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MD-4のコネクター

ニコンF3用モータードライブMD-4にはコネクターが全部で4箇所あります。

本体正面から見て左下の長尺用コネクター、これはMK-1やMF-4などで使います。

正面右下のはリモートコネクターで、リモートコードMC-12(A/B)やMC-4AなどのほかMR-3などのターミナルシャッターもここに繋げます。

その上の一番小さなコネクターは電源コネクターで、MA-4や他の安定化電源などの外部電源用コネクターです。

本体上面にある7ピンのコネクターがカメラとの接点に繋がるコネクターで通常モデルでは7ピンのうち2番のプロテクター解除は使いません(有りません)、これはMD-4Hには装備されています。

下はそれらコネクターのピンアサインを示した画像です。
Md4


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ニコンF3用MD-4のバッテリーチェッカー

ニコンF3用のモータードライブMD-4は公称9~18ボルトで動作します。
とはいえ、通常の状態では電池の消耗度を知るのに、バッテリーチェックボタンを押して、ランプの点灯数で判断します。
この時のランプ数切り替わり判断時の電池電圧を紹介します。

MS-3にアルカリ単3電池を入れた場合、新品時は12ボルト以上あります。
バッテリーチェック時にランプ1つへの切り替わり時の電圧は10.2Vプラスマイナス0.2V、また、ランプ1つから点灯無しへの切り替わりはそれより0.1~0.3V低くなった時にそうなるよう調整されているようです。

MN-2装着時の電圧はランプ1つへの切り替わりでは、通常16.8Vから15Vプラスマイナス0.7V時との事です。
また、ランプ1つから無点灯までの切り替わりはそれから0.2V程度低くなった時点でそうなるように調整されています。

単3使用時ランプ1つになったら10ボルト、MN-2使用時同様になったら15ボルトと覚えておくと良いでしょう。

バッテリーホルダーMS-3とニッカドバッテリーMN-2との違いを検出しているのは、本体電池ケース収納部奥に見える金色の接点の押し込みの有無でやっているようです。

いつか試して見たい事では、単3形の保護回路付きリチウムイオン電池14500が3.6~3.7ボルトでオリジナルのニッカド電池に近い容量あります、それを4つ直列にMS-3に入れて使うことです。電圧は15ボルト近くなり、速度はMN-2に近いものが期待できそうですし、撮影本数もおそらくMN-2同等ていどにはなると考えています。しかも少しは軽量化できます。えっと、実は、これはF2用のMS-1に入れてみたいと思ったのが初めなんです、こちらも電池がトータル6本分軽量化できますからね。
まだ電池と充電器を入手してませんので、もし入手したらやってみたいと思っています。とはいえ、フィルム使用量がめっきり減ってきたので、F5の電池の件同様、自分では電池の残量を使い切るまでは試す事が出来ないでしょうねぇ・・・

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標準ズーム35~70mmF3.5

Ai化された後、割合早い時期(1977年12月)に出た2倍の標準ズームです。
このレンズ、先輩の43~86mmF3.5が44000円だったのに対し、こちらは倍以上の95000円もしました。
高価格ではありましたが、それまでのズームによく見られた、広角側のタル型の歪曲もほとんど目立たずとても良く補正されていました。また、今となってはそれほどコンパクトとは言えませんが、当時としては、常用レンズを想定してかなりコンパクトに仕上げたようです。直進ズームにすると大きく重くなってしまうのであえて2リング式としたといった説明もありました。
3570f35a
しかし、最大の欠点は、この頃のズーム全般に言えることですが、最短撮影距離が短く出来ず、広角側でもあまり寄れなかった事です。(最短1メートル)
Ai-S化の際、これらを見直し、新設計として下のモデルとなりました。(1981年12月発売)
3570f35sa
光学系も変わり、前玉も若干小さくなり、アタッチメントサイズも72mmから62mmへ、最短も0.7メートルへとなり、さらには70mm側のみですが、0.35メートルまで寄れるマクロモードが付いて1/4倍までの撮影が可能となりました。重さもAi版が540グラムに対し520グラムと20グラムの軽量化もされました。こちらの価格は96000円でした。
このレンズの発売少し前、1981年10月にはF値固定の直進ズームでほぼ似たようなスペック(36mm~72mmの2倍開放F3.5固定)のシリーズEが出ましたが、こちらも先の43~86mmの位置づけのように45000円と安価でした。ただし、こちらはあまり寄れず、最短距離は1.2メートルとなっていましたが、高性能版と安価お手軽版の2本立てとして選択肢を持たせていたように思います。


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ニコンFのミラーアップ

ニコンFはミラーアップをするのに通常は1コマフィルムを無駄にしなければなりません。
しかし、調整による個体差がありますが、一応ちょっとした操作でその1コマを無駄にせずに済む場合があります。

操作は簡単で巻き上げ後、ミラーアップノブをセットし、シャッターレリーズボタンをポンと軽くたたいてやるのです。この時、下まで押し込んでしまわず、すばやく且つ軽くやってみるのがコツのようです。何かの雑誌でも紹介されていたような気もしますので、ご存知の方も多いかと思います。

ニコンFはレリーズボタンを押すと指の力で先幕第1ラッチ(爪?カギ?)、次にミラーアップ開始のラッチと順次外していきます。
その後動き出したミラーの力で先幕第2のラッチを外すと先幕が走行し撮影が始まります。

しかし、すばやく且つ軽くボタンを押すと、その先幕第1ラッチが外れず、なぜかミラーアップ用のラッチのみ外れて、ミラーが上がる場合があるのです。この場合、ミラーアップにより、先幕第2ラッチが外れますが、第1のラッチはまだ掛かったままですので、先幕は走行しません、そして、さらにレリーズボタンを押し込んでやると第1のラッチが外れて先幕が走行するといった具合のようです。

因に、クイックミラーアップボタンは、その第1ラッチを掛けたまま、ミラーアップ解除のラッチを外すようにした物です。

ただ、私の持っているニコンFではオーバーホールの上がった数台ではこれがうまく出来ずシャッターが降りやすく、比較的古めの641台や658台などとくたびれた705台では割合やりやすかったです。

それと根拠は無く、偶然なのでしょうか、F-36用に調整されたモータープレート付きのF何台かも、この、ミラーアップの裏技?の確立が低かったですね。
簡単に出来るものは出来ないものより少しレリーズが軽い印象でしたが、これも第1ラッチが掛かったままでいられる根拠にはなってませんね。機構に詳しい方のコメントなどいただけないでしょうか?

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ニコンR10/R8スーパーズーム

スーパー8フィルムを使うニコンの最後のカメラです。
エピソードなどは「ニコンファミリーの従姉妹たち」に掲載されていますし、ウェブでも公開されていますので、ご覧になった方も多いかと思います。
あらためて見直しますと、販売は好調だったようで、私はあまり売れてなかった印象を持っていましたので、少々意外に感じました。
今では8ミリは銀塩以上に人気が無い事のほかに、壊れてしまった物が多いのでしょうか?市場ではほとんど見かけないのですが・・・・

一応カタログの一部を紹介します。
R10r81a
R10r82a
R10r83a
R10r84a
有り得ませんが、スーパー8フィルムカセット部分にデジタル画像を記録できるユニットでも開発されて入れる事が出来れば、再活用も可能かもしれませんが、残念ながら、大きく重いこれらカメラをあえて使う意味はほとんど無いのでしょうね。ま、でも、私なら、銀塩のニコンFやF2用のデジタル記録用のバック(裏蓋)が出来たら、価格と仕様しだいでは買ってしまうかもしれませんので、8ミリの方でも同じような気持ちの方が居られないとも限りませんね。

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オシロスコープユニットD型

写真工業1973年11月号の特集に「オシロスコープの写真撮影」がありました。
記事の中に日本光学カメラ設計部の方が執筆された主にニコンのオシロスコープユニットD型に関する内容のものが7ページに渡り掲載されていました、珍しいアクセサリーであまり紹介されることの無い物ですので紹介します。
画像はその1ページです。
D1a

この記事の中にはありませんが、このD型ユニットの場合、使用できるレンズとして50mmと55mmの標準レンズとマイクロ55mmなどを推奨しています。この「など」の部分ですが、これはオシロニッコール55mmF1.0をさしているのではないかと考えています。


*記事の全内容はこちら(PDF)です。


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ニューヨークタイムズ1950年12月10日のニコンカメラ記事

画像は以前ライフ社からの初注文で少し触れましたニューヨークタイムズの記事です。
19501210a
(日本光学工業四十年史復刻版より)
この記事に関する訳も昭和30年代初めの表現でいささか堅苦しいですが、同史に載ってましたので紹介します。
19501210

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ニコンスーパーズーム8

写真工業1966年8月号に掲載されたニコンスーパーズーム8の技術資料の1部です。
81a
この頃は8ミリカメラの全盛期で、スーパー8フィルムの規格に対応したカメラも多数出てきた時期でした。
私はこの頃は8ミリには全く興味が無く、関心を持ったのはこの後継機のニコンスーパーズームR10/R8の頃でした。ただ、この後継機は高機能、高性能になったのは良いのですが、大きく重くなってしまいましたし、既に8ミリカメラの需要ピークから下がり始めた時期に出たこともあり、国内外での販売も芳しくはなかったと聞いています。
とりあえず、今回の機種に関する技術資料の残りはこちらのPDFファイルを参照してください。
また、後日にスーパーズームR10/R8の資料などを紹介したいと思います。

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ニコン教室1 エル・ニッコール5cmF2.8

画像は1960年2月の各カメラ雑誌にニコンが出した広告の1ページです。
Nikon1a

これは12回のシリーズで「Nikon教室」と題して掲載されました。
その第1回目にエル・ニッコールが取り上げられました。

エル・ニッコ-ル5cmF2.8は昭和30年(1955年)12月に出図、翌年はじめに試作され、当時最も明るい35ミリ判用引き伸ばしレンズでした。開発意図は、近年のカメラ及びレンズの高性能化に対応した引き伸ばしレンズの必要性が高まったからとの事でした。

広告の説明にあるように、第1面レンズを大きくし、開放絞りでも口径食を抑えた設計になっていました。
また、基準倍率を8倍として、この辺りで最も収差の補正が良好になっていました。
当時の印画紙の波長感度曲線に合わせて、色収差などを補正され、その感光波長域に於いて、透過率の良好な硝材を使っているそうです。

私が自前の暗室を持つようになったのは1980年代の初め頃でしたので、その当時は既にデザインなどがリニューアルされた物と、RA-350専用の物を使ってましたが、やはり、こちらもその当時の感光材料に合わせた補正改良がなされていたと推察できます。
今では、暗室に入ることもありませんので、その後これらレンズは接写に使われてましたが、それも遠い話になってしまいました。

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Nikon銘

ニコンFの左トップカバーシャッターボタン前には刻印があります。発売当初から暫くはNippon Kogaku Japanのプリズム?とレンズを模したいわゆる光学マーク、途中からNikonの刻印に変わりました。
時期的には昭和41年秋ころからで、番号としては675万台後半か676万台に入る頃のようです。
ただ、バイヤーよりの指定によりNikon銘ではなく、光学銘の左トップカバーを使用した事があるそうで、676万台より大きな番号でも光学銘のニコンFがいくつか存在するとのことです。

たまに光学銘のトップカバーを持つニコンFを初期型と称して販売している物を目にしますが、個人的には初期型は2本バネの旧型のミラーボックスの物をイメージしています、それ以後赤点以前が前期型、ニューF以前までを中期型、ニューFが後期型としています。ですので、光学マークだからといって初期型という表示を見ますと何か違和感を覚えることがあります。

*ニコンFカメラに於いて、右、左の区別はレンズマウント側から見てのことで、右は巻き戻しクランク側、左はシャッターボタンや巻上げクランクがある側になります。

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参考資料

A
A_2
F5a
F40a

絶版のニコンカメラに関する書籍で、これら4冊は確度が高く、割合入手もし易く、私が参考書としている物です。(右のバナー、「おすすめのニコン関係書籍」にも一部含まれています)

他に写真工業社の別冊でニコン・テクニカル・マニュアル(増補版)昭和57年10月10日発行、同昭和56年3月20日発行、ニコンのシステムとメカニズム昭和47年7月10日発行、同社臨時増刊でニコン・テクニカル・マニュアル昭和49年5月15日発行通巻272号、ニコンのシステムとメカニズム'71 5月臨時増刊(通巻232号)、ニコンのシステムとメカニズム'68 6月臨時増刊(通巻194号)などは、製品や技術資料などを日本光学の開発担当者が執筆されていますのでお勧めです。ただ、こちらの物は、古書店などでもあまり見ないですし、価格も2~3000円以上で売られている場合が多いのが難点です。

日本光学発行のニッコールレンズ読本66年版、同67→67年版、ニッコールレンズ読本3、ニコンの世界、新ニコンの世界やニコンナイスショット各版はレンズデータや年表などのほかに著名写真家作品や対談記事などの読み物も充実しています、当時カメラを購入されて愛用者カードを送り、入手されている方も居られると思います。
こちらは古本で安価に出ている場合もありますので、持って無い方で興味を持たれた方は古書店巡回やネットを検索されてみてはいかがでしょう?
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ニッコールレンズ読本1966年版配布が始まった頃の広告です。当時、200円で読本の購入も出来た事がわかります。
また、この頃は雑誌広告もニコンFとニコマートの広告が隔月ごと交互に出ていたようです。

この他には日本カメラの別冊でニコンシステムの使い方、同増補改訂版、ニコンの使い方各版も取り説てきな資料として、こちらも、割合古本で入手しやすい物ですのでお勧めします。


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日本光学の潜望鏡

1a (日本光学工業四十年史より)

こちらの冒頭に触れられていますように、日本光学工業設立動機の1つにこの潜望鏡の国産化があったのは皆さんご存知かと思います。

資料としても、読み物としても、楽しめるかと思います、関心のある方はこちらを見てください。

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ブラックボディ

ニコンカメラは古くからブラックボディのカメラを出していました。
しかし、レンジファインダー時代の当初は特殊カメラの位置付けで、一般のアマチュアカメラマンが普通に購入できるようになってきたのは、ニコンF以降ではなかったでしょうか。それでも、初期は価格表にも載ってなかった事から、プロ向けの位置付けだったように思います。それが割合入手し易くなってきたのは67*万台辺りからではないでしょうか。
その、ニコンFのクロームとブラックのボディの割合がどのくらいなのか知りませんが、何の根拠も無い私個人の印象では10~20%程度のブラックボディがあるように感じています。

それが時代と共にブラックの割合が増えて来て、ニコンF2では50%程度ではないかと思っています。(白黒別の製造番号もほぼ同じ進み具合ですし)
価格差は初期はブラックが2500円ほど高価でしたが、後には5000円ほどに広がっていたように記憶していますが、それでもブラックの比率が高かったのは、これも想像でしかありませんが、フォトミック系ファインダーがブラックしか無い事も起因しているように考えています。

実はクロームとブラックの色違いを作らなければ、ブラック塗装のみの方がコスト的には有利だと聞いています、その時代のブームやデザイナーの発言力なども影響するのでしょうが、市場調査から出した結果でしょうか、ニコンF3ではスタンダードモデルはブラックのみとなりました。

さて、このブラックのみで発売された初のカメラは何だと思いますか?
たぶん(汗)、ニコマートELWだと思います、他に何かあったかなぁ・・・


え?ニコノス・・・・全天カメラ・・・・(^^ゞ    ま、35ミリ判SLRではたぶん先のニコマートELWでしょうね。


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CRT用ニッコール3種

下はニッコールレンズカタログから、CRT用ニッコール3種が紹介されているページです。
Crt3a
価格は74年当時のものです。

この画像の中の上段左のNikkor-O55mmF1.2レンズは今でもたまにネットオークションなどで取引されているのを見かけます。
しかし、それ以外のレンズはほとんど見かけることはありませんし、35ミリ判カメラに着けての撮影にも向かないようですが、ゼロ・ニッコール、Newゼロ・ニッコールなどはイメージサークルも広いので工夫次第では使えないことも無いように思います。
安価に手に入ればですが、撮影(試写)に使ってみたいレンズの1つです。

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携帯光電話

光電話といっても、光ファイバーを利用するIP電話のことではありません。

実は昭和初期の頃、まだ、戦地で無線式の電話が無い頃利用されていた通信機の事です。
日本光学工業も、この、光電話で変調部などの開発に携わっていたようです。(電球、光電管は東芝、増幅器は北辰電気)

A
画像は野戦用携帯光電話器とその光学系、歩兵連絡用小型光電話器の光学系です。
これらは昭和12~3年頃制式採用され多量に生産されたようです。

野戦用携帯光電話器は手回し発電機と本体を常時2人で操作していたとの事です、同時に送受話可能で、最大到達距離は昼間は4000メートル、夜間で6000メートル、赤外フィルターを使用した場合それぞれ20~30%到達距離が短くなるとあります。
光学系は対物レンズ有効系が100mm、焦点距離350mmF3.5、ファインダー倍率8倍 32mm、
可変スリットによる機械変調方式とのことです。

また、歩兵連絡用の方は本体、増幅器、電池など機材すべてを1人で扱い、昼間到達距離は2000メートル、夜間で3000メートル、赤外フィルター使用時はそれぞれ20%程度短くなるとあります。

しかし、どのくらいの重量があるか分かりませんが、運ぶのも大変だったろうし、通信時、赤外線を使ったとしても僅かな可視光は出ていたでしょうから夜間などではそれを標的にされたりして、当時の通信兵は大変だったでしょうね。

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5cmF2沈胴レンズ

久野幹雄氏の「レンジファインダーニコンのすべて」は近年出版された洋書「The Complete Nikon Rangefinder System」と共に確度の高いデータを持ち資料としてとても重宝しています。
下の画像はそのレンジファインダーニコンのすべての中で5cmF2の初期に出ていた沈胴レンズを紹介した部分です。
5cmf2a

四十年史によると昭和21年9月出図(P.535)、試作は昭和22年、量産品完成が昭和23年8月(P.609)となっている説明がありました。
この量産品完成が上画像にあるガラス不足による設計やり直し結果を挿しているのかもしれません。
また、初期の出図などの説明も同史P.527~8にあります。ただ、この時期に出荷されていたレンズは検査設備が整っておらず、光軸検査のみであった記述が見られました(P.608)、戦後はチャート撮影など総合的なものになっています。

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SR-44とLR-44、CR-1/3N電池対応カメラ

ニコンカメラでSR44を2個使うタイプのカメラでは機種によって他のアルカリボタン電池LR44やリチウム電池CR-1/3Nが使える物とそうで無い物があります。下に対応状況を記しましたので参考にしてください。

           SR44×2  LR44×2  CR-1/3N
ニコマートFT2*1    ▲      ×        ×
ニコマートFT3*1    ▲      ×        ×
F2フォトミック      ○      ×        ×
F2フォトミックA     ○      ×        ×
F2フォトミックS     ○      ○        ○
F2フォトミックSB    ○      ○        ○
F2フォトミックAS    ○      ○        ○
F3シリーズ       ○      ○        ○
FE            ○      ○        ○
FE2           ○      ○        ○
FM            ○      ○        ○
FM2           ○      ○        ○
NewFM2        ○      ○        ○
FM3A          ○      ○        ○
FA            ○      ○        ○
EM            ○      ○        ○
FG            ○      ○        ○
FG-20         ○      ○        ○
FM10          ○      ○        ○
FE10          ○      ○        ○
ニコノスIV-A      ○      ○        ○
ニコノスV         ○      ○        ○

簡単に一言で言ってしまえば、ニコマート系2種(*1)とF2のメーター式フォトミック系ファインダーはSR-44が必須で、それ以外の機種はどれでも良いって事です。(汗)
F2フォトミックなどの露出計は下の図のように、CdSと可変抵抗、それに電流計を組み合わせた単純なものですので、電源の電圧が違ってきてしまいますと、メーターの振れの誤差が大きくなってしまいます、ですので、比較的初期から終焉まで電圧の安定した銀電池が必須と言う事になるようです。
その他の機種ではカメラが作動する電圧の範囲内であれば、測光精度やシャッター精度への影響は無いよう設計されているそうです。
Dp1
(DP-1系メーター部回路)


*1:ニコマート系はSR44を1個のみ使用しますので、リチウム電池のCR-1/3Nは物理的に電池BOXに入りません。LR44を使用している方が結構見受けられますので、今回こちらに表示しました。

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東京光學工業株式會社(資料編)

先日少し触れました、半年足らずの間存在した、名目上の幻の東京光學工業株式會社の経緯とそれらの資料を紹介します。
A
ニコン物語の当該部分(24ページの一部~26ページの一部)です。


ニコン物語で参考にしたと思われる資料に、日本光学工業四十年史第一篇第三節が有り、経緯などが簡潔に分かりやすくまとめられています。藤井兄弟の”かせ”の部分も契約書の第九条に記されています。
これと戦中にまとめられた二十五年史の東京光學部分の資料を1つにしましたのでこちらの「tokyokogaku.pdf」 を参照してみてください。

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レフレックスニッコール50cmF5とオート20cm

ニコンFが発売されてほぼ2年が過ぎた1961年7月にニッコール・Qオート20cmF4が発売され、また、同年9月にレフレックスニッコール50cmF5が発売されました。
それら新設計の望遠レンズの解説記事の一部を紹介します。
50cmf520cmf41a
50cmf520cmf42a
記事は5ページ余りのものですが、画像はその一部2ページです。(写真工業1961年7月号)
解説者は、ウルトラマイクロニッコールの設計者として有名な脇本氏とニコンFマニュアルなども記されている堀氏です。
さて、50cmですが、以前紹介しました100cmF6.3と同様に内部に遮光筒が組み込まれています。
残りの内容はこちらの「20cm&50cm解説記事」をクリックしてPDFファイルを閲覧してください。


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ニッコールオート300mmF4.5

ニッコールオート300mmレンズは1964年7月に発売されました。それまでは、ニコンマウント(S)の35cmや25cmをN-Fリングを併用して使うなどでしたが、このレンズの発売で自動絞りが使えるようになりました。
しかも、典型的な望遠タイプで焦点距離より大幅に全長が短くなって、それを説明にも設計の主眼として記されています。
案外知られていませんが、このレンズも設計の変更が行われ、5枚から6枚構成になり1969年1月に発売されました。
下はその構成などの画像です、比較しやすいように並べてあります。(右が旧タイプ)
300mmf45autoa
これを見ますと、前玉を2枚構成に改良し、主に色収差の改善をしているのではないかと思われます。
その為、レンズ全長もおよそ4ミリほど長くなり、200ミリを超えてしまいました。

望遠レンズとして端正なデザインで、私が若い頃は憧れのレンズの1つでした。

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満州光学(資料編)

今回は以前に紹介しました、僅か7年で姿を消した日本光学工業の別会社、幻の満州光学工業株式会社に関する資料として40年史の当該ページを一部紹介します。
1a
その他のページなど興味がある方はこちらから「四十年史滿洲光學資料.pdf」をダウンロードしてください。
二十五年史は昭和17年と戦時中の編纂ですので資料としては昭和13年から16年までの期間と僅かですが会社の立ち上がりの様子などが分かります、興味がある方はこちらの「二十五年史満州光學資料.pdf」もダウンロードしてみてください。

余談です、幻の會社つながりで、実は「東京光學工業株式會社」というものが存在しました。ご存知でしょうか?
トプコンの前身の「東京光学機械株式会社」とは違います。
日本光學工業の出資により作られた実質もと「合資會社藤井レンズ製造所」のことです。
これは日本光学設立後少し遅れて買収合併された「合資會社藤井レンズ製造所」との合併とその後の活動をスムーズに行う為だったと言われています。このへんの経緯は「ニコン物語」に少し記されています。
半年足らずの幻の會社ですが後日関係資料を紹介します。

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「Nikon」カメラの生産実績

画像は日本光学工業40年史(復刻版)の554ページに載っていたニコンカメラの昭和22年末から32年初めころまでの生産実績グラフです。
A
生産性の向上の様子やおおよその月別の生産数も分かります。
それと、初めの頃の数字で修正してある部分が見られます、時間が出来たら「明るい暗箱」の数字とも照らし合わせて見たいと思います。

月産100台を超えるのに2年以上要しています、特にI型時代の初期不良の修理・再組み立てなどのドタバタした様子がこのグラフからも何となく想像できます。

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プリセット絞り マイクロニッコール5.5cmF3.5紹介記事

以前少しFマウント用マイクロニッコール5.5cmF3.5として記しましたが、下の画像はそのプリセット版初代Fマウント マイクロ・ニッコールとベローズ用ニッコール13.5cmF4を紹介した写真工業の記事です。(1961年7月号より)
55mmf351a
55mmf352a
55mmf353a
55mmf354a
55mmf355a
55mmf356a
55mmf357a
55mmf358a
ほぼマイクロニッコールだけで8ページにもわたる解説は珍しく、また、冒頭のマイクロニッコールの由来など全編興味深い内容となっています。国内向けの解説ですから距離環はメートル表示となっていますが、米国等への物はフィート表示の物となっています。
久しぶりに読み返しましたが、以前に三日月型にバルサム切れして同レンズを手放してしまったのを残念に思えてきてしまいました。


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ニッコール値下げ広告

画像は1961年7月の各カメラ雑誌に掲載されたニッコールレンズの一部値下げ、新価格を載せた広告です。
A(写真工業1961年7月号より)

Fマウントの場合、主に1959年のF登場直近に発売されたレンズが値下げの対象になっていました。
また、以前少し紹介しましたオートニッコールワイドズーム3.5cmF2.8~8.5cmF4の価格も95000円で載っています。
マウンテンニッコールと呼ばれている10.5cmF4ですが、機構的にはプリセット絞りで使い勝手が良いと思われるFマウントの物の方がニコンマウントより安いのはちょっと意外に思えます。
ニコンマウントの場合はそれ以前にも価格改定されていますが、3.5cmF1.8が(私的印象では)買い易い価格なのでしょうか?、現在、割合市場で見かける数が多い理由の1つになっているんだなと感じた次第です。

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GNニッコールデータシート

以前紹介しましたGNニッコール45mmF2.8のデータなどを掲載します。
Gn45mm1a
Gn45mm2a

余談ですが、文中に「鏡簡」という文字が出てきます。おそらくその後出てくる「鏡筒」の誤植と思われます。
私自身は鏡筒(きょうとう)という言葉はあまり使わず(一応望遠鏡などでは使う事もありますが・・・)、「鏡胴」(きょうどう)をレンズボディをさす時使っています、また、辞書にもこちらは載っています。ほかに胴鏡という言葉を使われる方もおられます、しかし、銅鏡と混同しやすいので、個人的には使わないようにしています。


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ニコンF2の貯金箱

30年くらい前にDP-12を買った際、何かのキャンペーンでいただいた金色のニコンF2フォトミックAS型実物大貯金箱があったのですが、当時すぐにクリアー塗装でも吹いてやればよかったのですが、そのまま飾っていて、金色が褪せて、しかもブツブツと腐食まで出てきてしまいました。

その為、10年ほど前からはつや消しブラックで化粧直しして飾っていました、手ズレした部分は金色の地が見えて、本物っぽかったのですが、この連休は暇で、ちょいと再化粧を施してやりました。

銀色の部分はシルバーのペイントマーカーとアルミテープ、白い部分は紙テープ(汗)、銘板の文字部分は初めクレパスを塗り込んだのですが、掘り込みが正確でなくキチンとNikonの文字が表示できてないので、これまた紙に印刷したもの(笑)を貼り付けてやりました。本当はテプラで作ってやりたいところですが、生憎持ってないので妥協しました。製作時間は塗装30分、乾燥1日、化粧に1時間といったところです。
F2
この貯金箱ですが、金色の他にブロンズ仕上げの物も有りました。また、ヨドバシカメラでもニコンカメラ購入者に配布していたようです、ただし、ヨドバシの物はブロンズ仕上げのみで、裏蓋部分にヨドバシカメラの銘などが入っているようです。
素材はアンチモニーのようで、よく見ると、マウント部とファインダー部は別の物をロウ付けしてありますし、型から抜きやすいよう各部がテーパー状になっています。
レンズはバヨネットマウントで着脱可能です、Fマウントと逆回転に約90度回転して取り外します。持った重量感と質感はけっこう実物に近いものがあります。

企業秘密ですが(笑)、実は過去には、妻を誤魔化す為のアイテムでもありまして、遠目には一応素人さんが見ると本物に見えますので(汗)、台数の増減時にいろいろと活躍してくれました。
他にもジャンクを何台か仕入れていて、同じように過少申告していたりしますが、世のカメラ好きお父さんたちはどのようにして、奥様の目を盗んで(汗)カメラを仕入れているのでしょう?


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Bigサイズ MFズームAi80~200F2.8S

今はこの全域F2.8と、このレンジのズームレンズはレンズメーカーの物も含め、写真を趣味にしている方の仲には所有されている率は随分増えているように思います。
しかし、表題のマニュアルフォーカスのAiズームニッコールED80~200mmF2.8Sは大きく、重く、高価で、このスペックを必要とするプロ向けのレンズでした。
発売は1982年12月で、その少し前に行われた当時のフォトキナかその直前に発表されていたと記憶しています。
下の画像のスペックを見ますと分かりますが、アタッチメントサイズ95mm、重さ1900グラム、全長約231mmというビッグサイズでした。
その後AF時代に出た、AFズームニッコールED80~200mmF2.8Sはアタッチメントサイズ77mm、重さ1200グラム、全長約185mmとダウンサイジングが進み、重量も2/3以下になりました、しかも価格は、MFが420000円に対し、こちらは、119000円と1/3以下になりました。
下はMFとAFレンズカタログの一部(データシート)を並べたものです。
80200f28
上の画像のレンズ構成図などを上下に並べましたので寸法などを比べてみてください。(*縮尺は違います)
80200f28sa


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CEマーク

ニコンF3は1980年より20年以上に渡り製造販売され続けましたので、その間に多少なりとも微小な変更が見られます、それは以前少し紹介しました。
私は初期型が好みで、後期型を持ってなかったので気がついておりませんでしたが、底板のMD用巻上げ用カプリング横にCEマークが追加されていたんですね。

このCEマークはいろいろな電気・電子機器についているのを見かけたことがあると思います。
これは欧州市場において、その製品が「EU指令」に適合し、定められた安全及び健康に関する必須要求事項に適合していることを証明する為のものです。
因に「CE」とは「欧州の法律に適合している」という意味のフランス語"Conformite Europeenne"の頭文字をとった略語です。
ヨーロッパで製品を販売する為にはこのマークの取得が必要となり、F3など電子回路を持つカメラの場合ですと電磁波妨害関連(電磁波障害と耐電磁波)の要求をクリアしていなければならないとの事です。

F3はそのCEマークを1995年下期に取得、それ以降底板にCEマークが付いているそうです。
番号帯でいうと190万台半ばあたりから見られるようです。(F3最後の数年で数万台の生産と言う事になると思います。)
CEマーク取得の為の変更点はちょっと分からなかったのですが、出荷先が何処でも内部に違いは無いようです。

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オートレンズのレンズ枚数表記の無いレンズ

以前にニコンFマウントのニッコール・オートレンズの表記にレンズの枚数を表すアルファベットが使われている事を紹介しました。
しかし、その中にも記しましたが、ズームレンズやテレフォトズームなどは枚数を表すアルファベット表記がありませんでした。他にも枚数表記の無いレンズがいくつかありまして、それらは特殊用途向けと認識される類のもので、フィッシュアイニッコールやPCニッコール、GNニッコール、ベローズニッコール(オートレンズではありませんが・・・)、メディカルニッコール、UVニッコール、CRTニッコールがありました。
マイクロニッコールも絞り自動補正機構の組み込まれていた当初の物はレンズ枚数表示は有りませんでしたが、その後のモデルでは5枚を表す「P」表記が付きました。
ベローズニッコールはPN105Aさんのご指摘のように枚数表記のアルファベットがありますので訂正させていただきます。

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一部のマニアだけのカメラ?

画像はニコンEMの販売の手引き内にある見開きのページの部分です。
Ema
このコピーを見ますと、今までの一眼レフって一部のマニアだけのカメラだったの?ってツッコミたくなってしまいます。(笑)
まあ、確かに、ニコンの上級機などはそういう一面もありますが(汗)、でも、「一部のマニアだけ」っていうのは一般向けの広告ではないにせよ、言い過ぎっていう気がしないでもありません。

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初代ダブルズームセット?

今は、初心者から中級者向けのデジタル一眼レフカメラには、広角から始まるショートズームと、その後の200mm程度までの望遠ズームの、所謂、ダブルズームセットで売られている場合も結構見られますが、1970年代は、ズームレンズが高価で、その中で43~86mmF3.5のショートズームと80~200F4.5の中望遠ズームが当時としては割合コンパクトで価格もそのほかのズームレンズよりは求めやすい価格設定だった為、ある意味この組み合わせが初代のダブルズームセットと言えなくもないと思っています。
とはいえ、1974年頃ですと下の画像のその当時の価格表では43~86mmズームが38000円、80~200ズームが95000円と高価でなかなか普及はしなかったようです。(しかも当時は値引きはほとんど無く定価か良くても15%以内の値引きでした。)
因にそれらレンズの製造本数ですが、43~86mmが39万本に若干満たない本数、80~200mmが28万本程度との事です。
30数年前の95000円は結構大金で、大卒サラリーマンの初任給ではとても買えない金額でした。
今では70~300mmF4.5~5.6Gは30000円ですし、AF-S VRの同様スペックの物でさえ78000円です、実売価格は更に安いので物価や貨幣価値から言えばとても買い易くなっていますね。
19742211a
19742212a
*1974年2月21日現在の価格表の一部です。

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