« 「Nikon」カメラの生産実績 | トップページ | ニッコールオート300mmF4.5 »

満州光学(資料編)

今回は以前に紹介しました、僅か7年で姿を消した日本光学工業の別会社、幻の満州光学工業株式会社に関する資料として40年史の当該ページを一部紹介します。
1a
その他のページなど興味がある方はこちらから「四十年史滿洲光學資料.pdf」をダウンロードしてください。
二十五年史は昭和17年と戦時中の編纂ですので資料としては昭和13年から16年までの期間と僅かですが会社の立ち上がりの様子などが分かります、興味がある方はこちらの「二十五年史満州光學資料.pdf」もダウンロードしてみてください。

余談です、幻の會社つながりで、実は「東京光學工業株式會社」というものが存在しました。ご存知でしょうか?
トプコンの前身の「東京光学機械株式会社」とは違います。
日本光學工業の出資により作られた実質もと「合資會社藤井レンズ製造所」のことです。
これは日本光学設立後少し遅れて買収合併された「合資會社藤井レンズ製造所」との合併とその後の活動をスムーズに行う為だったと言われています。このへんの経緯は「ニコン物語」に少し記されています。
半年足らずの幻の會社ですが後日関係資料を紹介します。

|

« 「Nikon」カメラの生産実績 | トップページ | ニッコールオート300mmF4.5 »

Nikon etc.」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。
初めてコメントをさせていただきます。

私の祖父は満州のニコンで働いていました。

嘘か本当かは分かりませんが、父や叔母の話では、満州ニコンの工場長か副工場長あたりだったらしいと言っていました。
その真偽を確かめたくて、いろいろとネットでニコンの歴史について調べていて、このページにたどりつきました。

pdfの資料を読んだところ、工場長はほかの方ですし、副工場長の存在も書かれていないので、私の祖父がどのような役割で満州に行ったのかは、残念ながら知ることはできませんでした。祖父はドイツ語なども話せたと父は言っているのですが、おそらく、平社員だったのかもしれません。

叔母の話では、満州で暮らしていた頃は、中国人のお手伝いが2人くらいいて、かなり裕福な生活をしていたようです。

祖父も戦局が危うくなってきたので、家族を連れ、着の身着のままで帰国をしたようですが、自分たちの帰国直後に日本は敗戦し工場長は亡くなってしまったと祖父は話していたようです。

少しでも祖父が働いていた満州のニコンについて知ることができました。
貴重な資料を掲載していただき、ありがとうございました。


投稿: 青野 | 2008年6月11日 (水) 01時43分

青野さん、少しでもお役に立てましたなら私も嬉しいです。またお越しください。

投稿: MARU0 | 2008年6月11日 (水) 18時30分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/185882/41137472

この記事へのトラックバック一覧です: 満州光学(資料編):

« 「Nikon」カメラの生産実績 | トップページ | ニッコールオート300mmF4.5 »