ニコンS3オリンピック(再生産型)
ニコンS3のいわゆるオリンピックモデルと言われている再生産型のS3ブラックですがこれは新聞記事の切り抜きコピーにありますように昭和40年の9月半ばから販売が開始され限定2000台が11月末までに出荷されたようです。
ただ、時期からも判るようにオリンピックというのはふさわしくありません、なぜS3オリンピックと言われるようになったか、それはこのカメラに着けられているガウスタイプの新タイプのレンズにあります。
東京オリンピックが開催される前、昭和38年前後くらいに、SPが報道機関からの要請もあり再生産されたのですが、そのときは新しいガウスタイプの50mmF1.4付きでSPが販売されました。
しかし、実際に報道機関で使われていたSPにはオリンピックニッコールではなくほとんどが3.5cmF1.8などの広角レンズだったようです。
その頃はまだオリンピックニッコールという呼び名は無かったのですが何年か後に新タイプの50mmをそう呼ぶようになり、それが着けられていた再生産型のS3もいつしかS3オリンピックと言われるようになったそうです。
また、2000台の限定だったにも関わらず暫くは売れ残っていたS3がいくつか有ったようで、もし、当時その売れ残りを買い占めていたら・・・って、ステレオニッコールの時にもそう思ってしまったのですが、そんな感想を持ったのは私一人だけじゃない筈です。
因みにS3オリンピックがケース付きで当時74000円、 S3 LIMITED EDITION BLACKが530000円(税別)でしたので時代を考えるとこの価格は妥当な気がします。今の中古(未使用品)価格からなら更に買い得感は高いですね。
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コメント
はじめましてOZと申します。
いつもブログ拝見しております。
参考になることばかりでありがたいです。
オリジナルのS3オリンピックを入手しました。
記事で書かれているように「オリンピック」はあくまで
後の通称ですよね?
それ以前のオリンピック取材に対応した報道機関向けSPの再生産は分かりやすい気がするのですが、
昭和40年秋にS3を再生産(それも全数ブラックペイント)
する理由が不明のような気もwww
すでにF登場から6年、一眼レフ全盛の時代になぜ?
けっこう売れ残っていたようですしねwww
2000年/2002年(S3 Limited)2005年(SP Limited)
のように、なにかビジネスになりそうなきっかけが
あったんでしょうかねえ........
投稿: OZ | 2012年12月10日 (月) 00時33分
OZ初めまして。
この時代の一眼レフ用のレトロフォーカスタイプの広角レンズは使い物にならない。下に向けて撮ると収差がひどいなどと、評判はよくはありませんでした。
プロのカメラマンでもかなりの人が広角はレンジファインダーを使っていた時代です。
いまはM型ライカ用の広角レンズも新しいものはレトロフォーカスになっていますから、光学ガラスの性能もよくなったとゆうこでしょう。
これはいまでも言えることですが、広角レンズのピント精度はレンジファインダー機の方が優れています。
投稿: ガタピシ | 2012年12月13日 (木) 17時07分
ガタピシさま、レスありがとうございます。
1960年代後半あたりまでのグラフジャーナリズム全盛時代に、新聞社・雑誌社・通信社などにいらした方たちの手記など読むと、広角=レンジファインダーカメラ(ニコンSP/S3あるいはM型ライカ)+一眼レフ(ニコンF)という組み合わせが一般的だったようですね。
ニコンS3オリンピックが1965年に再販されたきっかけが、報道機関に在籍するプロカメラマンの職務上の要請だったのか、趣味的なハイアマチュアたちからの声にNikonが動かされたものなのか......
その両方なのかもしれませんがね。
昭和42年末に刊行されたカメラガイドに紹介記事が掲載されているというのは、元記事にあるようにだいぶ売れ残っていたと思われます。
出してはみたものの、それほど需要は無かったということなのでしょうか。(この辺は、ミレニアム復刻のS3Limited,SP Limitedに似てる気もしますがw最初は大騒ぎの歓迎を受けたものの一定数のマニアに行き渡ると流通在庫がダブつくという経緯。)
私が今までに目にしたS3オリンピックはほとんどが新品未使用に近いような奇麗なコンディションで、激しく酷使されたものは見た事が有りません。
報道機関に機材として納入されたものがあったとしても、摩滅・劣化の果てに廃棄された可能性も否めませんが。
何人かS3オリンピックを愛用されている写真家の方の手記など読みますと(新聞社や雑誌社に在籍されていた方です。)、会社の仕事カメラとしてでなく、個人の金で自分の表現の道具としてプライベートで購入された方が見受けられますね。
なんにせよ、昭和40年のS3オリンピック再生産のきっかけ/経緯は興味があります。仕事カメラとしてある程度の数の需要があり、残数をアマチュア向けに販売できるとの見込みがついて再生産に踏み切ったというのが私の想像なのですが。
投稿: OZ | 2012年12月15日 (土) 13時02分
前回、敬称が抜けてしまいすいませんでした。
私はアマチュアよりプロの声が大きかったと聞いています。ニコンS3の他に、ニコンSPの再生産も行われていますから。
この頃はまだキヤノンがRFを生産していて、後に有名になったカメラマンの人たちが無名時代かなり使用している資料などがあります。
プロ用に納入された機材で酷使されたものは、故人となった人たちや報道機関の倉庫に死蔵されているようにも思われます。
2年前にヤ●オフに朝日新聞社で使用され、朝日の刻印のあるS3(ブラックボディーなのでオリンピックモデルと思われる)とFが2台出たことがありました。出品者は古道具屋でした。
投稿: ガタピシ | 2012年12月16日 (日) 17時11分
ガタピシさま
連日のレスありがとうございます。
そうですね、キヤノン7や7Sがまだ現役の時代なんですよね。私の好きな写真家たちは似通ったカメラ遍歴をされてる方が多いんですね。
50年代:S型ニコン+Wニッコール→60年代:M型ライカ+国産ライカLマウントレンズ(キャノン/ニコン)→M型ライカ+ライカ・レンズというような。
日本の経済成長とリンクしてるようなwww
でも、ニコンにせよキャノンにせよ、超広角や高速レンズ開発では、常にライツの先を行ってたんですよね。
私はライカも好きですが、いい時代のライツはレンズに関してとても保守的なイメージがあります。
投稿: OZ | 2012年12月16日 (日) 22時53分
OZ様へ。
M3、M2の時代、ライカが保守的とも思えるほどに、超広角レンズ、望遠レンズで遅れを取ったのは戦争の影響があったと思います。
第二次大戦前、ナチスドイツのユダヤ人狩りなどで、光学関係を含む優秀な技術者などが連合国側に流失してしまったことが大きかったと思います。
ライカと並ぶ光学界の巨人ツァイスはユダヤ系の会社であったため、社長が逮捕されたりとナチス政権からかなりの圧力を受けています。ツァイスはさらに不幸な事に、ドイツ敗戦後主力工場などツァイスの技術が集積されていた所がソ連軍の側に占領されたため東ドイツとなり分断されるとゆう悲劇に見舞われます。
それと戦後、空襲で焦土と化して日本再建のため、いまはバッシングの対象になることが多い官僚ですが、貿易での利益率の高い光学関係では当時の世界のカメラ業界の状況と欲しがられている機材の詳細なマーケティング・レポートを官僚たちが作成し(今日でもこれだけのものはなかなか出来ないとゆわれるほど高度なものであったと聞いたことがあります)、ニコンやキヤノンといった光学機器メーカーに提供したこともあると思います。
投稿: ガタピシ | 2012年12月18日 (火) 12時23分