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ドイツ人技術者

藤井龍蔵氏がドイツより招聘した8人のドイツ人技術者が、日本光学黎明期の技術向上に大きく寄与したのは良く知られているところです。

その技術者は以下の方々でした。

レンズ設計 マックス・ランゲ(Max Lange)  在任期間:1921/1/17-1923(日本にて在任中病没)

顕微鏡など光学設計 ハインリッヒ・アハト(Heinrich Acht) 在任期間:1921/2/18-1928/2/17

精密機械加工・機械技師 エルンスト・ベルニック(Ernst Bernick) 在任期間:1921/1/24-1925/8/1

レンズ設計 ヘルマン・デイルマン(Hermann Dillomann) 在任期間:1921/2/18-1925/?/?

一般製図・設計 オット・スタンゲ(Otto Stange) 在任期間:1921/3/?-1924(日本にて在任中病没)

レンズ研磨 アドルフ・ザトラー(Adolf Sadtler) 在任期間:1921/6/16-1925/8/1

レンズ研磨 カール・ワイゼ(Kurl Weise) 在任期間:1921/1/24-1925/?/?

プリズム平面研磨 アルベルト・ルーぺルト(Albert Ruppert 在任期間:1921/1/24-1925/?/?

彼らは5年契約でやって来ましたが2名は任期途中に病没、他の6名は任期を満了したと50年のあゆみには載っていました。

藤井氏による人選にあたっては8人の技術者のあいだの協調という点を重視したと言うことです。

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コメント

ニコンに来たドイツ人技術者は第一次世界大戦末期、アメリカ東海岸まで作戦を遂行できる大型のUボードを秘密ライセンスで建造するための潜望鏡製造を行うために来日した技術者だったのですから、この大型Uボードをライセンス建造した伊号Ⅰ型潜水艦のために来たドイツ人技術者はどれ位居たのでしょうね。
軍事機密ライセンス建艦なので、他のドイツ人技術者同様、日本には「観光」名目で入国してるはずです。たの部署を受け持つドイツ人技術者たちがそうですから。
日本は彼らに対して破格の待遇をしたようで、伊号Ⅰ型の建艦のために家族で来日した技術者の娘さんがいまから約20年前の「昭和はこうしてはじまった」とゆうNHK特集でインタビューに答えていましたね。ドイツ本国では生活の出来ないお抱え庭士付きの豪邸で、通勤のためのお抱え人力車夫に、母親には家事をするためのお手伝いさんの他に、娘さん専従のお手伝いさんまでつき、一介の技術者が友人達とホームパーティーを頻繁に行えるだけの給料も支給されていたとのこと。
それでも在任中に病没された方々がいたとゆうことは、第一次世界大戦で制海権をイギリスに握られていた関係で、配給の食糧は質素を通り越していたのでしょうね。レマルクの「西部戦線異常なし」読んでると、最前線で戦っている兵士達がカブのカツレツが給与されたときの喜びを読むと・・・

投稿: | 2009年1月23日 (金) 17時41分

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