がグンと楽に買える15ヶ月拂(2014.05.15)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
この時代は高価であるだけでなく、いまのようにカメラやレンズを十分に保護してくれるカメラバッグがなかったため、カメラやレンズを保護して守ることにデザインの重点が置かれていたようにも思えます。
映画「Uボード」を見ていると、報道班員がUボードに乗り込んでいて、時化ている海上を航行している時、報道班員は革ケース入りのライカを首から下げていましたし、急速潜行するとき、革ケースを首から下げたまま艦橋から潜水艦の艦内に滑り込んでいます。
独ソ戦をドイツ側から書いたコミックを見ていると、ティーガー戦車を配備された機甲師団に取材に来ている報道班員は同じ革ケースに入ったライカⅢ型(時代的には間違いないと思いますが)で取材しているカットがありました。
ソ連(いまはロシア)の大地は平原ですが、戦場への道は部隊が通った平原なので、ものすごい不正地。いま最新のトラックはエアサスペンションで乗り心地はいいですが、板ばねのサスペンションではものすごい乗り心地は保障付きですね。
ニコンFが登場した時の日本の道路事情はとゆうと、悪路がほとんど。
あのものすごい道を走ったら、やはり旧ライカ型のカメラケースでなければ、カメラバッグがなければカメラ本体とレンズは守れなかったでしょうね。
時代が進み革に代わる素材が出たことと、カメラの数も増えたので、代わりはすぐ手に入る時代に移って行ったとゆうことでしょうか。
投稿: | 2009年2月28日 (土) 14時18分
?さん、こんにちは。
「時代が進み革に代わる素材が出たことと、カメラの数も増えたので、代わりはすぐ手に入る時代に移って行ったとゆうことでしょうか。」
物を大切に永く使い続ける時代から、高度経済成長期に入り、消費は美徳と言われ始めたころでもあります、そいうった風潮がもたらした弊害とも言えそうですね。
*お願い
できましたらハンドルネームなど投稿の際入れておいて貰えますとどなたへの返答かなど分かりやすいかと思います、ご協力お願い致します。
投稿: MARU0 | 2009年3月 1日 (日) 23時25分