ハンザキヤノン発売記事
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ニコンカメラ関連の書籍などで、ニコンFやF2のシリアルナンバーごとの製造時期のデータが紹介されていたりしましたので、今更ながらという感がしないでもありませんが、それらは大体の出所が同じなのでしょう、初期のシリアル部分が抜けていたりします。
下の画像は初期からのシリアルナンバーの物まで製造時期が記されていますので、紹介させていただきます。
(Nikon: A Celebrationより)
私は以前にニコンF2の期毎の機種別製造台数のデータやその他のデータを見せていただいた事があります。
その時にそれらと照らし合わせてみましたが、少し合わない部分もあり、上の画像データなどは最大で2~3ヶ月程度のズレは含まれていると思っています。
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カメラ販社が独自に出していた仕様や価格を載せたカタログのニコンS関連の部分です。
以前に昭和28~9年頃の35ミリフォーカルプレンカメラの価格を紹介しました、ニコンSに関しては変動はありません。
今回はそれらのアクセサリーなどの価格も全てではありませんが、代表的な物の価格が載ってますので紹介します。
このカメラ仕様の中でちょっと判り辛いのがフード・フィルターサイズでアタッチメントサイズ43mmの5cmF1.4は44.5mmとなっています。おそらく被せ式フードやキャップなどの為の外径だと思われますが、当時の日本光学純正フードはネジコミ式の2分割の物で、その間に平枠のシリーズVIIフィルターを挟みこむ方式となってました。
当時、確か日本光学では44.5mmのカブセ式フィルターは出ていませんがキャップはカブセ式がありましたので、それに合わせた表示だったのかもしれません。(*それ以前、M型時代にはカブセ式フィルター有りました)
アクセサリーの価格表に載っている5cm用各種フードがそれに該当します。
同様に5cmF2も40.5mmアタッチメントサイズに対し42.5mmサイズは外径と考えられ、純正フードに着けられるフィルターはシリーズVIでした。
価格には接続コード付属とあります、蛇足ながら、これは当然モータードライブとの接続コードではありません、S型からフラッシュとのシンクロ接点を設けてありますので、それに対応したフラッシュシンクロコードをさしていると思われます。
また、カメラ紹介の部分で24×36mm判となっていますが、正確には24×34mmの画面サイズですね。
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(The Complete Nikon Rangefinder Systemより)
この図は名称が「20FA94L組立図」となっているところの“20”を傍線で“20”とし、少し分り難いですが、“26”としています。26FA94LはF型用の250枚撮りモータードライブではなく、S型(SP/S3)用の250枚撮りモーターを指します。
出図時期も分り難いですが昭和35年4月12日となっています。F-250が出ましたのは同年秋ですし、同時期にS-250も紹介されてますので、時期的には合点がいきます。
また、一応図面上背面のコマ速切り替えツマミは省かれています。
ただ、両マガジン間の寸法をF-250と揃えてあり、その為に正面から見て右の電源コネクタのある方が少し間延びしたような状態になっています。わざわざF-250と同じにする理由が分りません、何か機構的な収まりの関係があるのでしょうか?謎です。
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この号ではニコンFの解説記事も載っていますので、入稿は4月初旬以前と思われます。(メーカー発表は1959年3月20日)
この時期の記事などには、チタン素材のシャッター幕についてはなにもふれられておりません。
画像のニコンFはレンズが520001番で最も若いとされるニッコールオート5cmF2が付いています、また、本体の番号は分りませんが、巻き上げレバーと同軸のフィルムカウンターカバーはニコンSPなどと同じと思われるパーツが付いていて、試作品?が使われているように見えます。(以前ニコンF新発売広告の時に少し記しましたが、このカメラと同じものと思われる画像は他の雑誌にも使われています。それには本体の番号は6400002が写ってました、雑誌名失念)
チタン幕シャッターが記事に登場するのは、発売後の8月号くらいからで、新発売時にはチタン幕が間に合った様子が伺えます。
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これは1959年8月の各カメラ雑誌に掲載されたニコンカメラの広告です。
この頃から国内の広告デザインにも亀倉雄策氏の手が入るようになりましたので、これもその内の1つではないかと思います。
当時キヤノンのRF機の好調に押され、特に低価格高性能なキヤノンポピュレールの影響もあり、レンジファインダーニコンの価格は引き下げられています。その中でも、ニコンS4はキヤノンPの対抗機でしたが、販売台数わずか数千台と振るわなかったようです。
広告の下半分は、ニッコールフォトコンテストの広告となっています、私がすごく気になっているのは、各部推薦の副賞で、ラッキーナンバーのニコンSPとニコンF、しかも、名前まで彫り込んでくれます。
いったいラッキーナンバーとはどんな数字だったのでしょうね?
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ニコンレンズシリーズEには3種のズームレンズが用意されました。
下はそのデータです。(いずれも最終タイプ)
Series E Zoom 36~72mm F3.5 \45000
Series E Zoom75~150mm F3.5 \54000
Series E Zoom70~210mm F4 \68000
最も早くに出たのは75~150mmF3.5で、1980年5月に発売され、初期の物はフィンガーポイント付きのシルバーリングではない、オールブラックタイプでした、その後81年5月には他のシリーズEレンズ同様に外観デザインがAIニッコールに似たタイプへと変更され、同年10月に標準ズームの36~72mmF3.5が発売、翌年3月に70~210mmF4が発売となりました。
当時のズームレンズとしては安価になっていますが、鏡胴などの素材はプラスチックでコストダウンと軽量化がなされてますが、造りは手抜きの無い物で写りもけっして他のニッコールに引けをとるものではありませんでした。
また、ファインダースクリーンの適合表にはニコンF2用のT型が載ってませんが、一般販売品ではないという位置づけだった為と思われます。
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下の画像はアミューズ1998年7月8日号に載っていたニコンFの部品一覧写真です。
以前にもニコンFカタログにあった一覧を紹介しましたが、それは640万台の初期のものでした。
今回の物は700万台ですので中期型と言えるかと思います。
このようなニコンFの部品を見てますと、部組品と呼ばれるパーツアッセンブリーが少なく、細かな部品まで手組で、作業工程が多かった事が分ります。
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ミラーボックスの画像などは以前に少し紹介しましたのでそちらをご覧になってください。
また、上の解説記事全文はニコンF最初の詳報で紹介していますので参考にしてください。
ニコンFの発表から半年ほどして、旭光学からクイックリターンミラー機構に関し審判請求がなされました。
この件は割合有名で、ニコンFに詳しいみなさんはご存知の事と思います。
経緯など詳しくは、明るい暗箱に載ってますので、参考にされると良いかと思います。
上の解説にありますミラーの跳ね上げと復帰が別々のスプリングで行われています、どうやらこの辺りが旭光学の実用新案に抵触するらしく、この部分が一部改良されて1本のスプリングでそれらが賄われる様になりました。
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通常のニコンFはマイナス20~30度で試験を行い、正常に作動するように作られています、下はその試験風景画像です。(公称?マイナス20~25度まで)
(耐寒試験室でのテスト・写真工業184号より)
また、ニコンFは、当時、南極観測隊やエベレルト登山隊などに携行され、数々の写真を収めてきました。
それらに使われたニコンには、耐寒性の高い油脂類との入れ替えが行われていた事は結構知られていると思います。
試験には特別に製作した耐寒試験器(マイナス60度まで可)によりテストを行い良品を納めたようです。
下はその試験結果の一部とのことです。
(写真工業184号より)
私が意外に感じたのは、露出計がマイナス40度でも作動し、一応メーター精度も当時のモノクロフィルムのラチチュードの範囲内に収まっている事です。
これが、何か露出計に特別な工夫がされている結果なのか、それとも、通常品のままなのか情報がありませんので分りませんが、当時使われていた水銀電池ってそんなに低温時の特性が良かったのでしょうか?
もしかして、銀電池対応に換えてあったのかなぁ・・・情報お願いします。
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ニコンF3の改良箇所などは以前に少し紹介しましたので、既にご存知の方も居られると思います。
その中のシャッターダイヤルのバルブの“B”の文字の色が変わった際にカタログなども写真の入れ替えた物に切り替わっていきました。
下はその切り替わる前後のアクセサリーカタログの表紙です。
日本光学時代からカメラなど製品に変更が加えられると、写真を差し替えたカタログや取り説など直ぐに新たな版の物に切り替えてましたので、この表紙もそうだと思ってました。
しかし、よーく見ると実は同じ写真だということが分ります。巧みにバルブのBの文字だけ画像処理で色を変えてあります。想像しますに、今なら素人の私たちでもソコソコできるようになりましたが、当時はDTPなどという言葉もなかったような時代ですから、きっと手作業で地道に修正を加えたのではないでしょうか。
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ニコマートFT3の寸法図と仕様の画像です。
ニコマートFT3はAi化に最初に対応したニコマートのマニュアル露出機です、また、最後のニコマートでもあります。(発売は1977年3月、在庫払底は1979年11月、製造は1976年後半から1978年前半までのおよそ2年間足らず)
これは国内では既に小型化のニーズがニコンユーザーにも浸透しつつあり、ニコンFMがすぐに出る事も分っておりましたので、あまり売れず、白黒合わせて17000台足らずでした。
しかし、米国では根強い人気があったようで、NikkormatFT3は11万台以上の販売となり、明暗を分けた格好になりました。
ニコマート銘のFT3ブラックは、単純に白黒同数が造られたとしても、8000台強ですが、実はもっと少ないようで、案外見かける機会は少ないですね。
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下の画像は1973年の日本光学生物顕微鏡カタログにある写真撮影装置アクセサリーの紹介部分です。
1973年ですと既にニコンF2やニコマートELが発売されていますが、カタログの更新が遅れているのか、アダプターにはニコンFとニコマートの説明のみとなっています。
また、シャッターの付いてないフィルムホルダーや35mm判用のカメラボックスの価格が思いのほか高く設定されているように感じます。(特に電動のM-35A)
これらの価格は74年には改定され、Fマウントアダプターは1800円から3000円、M-35Sは15000円から17000円、M-35Aは60000円から80000円となるなど価格の上げ幅は一定ではなく値上げされました。
この頃日本光学のカメラ及びレンズも価格改定され数パーセント~十数パーセント程度の値上げがありました。
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下はニコンの主に1970年代の価格表などの表紙です。
70年代は3つ折1枚もの6ページの価格表(左上)と4つ折1枚ものの価格の入ったシステムチャート(右上70年代前半と右下70年代後半)といった二本立てで価格表は店頭に並んでいました。
価格のみ一覧表の方はだいたい年に数回改定されて発行、チャートはだいたい3ヶ月に1度程度の割合で発行されていたように覚えています。
それが1980年代に入ると、チャートと価格一覧表が一本化されて上の画像内左下のような価格表となり、このようなスタイルが後まで続くようになりました。
とはいえ、80年代半ばになると縦長のレターサイズのような形状になり、その後、幅が倍程度のサイズ、さらに後にA4程度の現在のサイズといった変遷を経ました。
私が集めだした60年代終わり頃の価格表はニコンFなどのカタログと同サイズの正方形に近い2つ折り1枚もので、ニコンシステム価格表と書かれていました、それ以前の物は生憎ほとんど持ってませんので、分かりませんが、昭和32年頃の物は以前に紹介しましたのでそちらを参考にしてください。
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ニコンF2フォトミックA世代以降の方にはあまり馴染みがないかもしれませんが、ニコンFのフォトミックT、Tnなどはレンズをセットすると開放測光を利用する場合、露出計の方にそのレンズの開放F値を教えてやらなければなりませんでした。
これが、簡易セット、いわゆるガチャガチャ動作、レンズを着けた際に絞りリングを一度開放F値側いっぱいまで回す動作だけで良いようになるのはニコマートFTn以降の非Ai露出計内蔵カメラ/ファインダーと言うことになります。
それ以前は、いちいち、シャッターダイヤル同軸の上部リングを回すなり、マウント基部の指標をあわせるなどしなければなりませんでした。
私は一応ガチャガチャ時代に写真を本格的にやっていたので、それ以前のカメラを使う場合にも、ついつい開放F値のセットでは絞りリングを回してしまい、それでセットしたつもりになって露出が少し外れてしまったなんていう失敗をした事があります。
これを防ぐ良い手立てというほどでは無いのですが、私の場合、目的によって当然機材など変わってはきますが、ニコンFフォトミックT(私の持ち物では唯一露出計が安定している)を持ち出す際は、レンズの開放F値を「2.8」で統一させて持って行く事にしています。
出番が多いのは、時代はバラバラですが、Ai20mmF2.8Sと3.5cmF2.8、10.5cmF2.8とAiマイクロ55mmF2.8Sです。
最近は銀塩カメラを使われる方が少ないうえに、このような古いカメラを使っている方は更に少ないでしょうから、あまり参考にはなりませんね・・・
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下は国内各カメラ雑誌に掲載されたニコンS2の広告です。
(写真工業1955年)
一方、こちらはLIFE誌に掲載されたスペイン語?の珍しいニコンS2の広告です。
(LIFE1955年)
2つの広告は同じ頃のものですが、国内向けは日本光学工業社内での製作、下は亀倉雄策氏のデザインとの事です。
海外向けはニコンの書体に早くも斜体のロゴマークのはしり?を使い、センスの良い広告に仕上がっていると思います、一方、国内向けはニコンI型以来あまり代わり映えしない、デザインには力を入れてないような、新機能の説明のものとなっています。
因みに、亀倉氏がニコンの国内向け雑誌広告のデザインを手がけるのは、ニコンSPやニコンFが出る1950年代末頃になってからと聞いてます。
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明るい暗箱によると、S型の時代に、日本光学はユーザーが増えてきたので、あまり金のかからない写真コンテストをやるという企画をたてたのがきっかけで、企業のバックアップする写真団体「ニッコールクラブ」はできたとの事です。
当初はタイトルにある「ニコンの会」という名称で計画されましたが、当時、ニコンカメラのユーザーは国内ではあまり多くはなかった事もあり、ライカLマウントカメラにニッコールを着けて使用している人々や、発売直近だったニッコール付き二眼レフ「アイレスフレックス」の購入者も会員資格をもたせようと言うことになり、「ニッコールクラブ」の名称で発足することになったそうです。
また、これとは全く別ですが、「ニコンの会」の盾が掲げられているニコンカメラの販売に力を入れているお店を見たことがある方も居られると思います。
ニコンの会は当初はユーザー向け写真団体に企画され、後には販売店向けへと違う方向に行ってしまいました。
販売店に与えられた盾です。
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写真工業1953年7月号に掲載された当時発売されることになった小型ストロボに関する記事の冒頭部分です。
今から半世紀以上も前の製品です。
記事には、ストロボは登録商標がなされて、他社は使えない事が早くから記されていました。
写真は近日発売の国産スピードライトで、当時としてはポータブル用として、大きさ、重量などがかなり小型化された物だったようです。
この頃日本光学ではBCB-II型などのフラッシュガンしか用意されていませんでした、これの大きさと記事にある最新スピードライト本体との大きさはさほど変わらないように思いますので、確かに小型なのでしょう、しかし想像するに、当時の報道カメラマンは積層電池などを担ぎ、スピードグラフやニコンを駆使し、とても大変だったでしょうね。
これを見ると、約1ヶ月ほど前に紹介しました、カコストロボ(この商標はOKなのですね)の小型品がすごく現代的に見えてきてしまいます。とはいえ、私なんて(使いこなせず)何も考えないで使ってますが、今のニコンのライトはそれの何倍も高機能で高性能ですね。
余談ですが、スピードライトのシンクロ接点はX接点と言いますが、これはスピードライト放電管に使われているガスのクセノン(Xenon/キセノン)の頭文字からきています。
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以前に少しプラウベルマキナ67を紹介しました。
今回はそれの仕様などの画像です。(写真工業1979年5月号より)
1979年3月発売、価格は158000円でした。
この写真工業355号にはマキナ67のテストレポート及び技術資料がそれぞれ数ページに渡り掲載されていました。
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ニコンFのポスターです。(色違いでいくつか出てました。)
このポスターは亀倉雄策氏のデザインで、このほかにもニコンF本体の外観デザインや「F」の文字、カタログ、パッケージなども氏の手が掛かっています。
ニコンFは日本光学としては初のグッドデザイン選定品の1つとして1966年に受賞もしています。
裏話として、明るい暗箱によると、亀倉氏はニコンFのデザインに関しては、日本光学から謝礼らしいものは全く受け取って無かったそうです、当時、経営者たちが工場近くの料理店にて(労をねぎらう意味で)もてなした程度だったとの事です。
きっと、私なら試作品のニコンFをいただけるなら、喜んで無償で協力するでしょうね。(笑)
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ニコノスII型のカタログに載っていたアクセサリー紹介のページです。
この中でレンズつまみのカバー(補助つまみ)が紹介されてますが価格は載ってません、しかし、当時、補修部品としての入手は可能だったようです。
また、セコニックの露出計用の防水ケース(水中露出計容器)をニコンがアクセサリーとして出していた事は変り種?と言えなくもないです。
80mmの光学ファインダーはその後5500円、8000円となり8000円台が永く続きました、私はその時に入手しました。ニコノスはレンズからファインダーまでの距離が多少普通のカメラより長いのでパララックス矯正の面で若干の違いはありそうですが、レンジファインダーカメラの8.5cmレンズなどのフレーミング用として安価に入手できるアクセサリーとして貴重な存在でした。
初代ニコノスは以前に紹介しました白バージョン時のページにアクセサリー紹介がありますのでそちらを参照、比較してください。
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発売当初の資料ですが、EMは国内分に関してはほぼ外観などの変更は見られませんでした。発売時期や台数などは以前に紹介しましたので、そちらを参考にしてください。
同じ資料の中のEMを中心としたニコンシステム一覧図が下になります。
色の濃くなっている製品がニコンEM用として開発されたものです、ガゼットバッグは以前に紹介しましたFB-Eは主に海外向けキット版といったところでしたが、FB-17はEM用の高級版といったところでしょうか。(発売時価格6000円)
また、残念ながら日付写しこみのデータバックは用意されてなく、EM系ではFGになるまで待たなくてはなりませんでした。
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ニコンサイトに新たなコンテンツとしてニコンツアーが始まりました。
“ニコンのことがもっとわかるウェブツアー”にリンクしてありますので興味のある方はクリックしてみてください。
また、これとは全く別な話題で恐縮ですが、私はニッコールレンズの中では10.5cmF4の所謂マウンテンニッコールと標準5cmF2、広角では2.1cmF4が好きで、割合良く使います。
しかし、2.1cm使用時、ニコンFの場合ミラーアップをしなければならず、カメラ側のファインダーは要りません。
そこで、ジャンクなウエストレベルファインダーにニコマート用のアクセサリーシュー後期型をビス付けした物を作り、2.1cmのビューファインダー用マウントにしようと画策しています。(ファインダー天面も初期型と中期型はボディ上面とほぼ平行で実用上の障害はなさそうに見えます。)
市販のシューベースでも良いのですが、ニコンFのウエストレベルファインダーの中期型は正面にFの文字があり、クロームのFにはこちらの方が私の好みに合ってますので、只今ジャンクの中期型ファインダーを物色中というところです。
割合綺麗な物は持っているのですが、さすがにこちらを改造するのははばかられるので、なんとかジャンク品を見つけようと思います、既に同様の事をやって居られるなど、アドバイスがありましたら、コメントをいただけないでしょうか。
余談ですが、ウエストレベルファインダーの中期型の説明書には「ウェイストレベルファインダー」という表示がされてました。(初期型、後期型の取り説を持ってませんのでその他の時期の表示がどうなっているか知りません)
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ニコンカメラの社内でのオーダー番号はあまり一般には知られていません。
そんな中で、ニコン物語などの書籍にそれらのうちレンジファインダーニコンの物などがいくつか紹介されている程度ではないでしょうか。
ニコンF以降のものは割合紹介される機会が少ないのかあまり目にしませんので分かる範囲で少し記します。
ニコンF(20F)
ボディ:20FBI
アイレベルファインダー:20FD2(前期型)
フォトミックFTnファインダー:20FD9
F-36:20FA94
F-250:20FA94L
ニコンF2(30F)
ボディ:30FB
DP-1:20FD11
DP-2;30FD15
DP-3:30FD17
DP-11:20FD11(20FD11A)
DP-12:30FD17(30FD17A)
MD-1:
MD-2:30FA97
MD-3:
DS-1:
DS-2:30FA15E
DS-12:30FA17E
ニコンF系はコードの頭3桁が20F、F2系は30Fなのですが、フォトミックファインダーDP-1とその改良型DP-11はなぜか20Fとなっています。もしかしたら、DP-1は元々はニコンF用として開発された物をF2用に変更したのかも知れないなんて想像をしてしまいます。
また、DP-11はDP-1と同じコード、DP-12もDP-3と同じコードですが、末尾にAを付けて識別していた?ようです。
他にニコマートFTnは31F3B、ニコマートEL/ELw/EL2は32FB、FMは33FB、F3は40FB、EMは23FBなどとなっているようです。
ただし、このコード、1980年代に入りますと、FAA○○○○○の数字5桁のものとなり、ちょうどはざ間の機種F3は後にFAA12051となり、EMもFAA11051となりました。
これは1979年6月に制定された図番規程によるもので、それ以前に開発が進められていた物は古いオーダーとの両方を持つことになりました。
この5桁の数字も下2桁目が0だとクロームボディ、5だとブラックボディとなっていて、例えば、NewFM2はFAA14002がクローム、FAA14052がブラックとなっています。
ニコンF3はほとんどがブラックボディのみですのでコードの数字下2桁目は5ばかりですが、唯一ニコンF3Tははじめチタンカラーですから、コードが白黒2種あり、FAA12201/12251となっています。
ニコンF3(40F)
ボディ:40FB(FAA12051)
F3AF:40FBD (FAA12351)
F3T:40FBT(FAA12201/12251)
F3P:40FBE(FAA12451)
参考までにS系ニコンカメラも記します。
ニコンIからSまで:6FB
ニコンS2:16FB
ニコンSP:26F2B
ニコンS3:26F1B
ニコンS4:26F4B
ニコンS3M:26F1MB
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以前に一度ニコンフィルターの分光透過率のグラフなどを紹介したことがありました。
その時のデータは1980年代でしたが、今回はニコンFマニュアルに掲載されていた、モノコート時代1960年代後半のデータを紹介します。
以前のグラフと比べますと特にX0やX1の650~700nmの透過率の違いが目に付きます。
興味のある方は比較してみてください。
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