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ニッコール・レンズについて

先日のニコンS&F用レンズカタログの最終面です。
Fsa_2

この頃のニコンとニッコールは国内外での評判が良く、自慢とも受け取れる内容になっています。
この中に収差計算に電子計算機を使っていることに触れられています。
社史を見ますと、その電子計算機は昭和32年秋に導入されたZ11/5リレー式コンピュータとなっています。
その後昭和37年には機械語による光学設計の技術計算用をメインとしたOKITAC5090を導入、高倍率ズームや超広角レンズなどの設計に一役かっていたようです。

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コメント

敗戦の焦土から東京オリンピックを控え、ライカには負けないぞ。とゆう、気迫も伝わって来ますね。
会社としての売上はキヤノンの後じんをはいしているので、技術では絶対負けていないとゆうプライドもあったのでしょうね。
他社にしても敗戦によるニコンの大リストラによって、光学ガラスを設計、製造し、カメラとレンズを自社で作れるようになった会社ばかりなので、やはり本家本元の意地があったのでしょうね。

投稿: | 2008年12月 4日 (木) 16時47分

このカタログ読んでると、キヤノンが対ニコンF用に市場に投入した旧F-1が出たときの、FDレンズのカタログ(まだサンニッパは受注生産でFLレンズ。85のF1.8がまだ発売されていない頃のもの。引越しでどこにあるのかまだ探せないでいるので、正確な年は分かりませんが)が、ニッコール・レンズに対して行ったFDレンズの優位性を全面に押し出した「はじめに」と重なります。ページ数も見開きで2ページぐらい使っていたように思います。このカタログ同様、コンピューターを使って一気にトータルシステムレンズとして登場させたことを意気軒昂とした熱気がありました。
キヤノンはⅣSbを最後に、旧F-1登場までカメラ業界の雄の座を失い、東京オリンピックはまるでニコンの大宣伝。昭和40年代初め、日本の輸出産業の花形として、カメラメーカーを昭和天皇が見学が決まった時、ニコンは戦後の出発の関係の労使の関係が悪く、昭和天皇が見学に訪れる予定だったニコンは労働争議の真っ最中で、急遽キヤノンに変更になり、報道関係、皇室のカメラマンたちが使用していたカメラにはキヤノンはなく、先代の故・御手洗会長が余りの悔しさにニコンを追い越せと檄を飛ばし、打倒ニコン・プロジェクトを決意し結実させた執念を見る思いがしました。
このカタログの最終ページはゼロから出発したニコンの執念。35ミリの雄の座からすべり落ちたキヤノンの執念も感じますね。

投稿: | 2008年12月 6日 (土) 16時19分

その当時のキヤノンのFD/FLレンズカタログですと、表紙が青い物で、キヤノンF-1の臙脂色の表紙のカタログと一緒に入手した物の中の初めのほうで見開きに各種技術解説のように載っていました。ニコンが札幌オリンピック向けにEDレンズもしくはショット社の低分散ガラス使用?のサンニッパを出した頃、キヤノンはフローライトレンズを採用した300mmや500mmを出していましたし、非球面レンズやTSレンズといった気合の入った物を造っていましたね。

投稿: MARU0 | 2008年12月 6日 (土) 16時46分

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